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「福祉保育労働組合」執筆文章

1989年頃、当時所属していた「福祉保育労働組合」の組合員テキストのうちの1つの章を分担して書いたものです。そのまま再録します。

私たちの実際のくらしや仕事、福祉をとりまくさまざまな出来事など、日常生活のあり様を思い浮かべながら、なぜこうなっているのかという背景や原因、そしてそれを変えていく力について考えてみようというのが、この章での課題です。

ページ内リンク|世の中をどう見る社会のしくみと私たち労働組合とは何か

第2章 歴史をひらく労働組合

世の中をどう見る

(一)職場と家庭での話題

毎日の職場や家庭ではいつもどんなことが話題になっているでしょうか。

職場では人手が足りない、退職者がいても補充されない、されてもパートやアルバイトに代わっている、残業しても手当が出ない、そもそも定期昇給がないとか賃金が低すぎるとかの基本的な要求も切実なんだが、かといって今すぐにはどこから手をつけていいかもよくわからないという現状もあるし……。

賃金の明細書を見ると保険料などの負担がいつの間にかどんどん増えている、消費税や税金の高いのに怒りを感じている人も少なくないでしょう。

特に今、私たち福祉の分野では、措置費の国庫負担の削減、「地方行革」の名による自治体での切り捨て、そして利用料の引上げ、あるいは入所・措置基準などの締めつけによって、入所できないとか、制度の対象から排除される国民が増えるなどの事態が進行しています。

(二)みわたせば疑問だらけ

そこで、私たちの身近で切実な要求を実現するためにも、急がば回れというわけで、社会全体の動きにも関心を拡げて考えてみましょう。

保護者のお父さんが単身赴任で遠方へとばされたり、「過労死」が話題になっている。お母さんがパートの職場から首を切られてしまった。医療費が高くておちおち医者にもいけなくなってきた。

国保料の引上げで保険証をもらえず医者にいけない人の死亡事件。生活保護を受けられなかった人のこれまた自殺や死亡事件……。

児童の非行や学力が問題になり、わが子のことも心配だ。老人の自殺も増えている。決して他人ごとじゃないし……。

障害者や寝たきりの老人の家族の大変な苦労。養護学校の卒業生は働くところがない。

いまは「バブル崩壊だから」と、数百万の失業者、倒産、労働者の首切りも当然のように言われるが、「バブル経済」時代に土地や株に投機して大儲けした連中に責任はないのか。

住宅の値段は下がっているそうだが、やっぱり我々には手が出せない。

自社連立政権とかいって、社会党の首相が生まれたが、政策は自民党と同じ。

貧困な福祉も、1000人をこえる国鉄組合員の首切り問題も一向に解決されない。

逆に「日の丸、君が代」もよし、自衛隊も合憲などと突然方針を変えた。政府のいう「国鉄貢献」とは、自衛隊海外派兵、侵略戦争容認か。「核兵器廃絶」も「究極の目標」にされてしまった。

「米は、作りすぎ」とかで減反、農業つぶしがやられてきたが、天候異変で不作になったら、あんなに反対していた「米の輸入自由化」がすんなりだ。

汚職、金権政治打破がいつの間に小選挙区制導入、ワイロと大臣の席よこせに変わったのか、冗談じゃないぞ。

高い米、高い住宅や公共料金、おまけに消費税の「値上げ」案。結局被害を受けるのは庶民だ。

70年代には賃上げ率が30%の時もあったそうだが、今じゃ一時金カットと賃下げだ。ところが全労連の話では、大企業の「隠し財産=ためこみ」は最高だそうだ。労働者の大量首切りや賃金切り下げに賛成する「連合」は本当に労働組合なのか。

オゾン層の破壊、森林伐採など、世界的な環境破壊は人類、生物を滅ぼすといわれている。飢餓や「地域紛争」で死んでいく人たちも多い。ところが政府や大企業はおかまいなしに「目先の儲け」を追求している。

(三)社会の動きはバラバラなのか

こうして世の中さまざまな出来事を見渡してみると、実にいろいろの不合理や矛盾があることに気がつきます。

目の前の要求を実現するためには、社会のさまざまな動きはどうして起こるのだろうか、政府はなぜ私たちの要求実現に背を向けるのだろうか、なぜ福祉が嫌いなのだろうか、これらの動きを変えるには私たちはだれと力を合わせたらいいのだろうか、などという点について考えてみないわけにはいきません。

これらの疑問に答えるために、ぜひ今日の社会、資本主義社会のしくみとからくりについて勉強してみましょう。

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社会のしくみと私たち

(一)社会のあゆみ

人間はだれでも生きていくためには、家に住み、服を着て、ものを食べなければなりません。そしていつの時代でも、人類はこれらものをつくるために働き続けてきたし、これは現在も変わることがありません。

人類がこの地上に現れた頃は、生きるために必要なものを確保する力が弱くて、土地や道具を共有して共同で働き、やっと生活していました。

この時代はだれもが平等でした。だれかがこの生産物を独占したりするとほかのものが餓死してしまって、その集団は崩壊してしまうからです。

やがて道具の改良や特に鉄の発見、稲作が普及するなど「生産力」が大きくなるにつれて、少しずつ余剰の生産物が作られるようになります。

これらの余剰生産物や土地が、力の強い特定の人物や一族に独占され、やがて奴隷まで所有するようになってきます。

こうして人類は原始共産制の社会から階級社会へと発展してきたのです。

この「階級」というのは、土地やその他の生産手段を持つものと持たないものの関係を基礎として、社会的な労働組織の中での役割の違いとか、生産物をどんな方法でどれだけ受け取るかなどで区別される、歴史的に形成された人間の集団のことを言います。

また階級的に分裂した社会では、社会の富を占有する階級が、搾取される側の人々を支配・統治するために軍隊などを持つ国家をつくりました。

そして生産力が大きくなるにしたがって、社会は奴隷制の時代から封建制の時代、そして今日の資本主義の社会へと移り変わってきたのです。

今日の社会では、土地や工場などの生産手段の所有者が資本家階級、私たちが労働者階級というわけです。この労働者階級は、働いているという点では同じでも、過去の奴隷や封建時代の農民、また今日の農民や自営業者などと、次のような違いを持っています。

ひとつは、人格的にはだれにも隷属しておらず自由であるということ、ふたつめの特徴は、生産手段を全く持っていないということです。だから、労働者階級はその身体に備わっている労働力を売って、その代価として賃金を得るしか生活ができないということになります。

そして、労働者階級が汗水たらして生産した莫大な生産物の価値の大部分を、資本家が独り占めしていることは言うまでもありません。労働者が生産した価値を奪い取ることを「搾取」といいます。

(二)資本主義社会と搾取のからくり

さて封建時代などでは農民が働いて作ったものを領主が直接収奪していましたが、資本主義社会では労働者はその「労働」全部に対する「正当な報酬」を賃金として受け取っているように見え、どこでどのように「搾取」されているのか分かりにくくなっています。

実は、今日の社会での「搾取」のからくりは、商品とはなにか、賃金とはなにかを理解してこそ初めて分かるのです。そこで商品と賃金についてもう少し詳しく考えてみましょう。

●商品とはなにか

今日の社会では、農家が自分の家で食べる農産物など少しの例外を除いて、ほとんどの生産物は商品としてつくられています。

資本主義社会が商品生産社会とも言われるのはこのためです。

すなわち食べるための食料とか、着るための服とか、乗るための車というような生活に役立つ有用な性質(これを使用価値といいます)のほかに「価格札」をつけて売りに出されるというわけです。

ではその商品の価格は、どうやって決まってくるのでしょうか。

人間の欲望に比例するとか需要と供給の関係だとかという説もありますが、もし欲望で価格が決まるなら、生きていくために欠くことのできない水や空気などの値段はダイヤモンド並みになってしまうでしょう。

需要と供給というだけならば、鉛筆は50円とか100円のがあるが、ではなぜ10万円のものはないのかという説明がつきません。そもそもTシャツと万年筆の値段が同じだとか、万年筆は鉛筆の10倍の値段だという場合、何かそこには共通点があるに違いないのです。

結論から言えば、この共通点とは商品は「人間の労働」によって生産されているということです。

商品に費やされた労働を「価値」といい、その大きさはその商品をつくるためにかかる社会的に平均的な労働時間によって決まってきます。価格とはその商品を生産するために費やされた価値の量をお金で表現したものに他なりません。

資本家は労働者を雇い工場で働かせ、材料を加工して商品にするのですが、この商品を生み出すまでに、どれだけの労働がかかったかという価値量に基づき価格を決めるというわけです。

このように商品は使用価値と価値という二重の性格をもっています。

そして商品をつくる労働も、価値をつくる抽象的な人間労働と使用価値をつくる具体的な有用労働という二重の性格をもっているのです。

●賃金とはなにか

さて、私たちの賃金は1日8時間労働で1カ月分20万円などと決められています。時間払いの賃金です。

また出来高払賃金では1個の商品に月1万円などというやり方です。

この例から考えれば、賃金はいかにも「労働の価値」のようですが、これは本当に正しいのでしょうか。

例えばある商品1個をつくるのに8時間かかったとして、労働者は賃金として1万円を受け取ります。しかし実際にはその「賃金」は、その商品の価値のうちの4分の1程度でしかありません。残りの4分の3は資本家の儲けになっているというわけです。

なぜこのようなことになるのでしょうか。

そこで理解してほしいポイントは、賃金とは「労働」の価格ではなくて「労働力」の価格であるという点です。

労働とは、私たちが実際に手足を動かして働くことそのものですし、労働力とは、私たちの体に備わっている能力のことを言います。

つまり、前の例で言うとこの労働は1日4万円という価値をあらたにつくりだしますが、その労働力の価値は1日1万円というわけなのです。

ここで前項で述べた商品の価値とは何かを思い出して下さい。あらゆる商品がそうであるように、労働力という商品の価値もまた、それを作るのに費やされている労働力の大きさによって決まってきます。この労働力商品の価値こそが実は賃金です。

そこでこの労働力をつくるのに費やされている労働力の大きさとはなにかを考えてみましょう。

労働力の価値とは、明日も元気で働き続けられるための費用、詳しくいうと生活費だとか、子どもの養育費だとか、あるいはその仕事に必要な知識や技術の修得費などということになります。

従って、これらのための費用が1日1万円ぐらいならば、この資本家が1万円の日当を払うというのは、別に値切っているわけでもなんでもない、労働力を買って価値通りの賃金を支払っているということになります。

このようにして資本家は、労働者から1日1万円で買った労働力を使って、その労働が生み出した4万円の生産物を手にし、まんまと3万円の儲けを得るというわけです。

労働者に支払う賃金と比べ、資本家が儲ける割合を搾取率といいます。

こんなにも資本家の儲けが多いのは、要するに今の社会では、労働者は1日8時間も労働すれば、自分がゆったりと生活するに必要なものよりも、はるかに多くのものを作りだすほどに生産力が高くなっているということなのです。

また、先ほど階級の説明をした部分を読み返してみてください。労働者は、自分たちで作りだしたものなのに、その生産物は自分たちのものではないのです。それは、資本家が生産手段を独り占めしているからに他なりません。

ここから資本家がなぜ、どこから莫大な利益を得るのかという搾取のからくりが横たわっています。また資本家と労働者がなぜ対立するのかという根本的な原因もここにあります。

私たち福祉労働者や公務労働者の場合には、その労働が生み出す価値を正確にはじきだすことはできませんが、今日も明日も元気に生きていくための賃金は、生計費がどの程度必要かによって決まってきます。

私たちもまた賃金分以上の無償の労働をさせられており、直接の理事者などには搾取されていないとしても、国や自治体の財政を通じての国民所得の再配分の過程で、資本家階級全体によって搾取されているというわけです。

そもそも福祉労働者がだれにも搾取されていないなら、こんなきつい仕事を長時間やっていながら、10年働いても手取りが15万円もないなんて馬鹿な話は起こるはずがありません。

資本家は「賃金を上げたければもっと働け」といいますし「連合」なども同じ賃金論を唱えています。労基法でも「賃金とは…労働の対償として」支払 われるものであるなどと書いています。

しかし、これらはすべて「搾取のからくり」を覆い隠すためのものに他なりません。もし、賃金が労働の価格だとすれば、そもそもから資本家の儲けの説明がつかないわけです。

(三)なぜ賃上げをたたかうのか

どれだけ多くの利潤を得るか、労働者を搾取するか、それが資本家の使命ですから、労働者への賃金も決して「労働力の価値」通りには払いません。

労働者は毎日生活するためには労働力を「売り惜しみ」するわけにもいかず、そのうえ失業者が多くつくりだされているので、資本家は労働者の弱みにつけ込んで賃金を切り下げてきます。

さらに、労働時間を延長すること、労働強化でより多く生産させること、技術の改良や合理化(人減らし)で生産性を高めるなどして、必死に儲けをふやそうとします。

政治家や国家を抱え込み、税金を国民から搾り取り、その財源を資本家階級の利益のために使ってさらに儲けをふやします。福祉予算に国の財政を使うなんてとんでもないというわけです。リクルート事件、佐川急便疑惑などを見れば、そのことがよく分かるでしょう。

労働者が生活や労働条件を改善するには、労働者階級が団結し、賃上げをはじめとしてたたかわなくてはならない必然性がここにあるのです。

同時に、賃上げのたたかいは、あくまでも搾取の結果に対するたたかいですから、搾取そのものをなくすために、労働者階級は賃上げとは別の政治闘争にも取り組まなければならないということを理解しておくことも必要です。

さて、私たち福祉労働者の場合には、措置費や補助金などが人事院勧告に依拠しており、その人勧は「民間労働者」の賃金相場に依っているということから、結局は今日の日本の社会での歴史的・平均的な賃金水準ということになるなどと説明されています。

しかし、私たちはもともと搾取されているということ、そのうえの労働力の価値をはるかに下まわり、平均的な水準からもさらに低い賃金であるというのが福祉労働者の実態と言えるでしょう。

国民の福祉を充実させるためにも、労働者階級のたたかいがどうしても必要です。

(四)つばぜりあいが歴史を動かす

このように資本主義のもとでは、労働者のたたかいがなければ低賃金と労働強化が強まるばかりです。そして、生産は無計画的にすすめられますから、国民の購買力に対してますます生産が過剰になり「過剰生産不況」がおこるわけです。

しかし、いつでも資本家や政府の思い通りにはいきません。それは何と言っても労働者階級の抵抗があるからです。また資本家同士の激しい競争もあります。

どの時代でも支配階級は「国家」を組織して「社会の中立」を装いながら、これを被抑圧階級の抵抗を押さえつけるために活用してきました。

今日の資本主義社会では、この国家と資本家が結びついて、「国家独占資本主義」と呼ばれるに至っています。

こうして、今日の政府は大企業と結びつき、大企業のための政治をますます強めるようになってきます。企業に補助金を出したり、税金をまけてやったり、企業の商品を政府が買ってやったり(軍備はその典型)等々、儲けを保障するように手助けをし、あるいは、労働者の抵抗を押さえつけるような法律をつくったりする等というように。

また現実的には、教育やマスコミなど膨大な支配階級からの宣伝によって、労働者でありながらそうでないような考え方をしている人をつくりだしてきています。

このような攻撃に対し労働者階級の抵抗は、当初は個々の資本に対して、そして今日では、この国家独占資本主義に対しても向けられることになり、譲歩をたたかいとるまでになっています。

こうして階級社会では、階級間の激しいたたかい、つばぜりあいの過程として捉えられることになるのです。

(五)働く者こそ主人公

労働者階級は、身にふりかかってくる火の粉を振り払うために、文字どおり命がけでたたかってきましたが、このたたかいの過程で、労働者階級は攻撃の結果に対してたたかうだけでなく、「自分たちこそが社会の主人公だ。そして名実ともに、働くものが幸せになれる社会をつくるのはだれでない自分たち自身の労働とたたかいの力である」ということを自覚するようになってきました。

この背景には、労働者階級が実際の数としても、国民全体の中での比率としても多数を占めるようになってきたとか、いやでも定時には出勤しなければならないという意味で、規律性を身につけるようになってきた、ひとつの事業所に集まって集団としてのまとまりを持つようになってきたなどがあります。

そして何よりも生産をストップさせるストライキ闘争を通じて、労働者こそが社会を支える生産の担い手であるということを実際に経験し、主人公としての自覚を高めてきたのです。

また、私たちは同じ雇われて働く仲間であるとはいえ、青年は青年の要求、壮年は壮年の要求などいろいろと違いもあります。男性の多い組合と交流したいと思っている人もいれば、子どもの教育のことで悩んでいる人もいます。

このように人間の社会というのは自主的な判断による無数の意志によって成り立っているのですが、その根底にはやはりその人の立場や要求というものがあります。

いくら「鳥のように自由に生きたい」と思っても、生きるにはやはり食べ物や衣服や住居が必要です。そして私たちはそのために働かなければなりません。

ここに、労働者としての階級的な共通点があり、思想や政治信条などの違いをこえて、階級として団結できる、またしなければならない基礎があるのです。

こうして労働者階級は、自らを鍛え、その社会変革の主体としての資質を獲得していくようになるのです。

(六)「心やさしい資本家」の場合

さて、この章のはじめの部分の最後で「要求の実現を妨げている人たちは福祉が嫌いなのだろうか」と書いておきました。次にすすむためにも、この疑問にはぜひとも答えを出しておかなければなりません。

ある資本家が、私たちのように非常に心やさしい人で労働者の要求をすべて認めてしまうということになるとすると、その資本家は確実にほかの企業との競争に破れていくということになるし、そうならないためには必死で要求を押さえつけなければならない、というのが今日の社会のオキテです。(だからこそ私たちは、個々の企業に対してとともに、産別としてもたたかわなければならないのですが)。

資本家と労働者とはいくら話し合ってもその根本は全然共通していません。その資本家の利益を代表する政府が社会福祉を切り捨てようとするのは、だからある意味では必然的とも言えるのです。だからこそ私たちは、「お願い」ではなく「運動」によって要求をたたかいとらなければならないのです。

(七)社会発展には法則がある

こうして、人間は生きていくためには働いて物を作らなければなりません。その際に、人と人がどういう関係が生産するかということから階級に分かれてきた歴史があります。そして今日では、資本家階級は国家と癒着し、自らの支配を維持していくために、巧妙な搾取の強化や民主主義のじゅうりん、ひいては海外侵略や他民族のの抑圧などをもめざさない訳にいかなくなっています。

したがって労働者階級は、おなじく抑圧されている他の階級の人たち・農民などとともに、たたかいに立ち上がらないわけにはいきません。

簡単にいって、こういう動きは個々の人間の意志によって成り立っているとはいえ、その根底には、やはり法則性、必然性によって貫かれているのです。

ここのところをしっかり理解することが、この章の大事なところです。

それは、大きな歴史や社会の動きばかりでなく、日常の労働組合運動の活動の中でも貫かれていることなのです。したがって、この法則にかなった活動をすれば、運動を大きく前進させることができるということになります。

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労働組合とは何か

(一)労働組合のおいたち

●労働運動の歩み

これまでのところで、私たち労働者は資本家、資本家階級に雇われて賃金を受け取り生活している賃金労働者であり、搾取されていることを学びました。

資本家階級と労働者階級の利害は、基本的に対立しているのです。

資本主義がうまれた頃の労働者は、どの国でもまったくの無権利状態、命の保障さえろくにされないなかで、1日15〜6時間も働かされ、しぼり取られていました。

日本では明治のはじめ、当時の「花形産業」といわれた紡績産業で、人買い同様に集められた貧しい農家の娘たちが、1日15〜6時間労働、食事時間は15分、賃金は米1升が6銭のときに月7〜8銭という劣悪な賃金・労働条件のもとで働かされ、過労と栄養失調で命でさえ奪われていったという話が「女工哀史」で描かれています。

このような家畜同然の悲惨な労働と生活に対し、初期の労働者は盗みや機械のうちこわし、一揆的な暴動などで抵抗してきました。

しかし、産業革命によって機械制大工業が発達し、多くの労働者が同じ職場に集まるようになると、連帯感が生まれ共通の要求で結ばれ、団結するようになりました。イギリスでは200年も前に労働組合がつくられ、19世紀にはヨーロッパやアメリカに、20世紀には全世界に広がりました。日本では1897年に金属労働者によって初めて組合が作られています。

抵抗の方法もそれまでのにがい経験から学び、団結していっせいに仕事を放棄し、資本家の儲けをストップさせる「ストライキ」という、まさに資本主義的生産の急所をつくたたかい方に発展してきました。

1886年、日本では山梨の製糸工場で初めてのストライキがたたかわれ、同じ年に「8時間労働の実施」を要求して、アメリカのシカゴを中心にたたかわれたゼネラルストライキはメーデーの起源として有名です。

このような労働者のたたかいに対して、資本家階級とその政府は「団結禁止法」(イギリス・1799年)や「治安警察法」(日本・1900年)など法律をつくり、警察や軍隊の力で弾圧してきました。組合の解散はもちろん、たたかう活動家を投獄したり、命を奪ったことさえ稀ではありませんでした。

しかし不屈のたたかいをすすめる労働者階級は、やがて多くの国で労働組合をつくる権利(団結権)、資本家と交渉する権利(団体交渉権)、ストライキでたたかう権利(団体行動権)などを勝ち取りました。この権利を勝ち取るためには、最初に労働組合運動が起こったイギリスでも約100年もかかったように、多くの犠牲と世界の労働者階級のきびしいたたかいが必要でした。

日本では、「労働組合死刑法」と呼ばれた治安警察法で労働組合がつぶされ、呉軍事工場や東京市電、八幡製鉄、川崎造船所などで次々とストライキ闘争がおこるなか、足尾銅山のストには政府は軍隊まで出動させて弾圧しました。

これに対して「日本労働総同盟」を結成するまでに強化された労働者階級のたたかいは、1926年、ついに労働三権の禁止条項を廃止させました。

ところが第二次世界大戦が始まる頃になると、今度は「治安維持法」(1925年)で労働組合活動だけでなくあらゆる権利を禁止し、天皇制と軍国主義に協力しないものはことごとく迫害し「産業報国会」という組織をつくって労働者を侵略戦争に協力させました。

しかし、世界の労働者階級と民主勢力の、文字どおり命をかけたたたかいでファシズムや軍国主義は倒されます。そして今の憲法や労働組合法ができ、基本的人権や労働三権が確立されました。

その後も資本家階級やその政府は、レッドパージなどで労働組合や民主勢力を弾圧してきました。また労働組合の幹部を抱き込み、資本に追随する「労使協調の組合運動」を育成してきました。

しかしながら、尊い犠牲を払って勝ち取ってきたたたかいの成果と伝統を受け継ぐ労働者階級は、真に階級的な権利闘争、要求闘争を発展させ、今日、再び階級的ナショナルセンター全国労働組合総連合の結成まで前進させました。

このような、長く厳しいたたかいのなかで、労働者と労働組合運動は自らのたたたかう権利を発展させ、また、賃金の改善、8時間労働制、普通選挙権の獲得、年少者と婦人の労働保護法の制定を勝ち取り、社会保障や福祉、教育など幅広い要求の実現、民主主義を守り発展させるたたかい、さらには反戦平和のたたかいや搾取のない社会を実現するたたかいなどでも重要な役割を果たしてきました。そして今、日本では1230万人、世界では3億人の労働者が労働組合に参加し、働くものが人間らしく生きていくためのたたかいを続けているのです。

●たたかいの教訓

これらの長い抵抗の歴史は、私たちに次のことを教えています。

第1に、労働者はバラバラになって競争していたのでは、決して労働と生活を改善できないということ。

第2には、労働組合を作り、ストライキを軸としたたたかいをすすめることこそが、私たちの労働と生活を改善する道であること。

第3に、労働基本権や基本的人権は、数百年におよぶ労働者階級のたたかい、血と汗の結晶であること。

第4に、資本家階級が支配する社会では、その社会の発展にともなって労働者の団結できる条件も広がり、必ず労働組合とストライキが生まれ発展すること、などです。

まさに労働組合こそ、資本主義社会のなかにおいて、労働者が人間らしく生きるための「たたかいの砦」であり、長い風雪の試練に耐えて、世界の歴史によってためされた団結の組織であるといえます。どんなにきびしい分裂策動や弾圧がくりかえされても、不死鳥のように労働者階級の団結とたたかいが広がってきたのは、これらに理由があるのです。

(二)労働組合の基本的性格

さて労働組合のおいたちからも明らかなように、長いたたかいのなかで鍛えられ、発展してきた労働組合の基本的な性格は次のようなものです。

第1に、共通する要求で団結してたたかう大衆的組織だということです。

ここで「大衆的」といっているのは、要求実現のためにたたかうことを認める労働者なら、思想や信条、身分、資格、性別、支持政党、宗教などの違いをこえて、誰でも加入できるという意味です。

ですから、労働組合ほど多くの労働者を結集できる組織は他にはありません。

そしてこの「多くの労働者の団結」こそ労働組合の唯一の力です。

またこの性格から考えれば、組合が特定政党への支持を決定したり、それを組合員に押しつけることは正しくないことがはっきり分かります。この特定政党を支持しないということは、「政治的中立」ということではありません。

組合は、「共通する要求」で団結したたかう組織ですから、要求で共通するならば、政党とも協力・共同するのは当然のことです。ただしその際、組合員の政治活動の自由を完全に保障すること、協力しあう団体相互の自主性を尊重しあうことが守られなくてはなりません。

第2に、労働組合は労働者階級が自らつくり、資本家やその政府を相手としてたたかう階級的組織だということです。

たたかいの歴史が示しているように、労働者が人間らしく生きるための要求や権利を主張すればするほど、直接の雇用主はもちろん、資本家階級と鋭く対立せざるをえません。

ぼう大な財力や権力を持っている資本家階級と対決して、生活、権利、平和、民主主義を守るためには、労働者も階級として団結し、社会的な力を大きくしてたたかう以外に方法はありません。また労働者には、職場と労働を通じて、階級として団結しうる客観的な条件が備えられているのです。

ここに労働組合の階級性が生まれてくる理由があります。

以上述べてきたように、労働組合は大衆性と階級性という性格をあわせ持っています。

ですから、労働組合の自主性を守って資本や政党から独立し、共通する要求で団結するという原則を貫いてこそ、本当の労働組合運動を発展させることができるといえるでしょう。

(三)労働組合の任務

労働組合の基本的な任務、課題は何でしょうか。

その1つは賃金や労働時間など労働条件を改善するという、日常的で身近な要求を実現することです。このたたかいを普通「経済闘争」と呼んでいます。

この経済闘争にはもっとも多くの労働者が参加でき、団結を固めあえるという特性があります。

労働組合にとっては、資本主義社会が続くかぎりこの経済闘争は続けるべきであり重要な任務であるといえます。

しかし、組合の任務をこの経済闘争だけに限ることはできません。

例えば私たち福祉労働者の場合を考えてみても、賃金を大幅にアップさせたり職員を増員させるためには、職場のたたかいだけでなく国や自治体の制度や法律の改善がどうしても必要になります。

また子どもや障害者、老人の人権を守ること、平和や民主主義を守ることも大切な課題です。

このように国民や労働者の生活を豊かにするため、民主主義を拡大したり、自治体や国の制度や政治を民主的に変革すること、さらには搾取のない社会を実現するためのたたかいを「政治闘争」と呼んでいます。

こうして経済闘争と政治闘争をすすめることが、労働組合の基本的な任務であるといえます。そしてこれらのたたかいを結合させ発展させるために は、資本家やその政府のさまざまな思想攻撃を打ち破る教育活動を強め、組合員の階級的自覚をたかめることが重要です。

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