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我有り故に我思う

2026年09月17日(木)

北陸新幹線与党PT?

No.250

 小選挙区制や公選法違反疑惑等々、「正当に選挙され」ているかどうかとの疑問は残るが、それはともかく、国政は国民の信託により「その代表者が行使する」のが根本原則のハズである。ところが、昨今、与党チームとか国民会議とか、いくら与党やそれに近い議員同士とはいえ国民全体を代表する訳ではない集団が、事実上の政策決定の役割を担っているかのような事例が既成事実化されようとしている。勿論、国会議決を経ない、閣議や担当大臣による「行政立法」の存在はその通りだが、それは閣議や大臣が、直接間接に国民・国会の代表だからこその話しである。与党の議論は、その党役員等を通じ、政府で練り上げられればいいことであって、最終的な決定は、やはり国会または国会を経た手続きのハズではないか。学生時代によく使った言葉で言えばマヌーバーというか、ヌエのような存在とも言うべきではないか。そのプロセスの議論が最終決定であるかの如く位置付けられることについては、どうも腑に落ちないと思うのは私だけか。

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2026年09月09日(水)

憲法を地方自治に生かす

No.249

 井上けんじが提唱する「憲法を地方自治に生かす、京都市政に生かす」とは ー
 例えば、憲法では、「地方自治」という項目が、第八章92条から出てきます。しかしここに載っているから、ではなく、その前の9条「戦争放棄」でも11条からの「基本的人権」でも、地方自治は生かされるべきだ、という考え方です。具体例として、例えば25条2項では「国は、社会福祉・社会保障等の増進に努めなければならない」と謳われています。井上説では、この第2項の主語は「国と地方自治体は〜」と読むべきだ、といったようなことを指しています。自治体も9条を守る義務があると解釈すれば、国が戦争準備を進めている場合、それは当然、国に批判の声を挙げ、「憲法を守れ」と言わなければならないことになります。教育への権利然り、生活できる賃金や雇用形態・労働条件で働く権利然り、等々ということになります。実は、これが突飛な考えでないことは、例えば京都市でも「基本的人権の尊重」などといっていることからして自明のこととも言えます(但し、市の言う「人権」は、それを守り拡充すべき国(や井上説では自治体)の義務の指摘ではなく、私人間の問題に矮小化してしまっています)。更に例えれば、公務員は、採用の際、「憲法を守る」と誓約書を書きます。ところが、その職員教育の際には、憲法との言葉はほとんど出てこないのが京都市の現状です。憲法を市政に生かす、京都市も市民の生存権保障の義務がある等と前述しましたが、具体的に憲法尊重擁護義務があるのは、自治体一般ではなく、市長や議員、職員、即ち公務員ということになります。実際問題としては、では市長や各議員・職員に、日常的にその認識があるかということになってくるでしょう。議会へ送って頂いたならば、私の質問に対し、市長は「尊重擁護義務はある」と答弁するでしょう。しかし9条についての前述のように踏み込めば、「それは国の問題、国の専権事項」などと言って、おそらく逃げるでしょう。そこが問題です。自民党や維新の中には、自らの主張と公務員の義務との区別がついていない人も居られるようです。例えば国政の問題ですが、党大会で公務員である自衛官に君が代を歌わせる等というのは、その区別が認識できていない証拠です。憲法批判は自由ですが、自身が公務員であるとの自覚は必要です。市議会でもどこの地方自治体の議会でも、そういう自覚を持った議員でなければならないのは当然です。

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2026年08月31日(月)

「北方領土」とは

No.248

プーチン・ロシア大統領が訪問したというのでニュースになった「北方領土」であるが、そもそもこれはどこの島のことか。この「北方領土」の表現こそ、私に言わせれば、コトの本質を曖昧にするヌエのような言い方であり、この言葉を使っている限り、返還への展望は見えてこない、というのが私の意見である。

 政府やマスコミでは、ロシアがどうだ、返還せよ等々と言う時は、決まって「北方領土」との表現が使われる。しかし私に言わせれば、この言い方は極めて曖昧である。イヤそれは歯舞・色丹・国後・択捉の四島のことだとの答えが返ってはくるだろう。だとすれば、それより北の千島列島は返してもらわなくてもいいのか、と更に言いたい。歴史的には前述四島のうち前二島は北海道の一部、後ろ二島は千島列島の一部で、そもそも区別が必要である。またほとんど無視されることが多いが、スターリンの蹂躙が根本問題とはいえ日本政府自身も、戦後の平和条約で「千島放棄」と署名している。「北方〜」が曖昧なのは、実は、私の言う区別や根本問題、条約等の経過を無視ないしは触れたくないことからきている。抗議するだけでは不十分だし、まして名前で呼び合って歓心を買おうとするなど、外交としては論外である。曖昧な表現は、実は、理詰めの外交交渉力の不足の象徴であり反映である、と私は思う。

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2026年08月11日(火)

生活と健康を守る会ニュースの原稿より

No.247

何人かのメンバーでローテーションを組んで、同会ニュースのコラム欄の原稿依頼を頂いています。私もその一人ですが、最近号では次のような文章を投稿しました。二つのうち、どちらかを選んで頂いているハズです。版権は生活と健康を守る会にありますので、趣旨は変わりませんが、文章は少し修正しています。

※     ※

●あんまり暑いので腹立ち紛れに話題にする。戦闘機が1時間飛ぶと車8年分の燃料消費、軍艦1時間なら21年分と、少し古いが資料あり。車の燃費がよくなっているとのことなので、数字は変わっているとは思うが。兵器の製造や軍事演習、まして実際の戦争ともなれば膨大な二酸化炭素排出、一層の温暖化が加速されるのでは。核兵器開発も又然り。核の使用は原子雲が太陽光を遮り「核の冬」と言われるが、開発は「核の真夏」ではないか。軍縮と核廃絶は、勿論、命と平和の為にこそ不可欠の課題だが、熱中症と酷暑防止の為にも一刻の猶予もない。当面は、自宅の電気代節約の為、スキがあれば冷を求めて大型店でモノを買うふり。平和運動も忘れずに。

●自転車で走りながら、涼を求めて強い風を期待。スピードを上げると向かい風が強くなり、してやったり。しかし、おや? 体が熱くなって却って暑くなるとはこれ如何に。今の世の中、社会の必要量とは無関係に生産一路優先だから過剰生産と浪費は必然。市電や公共バスの縮小が典型だが車の購入が社会的に強制されてきた。膨大な広告宣伝と廃棄物処理の費用とエネルギー。同時に、最大の温暖化加速要因は軍需生産と軍事演習、核開発。実際の戦争ともなればなおさら。「抑止力」は際限のない軍拡競争、一触即発の危機。どこかの国からの攻撃とやらの前に、こちとら熱中症でやられそうだ。

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2026年05月11日(月)

忙中閑あり

No.246

 腰痛の医者から「歩くように」と言われていることもあって、合間を見て、連休中の一日、ハイキングというか、軽登山というか、以前からも機会があればと思っていましたが、念願の「賤ヶ岳」(標高421m)へ登ってきました。北陸本線「余呉」駅にて下車、余呉湖の東側の尾根から登りました。写真は、南西方面に広がる琵琶湖の最北東部の一部です。辛うじて竹生島も写っています。帰路は、頂上南側直下のリフトに(は乗らず、)沿った下山路を下り、木ノ本駅まで歩きました。願わくば、リフト乗り場から、東へ下山せず真っ直ぐ尾根を南下、山本山まで歩くコースがいいそうなのですが、時間もなく、今回は断念しました。
 頂上や山中に、誰が砦を築いたとか、誰と誰が闘ったとか、等々の案内や標識もあり、「歴史好き」の人には、そういう時代に思いをはせる楽しみもあるでしょう。私としては、その砦に石を運んだ人たちの山登りの苦労は如何であったろうか、案内の看板には「兵士の血で余呉湖が真っ赤に染まった」とも書かれていましたが、名もなき雑兵たちは一体どんな想いで戦に参加したのか、させられたのか、といったようなことを思いながらの山中でした。刀や槍が鉄砲と大砲に変わり、今やミサイルと核兵器に変わり果ててしまいましたが、人の命を奪うことが、なぜ戦争なら英雄になるのか、科学技術の研究や発展は一体誰の為に何の為に、といったようなことを、あらためて考えさせられる登山ではありました。
 忙中閑ありと、標題には書きましたが、道中にも、電話は相変わらずですし、こちらから掛けなければならない用事もあります。「きょう日中の対応は難しいです」とはご返事しながら、今どこに居ますとは敢えて言わず、電話だけで用を済ますこともできるというのは、やはり便利な世の中になったと、「サボってる」感を和らげてくれる効果もありといったところでしょうか。

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