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我有り故に我思う

2021年10月13日(水)

市「上質宿泊施設要綱」は廃止すべき

No.228

仁和寺門前における上質宿泊施設候補の選定は無効だ     2021/10/6   井上けんじ

 今春、市の「上質宿泊施設誘致制度要綱」にもとづき、事業者からの計画の提出、これを受けた有識者会議開催を経、市において、本計画を上質宿泊施設候補として選定と、4/19付、広報されている。そこで、以下、この選定は間違いであり取り消されるべきである、もっと言えば、上記制度自体の廃止を求める、との立場から、その根拠等について、自分なりに頭の整理をしておきたい。
 本制度は、「上質云々」と銘打ってその上質とやらの各指標である歴史や文化、地域の活性化への寄与等々を審査の対象とするという建前を装っているが、実際は、原則、違法であるところの「制限区域」での施設建設を、何の手続きも経ることなくハナからの前提として既成事実化してしまうという点にある。ここが問題の本質である。その「制限区域」での例外を、何の根拠もなく、また手続きも踏まず、所与の前提としたうえで、質の程度や可否の問題にすり替えているのである。上質か下質かは、程度の問題であり主観的なもので、本制度の根幹でも何でもない。本質を隠すダミーであり隠れ蓑でありイチジクの葉っぱにすぎない。論点が意図的にそらされている。
 要綱のフレームは以下の通りである。即ち、事業者が上質たる計画を立案、市に提出、市長任命の有識者の意見を聴取、市長が上質候補として選定の可否を判断、選定されれば、その「質」を維持する為に事業者は引き続き努力していく。更にその後、次の別制度に基づく手続きに移行していくことになる。しかし、である。本制度は、提出すべき計画をどこで具体化するか、どこで立地するのかと言えば、それはそもそもの前提として「制限区域」だとされている。「上質宿泊施設計画」とは、「制限区域」内での計画のことをいう、というのが要綱上の定義である。「制限区域」外での施設建築の計画や申請は、そもそも本制度の対象にはならない。五つ星の超上質施設を計画し、市に提出しても、宿泊施設建築可能な地域地区での計画である限り、受理すらしてもらえないとの仕組みになっている。一方、審査の対象とされたが選定されなかったとしても、手続き上は何の障害にもならない。今後の別の手続き上、不利になるとか、市民的な評価がどうであるとかの影響は免れないとしても、「建ててはいけない」とはならない。そもそも、本要綱にはそういう想定については何らの規定もない。「上質」かどうかは問題の本質ではないのである。
 周知の通り、建築基準法第48条では、一定の地域では宿泊施設は「建築してはならない」が、例外的に、特定行政庁が「許可に利害関係を有する者の出頭を求めて公開により意見を聴取し、かつ建築審査会の同意を得」たうえで許可すれば、「この限りでない」とされている。つまり、制限区域での建築は、厳重な手続きを経たうえでなければ許可されないのである。そんな手続きは誰も踏んでいない。今の時点では、原則通り禁止されている状態なのである。然るに、本制度は、そもそもからその「制限区域」での計画立案が前提とされている。上質かどうかの判断以前、それどころか何らかの計画の提出の有無以前、有無にかかわらず、要綱の存在自体が、法律上の手続きを勝手に踏みにじり、法律上の「例外」を既成事実化してしまっているのである。
 昨年1/24の市議会常任委員会での私の質問に、担当部長は「様々なプロセスを全て通ったうえで」、「選定されたものが自動的にそのまま許可を受けられる訳ではない」等と答弁されておられた。確かに、今後、建築基準法に基づく手続きに移っていくし、そこでのハードルがあることはその通りである。同法での手続きのキモは、市長が例外を認めるかどうか、建築審査会の同意を得られるかどうか、にある。然るに、そのハードルは、この上質制度が、その例外の可否の判断の本命である同法48条の手続きに先立って、既に前提的にクリアしてしまっているのである。審査を経て、認める認めないを決めるのではなく、制度の枠組みそのものが、既に例外を認め、制限区域での立地を前提としたものとして設計されているのである。本制度で上質と選定されなかったとしても、その後の建築審査会での審査を何か左右するものでもない。委員の心証には影響があるかも知れないが、基本的には別の手続き・概念であるから、建築審査会は、あくまでも都市計画法と建築基準法の趣旨に則って判断されるべきであろう。事業者にとっては、「上質との選定」がカギなのではない。提案が受理された段階で(制度的には制度の存在の段階で)、その時点で建築基準法上の例外が認められたことになるという規制事実が得られるのである。繰り返しになるが、「制限区域」での計画が、本制度上の計画であるからである。受理は市長の権限であるから、既にこの時点で市長の「意思」は明白である。建築基準法上の要件を満たさずに、市長は独断で「許可」しているのである。そのこと自体が、要綱が法律の規定を超えており法律のルールを無視しているから、要綱のこの部分は違法であり無効である。またこんな状態で建築審査会が、その後の手続きとして開かれたとしても、既に市長の意思は明白、どころか圧力として働くであろう。制限区域での計画を既に受理されている提案に異を唱えることが、市長任命の審査委員に可能であろうかとの危惧を禁じ得ない。
 一般に何らかの申請において、複数の諸手続きを経なければならない場合、行政等の各部署は各々の専門性に応じて夫々のハードルを設けて審査するのであって、同一の部署が複数の要件を審査することはあっても、通常、同一の要件を複数の部署が審査することはない。然るに本件事例では、「制限区域」での建築の可否を、異なる部署と方法によってダブルチェックとされている。というより、まず本制度での手続きはチェックではなく、ノーチェック、どころか、そもそも制度の前提とされている。本要綱は、「制限区域」での建築の可否を審査するためのものではなく最初からの前提としている。「諸手続きのうちの夫々のハードル」との答弁はあたらない。上質の可否の選定との外観を装って、制限区域での建築許可を既成事実化しようとするのが、本制度の本質なのである。
 そもそもその要綱を定めたのが市長であり、今春、候補として選定したのも市長である。事業者から計画の提出を受け取った時点で、仮にその後、上質とは言えないとの評価であったとしても、既に受理の時点で、市長の意思は既に明確である。その後、建築審査会が開かれても、結局は「出来レース」にしかならないことが危惧される。市長は、虚心坦懐、心涼やかに審査会の同意の有無に素直に従うということではなく、既に「上質〜」の手続きにおいて「例外を認めるとの許可」を強力にアナウンスしているのであるから、これは、審査会各委員の、都市計画法と建築基準法の趣旨に則った純粋な判断に対し、制度としてプレッシャーをかけてしまうという構造になってしまっているということである。穿った見方をすれば、本制度の本質は、「上質云々」ではなくて「制限区域」での建築を可とするものであるばかりでなく、結果として、ではなく、元々、この「制限区域」での建築を、利害関係を有する者の意見聴取や建築審査会での審査の前に、予め認めてしまおうとするものである。
 憲法違反の法律は無効であり破棄されなければならない。法律違反であり、法律の手続きに介入する要綱は無効であり破棄されなければならない。個々の条項が違反でありその部分が無効というよりも、本制度は「制限区域」での建設を前提とした制度であるところから、制度全体が最早無効である。引き続き市を追及していきたい。 以上


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2021年06月16日(水)

「財政危機」ならぬ「地方自治の危機」4

No.226

「財政危機」ならぬ「地方自治の危機」その4

= A国の税財政制度政策への批判的視点と累進的発想の欠落 =          = B自治体の、危機ならぬ変質へ =

 6月7日、市長が「行財政改革計画」(案)を発表。昨秋以来、小出しで「行財政改革」方針が出されていたが、その中で、新年度にはまとまった計画を出すと言っていたものの具体化である。「お金が無い」の部分は従来通りの展開であるが、むしろ今後の「道筋」や「改革の取組」との方針部分で、かなり踏み込んだ改悪案を具体的に打ち出している点が特徴である。一言で言って、いつも言っていることではあるが、本稿の副題Aが、まず私の評価である。同時に、個々の具体的改悪案のすさまじさとともに、総論的に言って、京都市が今以上のトンデモナイ方向に更に舵を切ったという印象を受けている。これが追加の副題Bである。
 表題「地方自治の危機」との根拠について、私は今まで、 嶌眄危機」の要因として国の税財政制度政策が大きいのに、ここへの批判的観点がない、追随が目立つ。△海隆囘世魴舁遒気擦燭泙沺∪譴藥毀韻悗寮度施策の後退や縮減、切り捨て等一辺倒へ突き進むことは「住民福祉の向上」を旨とする自治体の本旨に反する、の二点を念頭に置いてきた。しかし今回、「地方自治の危機」は、更に深化している。「危機」から「変質」へと変質しつつあるという気がしている。その印象の所以を考えてみたい。
 まず今回の「計画」は、従来にもまして、,發ΕΕ鵐競蠅垢襪曚鼻慳唄峅宗戮強調されている。「本市が抱える課題に対し、民間企業等と連携し…」「民間事業者に…ノウハウが蓄積されている業務等、積極的に民間活力を活用する必要」「民間活力導入による業務の効率化と市民サービス向上…」…。さらに、直接「民間」という表現を使わなくとも、「活性化」「PFI」等々、事実上の民間化を推進するような表現も数多い。
 しかし私の、「変質」との印象の本命は、◆惻益者負担』という、為にする論を立て、負担と給付の1:1対応をめざすという方向である。曰く「市民が受けるサービスの水準と市民負担の水準を均衡させることが原則」と、これは市財政全般と市民個人についてと、二重の意味で使われている。この趣旨は何度も出てくるし、この発想は本「計画」の基調にもなっている。私は以前から、「敬老乗車証や国保、保育料など、制度対象外の市民、被保険者でない市民、保護者でない『市民からの税金がつぎ込まれている』云々との言い方は、市民間の対立と分断を煽ると、この言い方を批判し、「市長の給与や退職金は彼が払っている税金で賄っているのか」、「動物園の運営費は入園料だけで賄っているのか。そんなことはありえない」と例示してきた。
 ところが、である。今回の「計画」では、「施設使用料も、運営費に対する割合を高めていく」「手数料は、受益者負担割合を原則100%とし…」云々とされ、その考え方として「利用する方としない方との負担の公平性をとる必要」が挙げられている。私にとっては「ありえない」ハズであった考え方の更にその先を市長は走っている。これは、分断や対立を煽るというにとどまらず、会計や財政、税金の大原則から逸脱している。総計予算主義原則や、資源配分・所得の再配分等、財政や税金・社会保障等の役割や原則への、真っ向からの挑戦である。国民の権利とそれに対応する国家の義務という公的関係を物の売買と同じような市場原理に置き換えようとするものである。「本来、給付はそれに見合う負担が伴うのに、財政を通じた給付は負担と直結しない為負担抜きを当然視してしまう。『財政錯覚』だ」として非難するのである。まさに新自由主義の具体化であり貫徹である。「危機」ならぬ「変質」との私の認識の変化の根拠は、まさにここにある。これは、「財政が危機だから」とは全く別の次元の話への、悪い意味での飛躍である。
 そもそも、「受益者負担」論自体が為にする議論であって、保育は保護者だけでなく社会全体の将来に向かっての、「益」と敢えて言うなら「益」であるし、動物園はその存在自体が、いわば文化であり公的に運営されるべきものである。高齢者の外出促進は社会全体の利益に繋がる。「障碍者を差別する社会は脆い社会」と、かつて国際障碍者年の時に言われた。これらは狭い意味での「利益」ではなく、国民の権利であり決して「益を受ける」わけではない。
 一方、敢えてもし「益」と言い張るなら、では大企業の益はどうかと私は問いたい。例えば宮本憲一教授などが常々強調され、また1975年当時、京都市自身の財政審議会も指摘されていた通り(座長は京大の池上惇先生であった)、大企業の都市集積「利益」等については、市長や、今回の行財政審議会の先生たちはなぜ触れないのか、彼らの歯牙にもかからない。「受益者負担論」は、専ら、庶民に負担を押し付ける為の、為にする議論なのである。ついでに言えば、大企業の都市集積は財政需要の増大をもたらし、この部分の負担を免れているまたは軽減されているという実態もまた大きな論点である。新自由主義は、庶民も大企業もみんな一律にレッセフェールでは大手有利で強い者勝ちだから不公平だ、というだけに留まらず、大企業や富裕層には、減税や、集積の利益擁護・負荷不問、営業環境整備などむしろ積極的な保護支援政策なのである。本「計画」でも、デジタル創造都市とかグローバル都市、「必要な規制緩和」「市街化調整区域における産業用地創出」「文化と経済の融合」「スポーツと産業分野との融合」「公園や森林の特色を生かし民間活力の更なる導入」「仮想空間においても売り上げ増加」等々といった言葉が躍っている。
 今一つ指摘したいのは、「危機」を「根拠づける」市のデータや説明の類についてであるが、「夫は妻にウソをついているわけではないかもしれないが全部を語っていない」。公債償還基金の枯渇とばかりが強調されるが、その前に、今後の収支の見通しの、もっと根拠をもった精査が必要である。そもそも予算は単年度毎に編成され議決され執行されていくものなのに、今後、「毎年○円の不足が生じ、5年間で5×○円の不足が生じる見込み」との言い方も、この単年度主義から言ってどうなのか。また各年度毎の収支についても、例えば10億円単位の項目が20にも及べば、計200億とは言っても、四捨五入で、最大100から280億までの幅があることになる。上限を設定しているのに、例えば投資的経費は、今後、何故昨年度今年度よりもずっと多くなるのであろうか。社会福祉経費の増を消費的経費等の削減で賄うとしながら、一方ではその「社会福祉経費の増加自体の抑制にも取り組む」などと言っているのである。基金に限ってみても、今後の各年度毎の返済額とそこへ向けての毎年の積立必要額のデータが出て来ず、「あるべき残高」の根拠が不明である。今年度の実際の残高のうち1/3は臨時財政対策費分であることなど、ここでも、国の責任の追及に及び腰だからなのかどうか、極めて小さくしか書かれていない。交付税減も書き流されているだけで、大問題だと本当に思っているのかどうか、疑わしめる。過去の市債発行についても、高速道路のことは全然出て来ない。「都市格向上に」「必要な投資事業でした」と言うのはちょっとはばかられるとでも思っているのであろうか。
 最後に、前から言っていることの繰り返しだが強調しておきたい。市民税の高額所得者の所得割を三位一体改革前の税率に戻す、国の法人税減税が自治体の法人市民税減収に連動しているところからこの点を国へのアクションの課題とする等々、私の提案に背を向けている限り、市民リストラはありえない。本当に「危機」を何とかしたいと思っているのか。北陸新幹線推進や油小路通地下バイパス計画も「危機」を疑わしめる。「国の財政も大変」と言っているようでは危機打開は覚束ない。そんな認識での市民リストラは筋が違うと言うべきである。国の税財政制度政策への批判と、前述の市民税率に示される累進性という二つの視点を欠落させたまま専ら市民へのリストラに突っ走るのは、はじめにリストラありきなのかとさえ思えるほどである。
 かくなるうえは、当面の課題改善の方向として、地方自治尊重の国の政府を実現し、あまり方向はよろしくないが、「上からの」改善も一つの在り方だと思う。野党共通政策や市民連合において、または「憲法を地方自治に生かそう」と思っておられる研究者の先生やその筋の関係者の皆さんたちが、「野党共闘政権に期待する自治体政策(案)」を発表され(この方式は各分野毎での関係者の皆さん方の準備と取り組みを期待したいところだが)、例えば「交付税の大幅増額、臨時財政対策債の廃止」等を掲げて頂くようにするなどのことを考えてはどうか。「野党共闘で政権交代を、新しい政権で地方自治体財政(※)危機打開を」とのスローガンはどうだろうか。京都市をはじめ全国の地方財政危機に悩む自治体関係者の皆さん、本当に悩むならその打開の方向は野党共闘にありと、心から訴えたい。少なくとも、自民党や公明党を応援しているようでは、私の前ならいざ知らず、市民の前で「お金がない」などとは言わないようにしてもらいたい、と言えば言い過ぎであろうか。「危機」がもし事実であったとしても、市民の皆さんには全く何の責任もないことだし、また国の自治体イジメは、政党で言えば自民公明政権の政策なのであるから。

 (※)なお私は、地方財政とか、まして地方議員という言い方には到底賛成できない。私はあくまでも京都市会議員であり、また全国の自治体議員一般全般を総称して言う場合でもそれは地方自治体議員であって、略すなら自治体議員である。法制度上、条例より法律が優先するのは全くその通りであるし、社会変革戦略においても羽仁五郎や「地域政党」ばりの「自治」ならぬ、一国の制度改変が根本であることは言うまでもない。国会が国権の最高機関なのである。しかし一方、来るべき将来社会においてこそ中央指令型ではなく地方自治が花開くのであり、文字通り、地元の、自治体の、その地域の住民の、代表たる議員なのである。現代の運動は、今の今の改善課題から出発しながらも、同時に未来社会のありうる方向をも、目標として設定しつつ、目指していくものでもあると思う。ちなみに、「地方」に対するこの発想は、今は亡き我が遠藤晃先生の教えから得たものである。大阪の初村尤而先生も、この遠藤説を紹介しておられる。
 話があらぬ方向へ行ってしまったが、市長の「行財政改革計画案」については、言いたいことはいろいろあるが、また他日を期したい。このホームページの議会報告ビラの欄や議会論戦欄、コラム欄等もお読み頂いてご批判賜りたい。よろしくお願いします。



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2021年04月16日(金)

「財政危機」ならぬ「地方自治の危機」その3

No.225

「財政危機」ならぬ「地方自治の危機」 その3
(コラム欄、及び議会論戦、議会報告ニュース欄等もご覧下さい)

1、審議会答申への感想

 3月23日に「行財政審議会」の答申が出され、一応の段落を見た。本来ならこの時点で感想とか評価とか、一定の論評をすべきであるが、私としては、今まで書いてきたことで、概ねの感想は尽きている。はたして、審議会答申は、これまでの議論をまとめられただけで、目新しいと思えるものはほとんど何もない。辛うじて、「コロナが収まるまでは弱者に対する施策の見直しは配慮を」との趣旨のコメントが付け加えられたが、これは小西教授のせめてもの良心と言うべきか。しかしこの配慮も、答申全体の基調に何らかの影響を与えるものでもない。悪く言えば、言いたい放題のまま審議会はその役割を終えた。そのポイントを端的に言えば、「収入を超える支出を続け、その差額を基金で補填し続けてきた。このままではその基金が枯渇する。その超える支出とは主に福祉分野であるからここを削って収支均衡させ、もって基金からの補填をやめ基金の涵養を図る」といったようなことであろう。まことにとんでもない答申と言うべきである。
 一番最初に書いたように、財政の議論をしているのに累進性的発想がないことと、国との関係で議論する観点が全く欠落している。一自治体の中の「穴掘り闘争」だけで、今日の地方財政危機、従って京都市の財政危機も、根本的には何とかなるわけではない。「相手のある話は即戦力にはならない」というのは言い訳であり弁解であって、要するに避けているだけのことでありそもそもそういう視点が無いだけのことである。「国いいなり病」が市長だけでなく審議会にも蔓延している。審議会なればこそ、中期的な見通しも持ち一定は研究的な要素も加味した答申とすべきなのであり、そうしてこそ「学識経験者」の皆さんの知恵の結集たる答申と言うべきなのであろう。自治体とは、まず住民の福祉増進の為のセルフガバメントなのである。その議論が無い。その為の出ずるを量ることが先決なのであって、その前提の上に、ではその為の財源をどう賄うか、入るを制すという順序なのである。とはいえ現実にはそういう原則通りにはいかないのも事実で、ではなぜいかないのか、その追求は結局は国の行財政制度政策の壁にぶつかることになり、従って原則の回復の為には、その壁を批判的に乗り超えることが不可欠の課題になってくる、という、まずその道筋の認識が必要なのである。
 いやいや、しかし最早これ以上はもう言うまい。よせよせ問答。むしろ私にとっては、この答申を援用しながら市が現在準備している、実践的な「行財政計画」の方が一層要注意である。新年度に案が出され、パブコメを経た後に案が取れるとされている。新しい年度が始まったばかりとはいえ、早くも来年度再来年度に向けての攻防が始まっている。

2、一般会計予算全体への感想(予算議会を振り返って)

(1)3月12日の再起支援補助金補正予算委員会では次のように指摘した。「元々財政は出量入制。求められる政策が先にありその為の必要財源を賄うとの原則。今回の預託金がその証明。家計とは違う。しかしその原則通りにいかない現実がある。ではなぜいかないか、その追求は国の税財政制度政策への批判的検討に行き着くが市はその視点が欠落。どころか、収入の範囲での施策=入量出制という現実論から言っても不十分。”要な課題をハッキリさせた上で、しかし-1財政の制約で困難だと思うか、いや-2お金を造ってでも対処しようと思うか、その論点に行く前に必要課題明確化の視点が欠落」。

(2)これは本予算案についても言える。即ち、一般的には-1「住民福祉の増進」、-2今日課題的にはコロナ対策、またはその他の必要課題設定の議論抜きに、しかも△-1または-2の検討もせず、一足飛びに、ハナからの「財政危機」論に飛躍していることが、市の予算方針の最大の特徴であり問題点である。

(3)そこで、-1住民福祉の分野で言えば、まず少なくとも、重度障害者等利用事業所支援事業補助金の見直し、私学高校教育奨励助成廃止、乳がん検診廃止、被災者住宅再建支援制度廃止、生活保護世帯修学旅行援助金削減等については、仮に-1の検討をしたとしても全く妥当ではない。市民生活の最も基礎的な部分だからであり到底容認できない。-2の部類に属するからである。保育料や介護保険料の値上げ、印鑑登録証再交付手数料や自立支援医療診断書料の新規徴収も認められない。

(4)-2コロナ対策で言えば、ワクチン接種と制度融資預託金が、方針上も、従って額としても中心を占めており、感染拡大防止策では、その為の現下の課題である検査の拡大充実が時宜にふさわしく位置付けられていない。国においては、科学的知見の軽視と自己責任、ポストコロナへの傾斜が中心であり、市も多分にこの影響を受けていると言える。現状認識と分析の不足、課題の抽出・設定が不明確で、市民へのメッセージも不明確である。経済対策も購入・調達の事後的実費補填だけで、減収分自体への給付金支援は、市独自としては皆無。最新の補正予算の再起支援補助制度で辛うじて今後の家賃補助がメニューに載ってきたことは一歩前進ではある。相談対応や申請手続きなどの民間化が進められ、直接的な公的相談窓口が狭くなりデジタルデバイド等ハードルが高くなっている。

(5)予算案全体の特徴としては、まず上記(2)〜(4)の各項の通り、ささやかで身近な市民向け施策の切り捨てと、コロナ対策の不十分さが挙げられる。後者については、対策の前提としての実態把握の不足、現状認識と課題設定が必ずしも的を射ているわけではないことが、不十分の要因である。更に、際限のない「民間活力の最大限の活用」路線で、公務が民間企業の営利事業の対象に提供されていること、国言いなりのデジタル化とマイナンバーカード強要により窓口の縮小や個人情報保護流出、監視社会化が危惧されること、さらには「クラウド」により自治体の情報が文字通り雲の中で、施策の国基準への横並び、団体自治の後退等々が危惧されること等も特徴である。首都圏からの誘致、海外からの京都創生への支援獲得、都市間競争、成長戦略、等々の言葉が踊る。土地のみならず空間の活用まで打ち出す有様で、単なる景観破壊に留まらず、大手誘致による、「健康で文化的な都市生活」よりも「機能的な都市活動確保」(都市計画法ではこの順序で基本理念が謳われているのに)を優先させる方向がめざされている。被災者住宅支援策打ち切りの理由として「自助」が掲げられ、これ自体、スガ政治言いなりの具体化でとんでもないことであるが、更に住宅支援に留まらず、(2)にて前述の通り既に市政全般に一般化され他の分野にも広げられつつある。団地再生、管理・公募戸数の適正化・最適化も「住まいは人権」への行政責任放棄、住宅分野における自助押し付けの具体化である。来年度以降も視野に入れた方針とされている。

(6)しかし何と言っても予算案の最大の特徴は「財政危機」一辺倒が、その基調になっていることである。昨年9月の'19年度決算実績報告書では「仮に…取崩を継続した場合、機械的な試算になるが、十数年後には…枯渇する恐れ」とのことだったのが、その直後から、突如「5年後の'26年には枯渇」と強調され、これが一人歩きしている。「危機」論自体の検証と精査が必要である。
 −1)まず「枯渇」論の検証が要る。そもそも昨秋からの「500億円不足」説も、収入支出の各項目の額の根拠が不明確で、数字も大変ラフなものであった。「現時点における大まかな見通しを50億円単位で整理したもの」とのこと。にも拘わらず500億だけが一人歩きして市民への脅迫材料になっている(市民新聞2/1号「今後、毎年度500億円もの財源不足」)。しかし予算書では、この500億が236億になりしかもそのうち123億はコロナ影響とされている。取崩額は181億と言いながら、コロナがなければ58億である。この点で慢性「危機」とコロナによる急性危機との混同がある。元々、基金を取崩して補填しなければならないかどうかの前に、その前提として今後の各年度の収支の各見込み方の精査が必要である。特に投資的経費や新規政策枠の根拠が薄弱である。答弁では「現時点での試算、今後毎年精査していく」と今後の変動の可能性も認めている。基金取崩しの前提が、いわば架空の楼閣とも言える代物なのである(この点に関連し、自民党も「収支不足穴埋めに今後も基金を補填し続ければやがて枯渇する」との市の言い分を批判している。おもしろい。しかしこれは、もっとも、と言うか、但し、と言うか、「基金を補填しなくてもいいように収支均衡させよ、もっとリストラを強化せよ」という趣旨なのであるが。この発想には公明等も賛同している)。
 −2)次に、今日の財政状況に至る過去の財政活動の総括が必要である。「脆弱」論は言い訳に過ぎず、後述の通り、交付税増額要求の焦点を曖昧にするだけである。市税が少なければ、国において交付税措置されなければならないし、その合計額が少ないのは交付税が減らされていることに起因する。地下鉄東西線建設における相次ぐ契約変更による建設費大膨張、「渋滞解消」のはずだったのに閑古鳥の鳴いている高速道路の市負担だけでも600〜700億円もの浪費、「戻ってくる」との約束を反故にしてその高速道路への出資金113億円の債権放棄、JRの事業なのに市からも15億投入の梅小路新駅とその隣の6億円の横断歩道橋、等々、深刻な反省が要る。法人市民税の国税化にも全く無批判的に追随し、法人市民税減収を招いている。三位一体改革の本質は、僅かな税源移譲と引き換えに交付税の大幅減額であったが、はたして今日その通りになっている。当時その国の意図が見抜けなかったとしても、今日、その結果から見れば批判的反省的な総括が必要なハズである。
 −3)ところが、市の、総括と現状分析は「財政危機は…国基準を超える福祉施策等…が大きな要因」というものである。審議会の議論の基調も然り。しかしこの短絡思考については、前述、3(1)--にて既に反論済みである。△-1または-2の議論の前に、\治はまず何をしなければならないかの議論が欠落している。その上で、では現状の確かに財政制約の中で、以下に後述の通り歳入増歳出減への努力や検討はどうかと言えば、これは全く不十分であると言わなければならない。
 −4)そこで、歳入増への努力はどうか。法人市民税法人税割について、制限税率一杯までの税率引き上げの党の提案に背を向けている。「超過の税率だけを議論するのは妥当かどうか」(鈴木副市長)等との答弁は、そもそもの税収増志向自体を疑わしめるものである。法人税減税の影響が法人市民税法人税割税収に影響があることは予算委員会で認めたが(林税務部長)、かといって国に声を挙げるわけでもなく、現状追随の姿勢であった。個人市民税所得割についても、高額所得者の税率アップを提案したが、これもフラットを是とし、党の提案に背を向けた。「せめて三位一体改革以前のように三段階をとは思うが税法の「同一税率」との規定が壁になっているのか」との私の問いに、部長は「町会費と同じ」と、市自身フラットを是とする答弁であった。「町会費論」は課税の根拠ではあっても、フラットとの根拠たり得ない。利子や株の売買収入にかかる住民税は府民税だけであるが、率は僅か5%であり、この税率をアップさせ、府税交付金アップに連動させれば、市にも環流されると提起した。辛うじて資産性所得の税率アップを要求していると答弁はしたが課題意識は極めて弱い(ちなみに'19年度決算による府の収入は、利子割525,722千円(うち、市への収入は'19年度決算で192,128千円、以下同)、配当割4,361,800千円(1,555,705千円)、株式等譲渡所得割2,382,830千円(851,842千円)。仮にこの税率が10%としてその2倍化がそのまま市への交付金に反映するとすると、ざっと25億円の増収が得られることになる)。ちなみにこの5%も例によって地方税法で決められているが、仮にまず5%でもいいから自治体で決められるように、国のおせっかいはもうやめるべきではないか。交付税増額とは言っているが、一方でトップランナー方式等交付税の性格を歪めるような動向に迎合しているようでは腰が据わらない。市独自で「非居住住宅税」を検討中であるが、対象や税率等論点未整理部分が多い。大企業・富裕層と国への遠慮と追随が先行し、累進性的発想が極めて弱い。歳入増への意欲は感じられず、「財政危機」を疑わしめる。
 −5)審議会では、新税は時間がかかる、対国は相手のある話と言って、目先の切捨策に終始しているが、今日、市においてはこういう弁解すら聞こえてこない。目の前の課題への対応と歳入増への議論や研究は併行し得るし、この議論等は課題対応を妨げるものではない。'26年基金枯渇論は別にしても、市の「今後の財政見通し」との表等では10数年スパンでの予測となっているが、一方で、国の税制は年毎の予算で変更されている。国の政治さえ変われば自治体財政危機打開への展望は大きく開けていくが、その為にも地方自治体サイドから政策的発信を続けていくことが欠かせない。
 −6)一方、歳出減への努力はどうか。企業立地補助金について、大企業除外を求めたが、「中小企業も対象」などと論点をそらす答弁。北陸新幹線については「財政極小化を」と何の裏付けもない単なる願望を語るだけ。堀川・油小路地下バイパストンネルについても指摘した。芸大は今からでも凍結すべきと求めた。福祉三施設統合や、統廃合による学校新設費用についても質した。今もまたマイナンバー押しつけに広告費などを使っている。
 −7)このように見てくると、市の言う「財政危機」を単純に所与の前提として受け容れる訳にはいかない。この点は、他党と我党との決定的違いである。現状打開に向けた我々の積極的建設的問題提起や提案に対し、一顧だにせず、弁解と言い訳、論点そらしと居直りを繰り返していることは、「危機」そのものの内実を疑わしめるものである。まして、施策の切捨や市民負担増は、仮に「危機」がその通りだとしても絶対に避けなければならない類のものである。政策の方向が全く逆向きとなっている。税収における累進的発想と国の税財政制度政策への批判的検討抜きに今日の地方財政危機打開はあり得ない。市の本当の病は、財政危機というよりもむしろ、市民リストラ以外に危機打開への方向を見いだし得ない展望なき短絡思考と思考停止病であり、自治法で言う「住民福祉向上」との視点の欠落、国言いなりという意味で、自治体の精神を失った地方自治の危機とも言うべきである。

(7)市民分断と「危機共有」論も市長予算提案の特徴である。敬老乗車証や保育料、国保料などについて、70歳未満の市民や保護者・被保険者以外の市民からの税金がいくら含まれている等と強調されている。予算委員会では、市民の間に分断と対立を図ろうとするもの、との立場から批判した。同時に、税金や社会保障の在り方、性質、意義、所得再配分機能、総計予算主義等、即ちある制度がその負担金や利用料使用料等直接の制度利用者の負担以外の一般財源から支出されるのは当たり前のことであるとの立場からも批判した。端的に私は、「市長の給料は市長の払っている税金だけで賄われているのか!?」と批判しているが。なおこの問題について、古本であるが最近読んだものの中に次のような趣旨の指摘を発見した。「『市場ではサービス享受と負担とが照応するが、財政ではこれが一致せず大衆は負担を回避したまま給付だけは享受できるかのような錯覚が生まれる。これが赤字財政のもとである。この民主主義のいきすぎ論・財政錯覚論』が、ケインズ主義批判として登場し、ここからも財政守備範囲見直し・公共への市場メカニズム適用との新自由主義へと繋がっている…」(1998年、新日本出版社「日本財政の改革」所収「財政構造改革路線と社会保障構造改革」二宮厚美先生)。即ち新自由主義者にとっては、上記「一般財源からの支出は当たり前」ではない、まことに荒唐無稽な論であると言わなければならない。併せて、実は先生のこの論は、「収入以上の福祉支出が財政危機の要因」との前述(6)−3)での「市の総括」への先見的な批判にもなっている。さすがは二宮教授。あらためて敬意を表し、目を見開かされる思い。市債の発行が将来世代への負担の先送りとの言い分も世代間・階層間の分断を図るものであり、むしろ「負担を世代間で均衡させる機能」があるとの立場から批判した。

(8)市長は再三「市民と危機感を共有…」を強調。仮に「財政危機」だとしてもその責任は、唯一、予算編成権を持っている市長と賛成してきた議員にあり市民には何の責任もない。自身の責任を棚上げして客観的な不可抗力の如き問題の立て方をするのは、結局、真の責任の所在を免罪し隠蔽し、ことの本質をそらすもの。この点についても指摘し批判した。

(9)財政規律からの逸脱やふるさと納税についても批判し問題点を指摘した。例えば法人市民税の超過課税分が「産業振興や社会基盤整備等に活用」との市の説明であるが、諸税目収入が市の財布に入りそこから必要な各項目に支出されていくという総計予算主義からの逸脱であり、その背景には市民には容赦がないのとは対照的に大企業への遠慮があることを指摘した。ゴミ袋代の「財源活用」も、活用と言うなら手数料流用であり、同額を活用というならそれは単なる一般会計の使途の問題に過ぎないと、その矛盾を指摘した。ふるさと納税についても、本市への寄付収入以上に、市民の他自治体への寄付による市民税流出の可能性を排除できないことによる減収の恐れを指摘した。「地場産品の返礼品で勝負」との答弁であるが、+の場合でも結局は他自治体との±による都市間競争を煽るものであることを批判した。財政規律で言えば、他自治体へ寄付した市民は市民税控除で市の言う「町会費」すら免れることになる問題点を指摘し批判した。

(10)上述「財政危機一辺倒予算」が、再来年度以降も引き続く一里塚と位置付けられていることも、大きな特徴であり、問題である。憲法や地方自治法では、内閣や市長が作成して議会に提出…しなければならないのは「毎会計年度」の予算であるから、それこそ私が議会報告ニュースで書いたように、「来年のことを言って鬼も怒っている」、もっと言えば年度毎提出原則に抵触の疑いがある代物である。3年間を「集中改革期間」と設定し、既に1/13に推進本部を発足、新年度に、議会への報告やパブコメを経て「行財政改革計画」を打ち出す予定とされている。予算自体ではないが、既に、諸方針文書等により、'22年度に向け、消防音楽隊(これについては再考も有り得るような答弁ではあった)、民間保育園プール制、福祉医療子育て支援受益者負担、敬老乗車証、施設使用料、市営住宅家賃減免、ヘルスピア、団体補助金、受益者負担の在り方、補助金支援金等々を見直す、施設の統廃合を集約化、等々と予告され、4年間で760億円を生み出すとしている。

(11)「再生団体」になると国保料や保育料が3割4割の値上げになる、「上回る施策はできなくなり市民生活に大きな影響」と強調されている。しかし皮肉にも「…団体になる」前に、今回、「上回る施策」を切り捨てようとしていること自体が既に「大きな影響」なのである。国保料2.9割・保育料3.9割値上げなら「小さい影響」で許容されるというのか。再生団体化を防ぐはずの敬老乗車証や民間保育園職員給与見直し等は大きな影響ではないというのか。「上回る施策ができなくなり…大きな影響」を本当に避けたいと思うのなら、今回の方針は撤回しかない。「持続可能性」とは、廃止はしないけれどもそのすぐ手前の2.9割3.9割値上げ状態迄なら許容されるという意味に他ならない。市民にとっては、この時点で既に持続していない状態であると言うべきであろう。

3、国予算の特徴として、財政部門では地方財政総額据置きの他、インバウン
ド重視、ポストコロナへの前のめり、DX(一路デジタル化)、自助、公共部門縮小路線等々が挙げられるが、これらの特徴はそのまま市予算にも当てはまる。国の方針言いなりに、京都でもその具体化という図式も大きな特徴である。国において僅かに35人学級を打ち出したことが唯一とも言える前向きの動きであるが、こちらは逆に市は新たに具体化しようとはしない。いずれにせよ市予算の検討に当たっても、今後とも国の予算や動向を見ておく必要がある。

4、市長曰く「コロナ禍で市民生活大変厳しい中改革に取り組むのは大変心苦しく」(1/13、第1回改革推進本部)、「…危機感を共有して展望開くことが大事。間もなく審議会から答申頂くが、しっかりした計画を立てなければならない。その為には市民の負担の増になることも事実…」(3/18予算委員会市長総括質疑での津田議員への答弁)。即ち、「改革」や「計画」について、「心苦しい」「負担増に」等と、市民にとってマイナスであると言っている。しかし一方、予算や方針の基調自体は、錦の御旗・葵の御紋の如く「改革」推進一辺倒であるから、結局これは「市民への負担増」押しつけを自認していることに他ならない。言葉の使い方が混乱している面があるというか、一部、本音が出てしまったということなのか。以前、私は、市長の「改革」は市民にとっては「改悪」であるが、これは言葉の使い方が間違っているというよりも、そもそも彼らにとっては文字通り「改革」なのであって、そこにこそ階級社会の本質があると、その感想を書いたことがあるが、正に市長陣営にとっては「改革」が正解なのである。いずれにせよその市長ご自身の言う負担増と切捨を政策の基調として進めようとするのが、今回の予算の最大の特徴と本質に他ならないと言えるのではないか。了解できるはずがない。

5、最後に強調したいのは、今予算は市民リストラだから反対だ、という単純な話だけではない。いや勿論それは全くその通りなのであるが、しかしそれ以上に私が言いたいのは、「財政危機」を強調し、そこで市民リストラだと言いながら、実際はその「危機」の総括も克服の為の努力も全く不十分だし方向も間違っているということである。本当に「危機」なのか、こそが論点であると言いたい。市長はともかく、良心的に真面目に「危機だから何とかしなければ」と思っておられる市幹部の皆さん、市職員の皆さんと、もっと議論し合いたいと心から願っている。「住民福祉の向上」と「国言いなりにならない」こととが地方自治の要だとすれば、そのいずれもが危うくなっているところに、今日の市の財政、のみならず市政全般の最大の危機が横たわっているというべきではないか。この記事のタイトルの所以である。打開の道は、世論の力や運動、議会での論戦、力関係を変えていく、そして市政の転換等々の方向が基本だが、さしあたっては、総選挙での政権交代で、例えば交付税の大幅増額や法人税の引き上げ、課税自主権拡大等々、国の政治から、京都市政や、ひいては地方自治体全般、地方自治自体の在り方を変えていくことが、当面の近道であろう。「危機」と言いながら自民党に入れているような感覚自体が、実は本当の「危機」なのではないか、と私は思う。

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2021年02月22日(月)

「財政危機」ならぬ「地方自治の危機」その2

No.224

 今回は、昨年暮れ、御用納めの日に市長が記者会見をして発表した文書と、1月12日の議会総務消防委員会に示された市の方針、及びこの市の方針に添付されている「審議会のこれまでの議論」と称する文書の、三点について、批判的な感想を書いてみました。

2021春予算議会に向けて、市長記者会見資料A、「今後の行財政改革の視点及び主な改革事項」B、及び審議会「これまでの議論」C等の論点   2021/1/28 井上けんじ

はじめに

 市が予定している今後の流れの確認。上のBP3・4やAP5によると、'21〜'25の「京プラン2025=基本計画」が今回の予算議会に提案予定(1/26同審議会答申)。その具体化として'21年度早期にパブコメを経て「行財政改革計画」を策定。この計画には、「視点」=Bを「磨き上げ」、更に3月予定の「改革審議会」答申を踏まえ反映させる。一方、'21〜'23を「集中改革期間」と位置付け、「大胆な改革を断行」。なお、可能なものについては'21年度予算に反映させる。市長をトップとする「改革推進本部」は既に1/13に発足済み。

1、各論(狭義の総務消防部会)として議論しなければならない項目

A7・B15・A10etc.(数字は頁)「受益と負担のバランス」「受益者負担」。公共サービスは、憲法に根拠を持つ基本的人権を守り実現する施策の一環として国や自治体の義務と責任において提供されるもので、住民は、これらを権利或いは生活必需品として享受している。俗に市場原理で言う「益」を受けている訳ではない。例えば敬老乗車証や保育料は、元気になることによって介護費用節約との益を享受しているのは社会全体だし、保育は企業にとっての労働力確保にも子どもの成長発達による将来社会全体の利益にも繋がる事業の一部である。本質は住民への負担転嫁。目的税との相違や最適バランスの水準等論点は多い。
A10・A11・B14etc.「委託化・民営化等…」「民間活力の最大限の活用」。これは最早財政節約の為と言うより、民間化自体が積極的自己目的化。民間企業に営業の場を提供し市場開放しようというもの。公務を営利の対象に。利益の源泉は労働者へのしわ寄せか市民負担増か。利益が上がらなければ撤退か。
A2・11・B20etc.「職員数を削減」。民間化やデジタル化ともセットで。市民サービス向上より人件費削減ありき。以前は財政危機の為やむなくとの理由付けもされていたが、今や積極的な成果として語られている(1/13推進本部市長訓示「…3,500人削減等…改革を徹底、福祉・教育推進…都市格向上…それらが市民生活の豊かさに繋がる…」)。
A11・B21「短期的な人件費抑制」「給与制度の点検・見直し」。この二つは別のことを言っている。前者は「災害や緊急事態に際し」「機動的に、市民の安心安全」のために、それこそ臨機応変に、市長が緊急と判断しさえすればいつでも抑制しようということ。人員削減による人件費抑制という意味ではない。後者は文字通り制度自体をいじるという宣言。
このBの「視点6」では、「職員が意欲を持って働き続けられる職場づくり」と謳っている。賃下げで意欲が持てるのか。蜷川民主府政時代には府職労が賃下げも含めて議論されたとの歴史もあったが、勿論状況は全然正反対。「危機」であったとしてもそれは職員の責任ではない。市長が打開への正しい方針を打ち出している訳でもない。制度の見直しにまで踏み込むと言うのなら人勧制度に抵触?。それなら団交権・スト権を回復すべき。頑張れ市職労。職場を基礎に、市民とともにたたかおう。
A11・B14「デジタルの活用」。労働軽減よりも人員削減になるのではないか。特に窓口業務は人員配置が不可欠。機械等ではとって代われない。デジタルの「標準化」は、施策の国基準への統一化に通じるおそれがある。マイナンバーカードの強制、個人情報漏洩等への危険へ通じる危惧も払拭できない。国家による納税や給付等情報の一元的管理へ。一部大手IT業界の利益拡大をスガ政権が進めていく?こういう動きへの無批判的追随。
B14「消防音楽隊・カラーガード隊廃止」。削減はこれらに限定されるものではない。職員削減は消防局も例外ではない。
●以上、最初からの総括的な分析は力が及ばないので前から順に市の文書の表現に沿って考察してきたが、それだけで終わっては相手の土俵の上だけで済んでしまうので、これらの文書で直接には触れられていないテーマについても、以下考えてみる。
●上の「民間化」とも関連するが、今回、広く「自治体とは何ぞや」が問われている。狭義の財政論に矮小化することなく、広く、本来の自治体のあり方を対置して対案としていく論戦が求められる。
●目下の緊急且つ切実な課題はコロナ対策であり、市民の命と健康、雇用と営業と暮らしを守る為に全力を尽くさなければならない。
●今回は特別委員会設置であるが、次期京プラン案への批判的考察も必要。抽象的な「きれい事」のような表現の影に「強靱なインフラ整備、土地・空間利用、観光の京都モデル」等々、時代的反省と総括が欠落。経済政策から言っても都市計画から言っても、暮らしと環境より「経済優先」思想にしがみつく。
●「財政危機」への対案について考えるにあたり、今後、議論すべきテーマについても何点か挙げたい。経費節約では、学校統廃合や三施設、芸大は「先送り」か「練り直し」か「精査が必要」か。第一市場では節減の余地はどうか。北陸新幹線は見積もり抜きで無謀な突入。それこそ「将来世代への負担の先送り」。企業立地促進助成金も少なくとも大企業向けには不要。歳入増では、大企業への制限税率一杯までの増税、国との関係はあるが個人市民税高額所得者の税率アップ、固定資産税についても、収益目的の非生存権的所有と生存権的所有との区別(かつて美濃部都政がこれに類する構想を打ち出したことがあるが当時の自治省が強引な横やり)、大企業の償却資産減税の是正、また前述の企業立地との関係ではむしろ開発負担金や大手超過課税の検討もどうか。
●北陸新幹線は、財政問題に留まらず、現京都駅を通ることから、東京外環と同様の深刻な居住権侵害・環境破壊等等の問題が憂慮される。多面的な角度からの論陣を張る必要。

2、市の言う「財政危機」は本当か

A1「京都の都市特性により…他都市よりぜい弱な税収構造であったため…今般のコロナの影響もあり…危機的な財政状況…」。これだけでは危機の原因が不明確。市民一人当たり市税が大阪より少ないとよく出てくるが、商都大阪との比較自体に無理がある。規模が違う。しかし個人市民税は京都の方が高いから「学生や高齢者が多い」、は理由にならない。各市町村にそれぞれ都市特性があるからこその交付税制度。もし危機だとしてもそれは「ぜい弱」ではなく、交付税制度が機能していないことにその理由があると言うべき。「…構造であったため」と過去形になっているのは何故?コロナの影響があるというなら、それは京都だけの話ではない。全国の自治体が団結して国への財政措置を求めるべき課題。
 ちなみに、C1では「一般財源収入は他都市平均より84億円多い」とのデータ。
A3「支出が収入を上回る状況が継続」。国や自治体の財政は「量入制出」ではなく「量出制入」。確かに現実にはそうなっていない面があることも事実。だからこそ国の税財政制度政策への批判的言及も含めてその理由の究明が必要。要するに市の主張は収入不足分を基金取崩で補ってきた、その基金があと6年程で枯渇する(だから大変だ)ということに尽きる。他に、収入増や支出減への、研究や分析、方策、努力、等々については全く触れず。一路、基金の枯渇が強調されているだけ。関連して'20年9月の「'19年度(R元年度)決算実績報告書」で、曰く「仮に…取崩を継続した場合、機械的な試算になるが、十数年後には…枯渇する恐れ」(P17)。つい3ヶ月前は、こういう、慎重な言い方であったのに、今や「枯渇」だけが一人歩き。コロナの影響による減収の様相が色濃くなってきたという、その後の事情はあるが、しかし9月時点でもコロナの影響はあった。ドタバタ感は否めない。関連して、同報告書は別のページで(P11)「一般財源収入は、対前年度比…の増(ただし、基金取崩しを除くと…の減)」と書いているが、これも危機感があるなら「…の減。但し基金取崩しで辛うじて…の増」等と書くハズ。分析全体の信憑性を疑う必要あるかも。
A3「R8に基金枯渇」。急にR8が出てきた。6年あれば改善は可能。政権交代すればいい。
A4「基金が枯渇し、財政再生団体になる…」。「枯渇」に至る前になすべきことはないのか、枯渇すれば即再生団体になるのか、その過程や他にとりうる方策等の検討が明らかにされないまま市民を恫喝。「財政危機」が葵の御紋だとすれば「再生団体」は錦の御旗か。
A4「取崩しからの脱却には一般財源収入の増加が不可欠。ただし…長い期間を要する。あらゆる施策の…見直しに今すぐ着手…」。一般財源収入の増加とともにムダな支出の見直しも必要。収入増という場合、市長の考えは既存の市税をどう増やすか、或いはセカンドハウス税等、市プロパーの話程度のことで、僅かに対国のレベルで考えているとしても交付税増額が関の山(C9)。大企業減税の法人市民税減収への影響や市民税フラットへの批判的言及等々自民党政府の税財政制度政策への批判的検討抜きに抜本的改善はあり得ない。「国も大変」等の認識では収入増は覚束ない。市民生活はもっと大変。中小含め全国の自治体が団結しうる要求の設定と対国運動を呼びかけてこそ「京都があってよかった」。仮に「見直しに今すぐ着手」としても、同時併行での研究・運動方向検討を妨げるものではない。専門の先生による審議会なればこそ、国の税財政の分析と研究を諮問すべき。
A5「推進本部を設置」。審議会に諮問しながら設置とは焦りの現れではないか。或いは、本部と審議会とのデュアルシステム、ハイブリッドで行こうということなのか。
A5「危機を…改革の契機とし…」。改革の正体見たり何とやら。危機に乗じて、危機を奇貨としてリストラを、との宣言。但し、危機を口実として、と言えるかどうか。この点は議論が要る。とりあえずは「危機」を否定しないとして、しかしではその責任は専ら市長にある。しかも、広義に、今日の自民党政府の中央集権的税財政制度政策の被害者との側面が自治体にあるとした場合、その相手とたたかおうとしないという意味において京都市長は被害者ではなく国と同罪。市民へのしわ寄せは、同罪だからこそ余計に許されない。
B2市債個別の分析等についての検討など一切せず、その道だけとの前提で、「将来へ負担先送り」。そこで次に「先送り」が主語になって、「よくないことだ」。このままでは基金が枯渇云々。他の可能性等を排除。改革だとの結論へ。というよりハナから結論ありき。
Bこういう言い方と前後して、収入<支出、穴埋めに基金取崩、基金枯渇、再生団体、これを避けたい、だから改革だ、との文脈が再三出てくる。短絡的思考の典型。
C審議会でも、要するに支出を減らすために、ここを削れここを見直せ一辺倒の議論に。
B2財政健全化法への批判的視点が皆無。これまた「国言いなり」。元々同法は、財政の中央集権化・地方財政縮小の動き促進の為、自治体に「自己点検・自主規制」を迫る代物。元々「財政再建法」から今日の「健全化法」への改正は当時の竹中ビジョンから出てきたもの。まだ「健全段階」なのにその段階から統制を強化しようとするもの。正に今の市の姿。国が地方財政危機の本当の責任者でありながら、自分たちが作った基準で一方的に判断する仕組み。不名誉の黒字も名誉の赤字もありうる。住民の福祉増進が自治体の役割。数字だけで判断できるものではない。各指標は分母=標準財政規模=交付税を含む数字だから、交付税減らされたら分母が減り判断基準の指標の数字が悪くなる。小西教授は「健全化法のスキームは地方自治の精神に反し好ましくないという見方もある。筆者はそうは考えません」(著書)。財政再生段階では確かに国の関与が強くなるが、早期健全化段階では国の勧告に従う義務はない。
B8市債発行が、なぜ一律に「将来世代への負担の先送り」になるのか。むしろ施策や施設の利用や成果を、今の世代だけでなくおしなべて享受し、ならして負担する意義あり。
「負担を世代間で均衡させるという機能がある」(総務省官僚著「議員の為の分かり易い地方債」)。それは市債の種類や目的の違いによるかも知れないとしても、そうであるならなおのこと、市債毎の分析が要ることになる。一律に「先送り」ではない。
C2「市債残高が高い、減り方が少ない」等が問題視されている。しかし借金とは、その返済計画とセットで借りるのが当たり前。今後、毎年の償還額、または何年後かの一括償還に向けての積立金を、各年度予算化または積み上げて行けばいいだけ。今になって慌てるとは計画性の無さを自己暴露。まして「市債残高が減少しづらい要因」と「基金の取崩」とは別の問題。勿論、毎年の公債費の一定の必要額が高ければそれだけ他の支出項目を圧迫する要因になることは他のどの支出項目でも同じことであるが、これも結局は、借りるときの返済計画立案時点での見通しの問題に帰着する。そこの経過の分析や反省は如何。
C資料も恣意的。特定の結論へ持って行く為の資料づくり。ex.福祉祉経費増と言うが国負担分も。市負担分でも交付税措置も。京都の大企業が国の減税策連動で市民税も減税にとの関係、個人市民税の高額所得者の税率を戻せば約90億円増とのデータ、4.1億円と多くはないが法人市民税率制限一杯までとした場合の資料等等は全く出てこない。委員からの請求もない。市のめざす結論へ向かう為の資料だけ。分析も議論も無し。情報操作。
●基準財政需要額算定も現状を反映せず。国批判すべき。
●交付税トップランナー等への迎合は増額要求と矛盾。逆行。批判が必要。
●'19年度決算中「不用額」は28,918,338千円。特に公債費647,474千円の不用額(「実績報告書」)は、急な償還事例に備えて多い目の予算化が要因とのことだが、審議会資料の中では、こういう要素はどう加味されているのか。
●高速道路出資金113億円の債権放棄も「危機」打開への真剣さを疑わしめる事例だった。

3、責任の所在を曖昧にはできない、市民参加

A1・11「市民の皆様と危機感を共有し…」「改革の必要性を共有」。仮に「財政危機」がその通りだとしてもその責任は、唯一、予算編成権を持っている市長に。賛成してきた議員にも。市民には何の責任もない。自身の責任を棚上げして何か客観的な不可抗力の如き問題の立て方をするのはもってのほか。真の責任の所在を免罪し隠蔽し、ことの本質をそらすもの。「ガマンせよ、まして反対の運動などはご遠慮被りたい」ということなのか。
●昨秋決算議会実績報告書では「市民ぐるみで議論」(P17)とのことだが、全然ぐるみでない。傍聴は当たり前で、市民ぐるみとは全く別。批判的なご意見も含めて声を聞くべき。

4、「改革」に向けての基本的な前提、認識、スタンスはどうなのか

A1B1etc.「国や他都市の水準を上回る施策」や「行財政改革」の成果事例、等々。しかし「全国トップレベルの保育環境」は、歴史的に、京都の民間保育関係者の努力の賜物。現市政の成果でも何でもない(cf.12.28市長「S41年度に開始」)。むしろその遺産を食い潰してきている過程にあるのが現在の到達点というか後退点の現状。市の一連の文書の特徴であるが、全国トップレベル、他都市を上回る等々謙虚さに欠ける。これは情緒の問題というに留まらず、全国の自治体に団結を呼びかける場合のマイナス要因に。
A7「国の基準を上回る…施策…は、少子高齢化により将来世代の負担が過大に」。例えば保育料の「上回る施策」がなぜ「将来世代の負担が過大に」なるのか。「上回る施策」を続ければ将来世代も負担が軽減される。トータルな収支改善への検討抜きに「上回る施策見直し」の結論が先にありきの為、論理が短絡・混乱。他にも、高齢者差別と高齢者にかかる費用を若年層が負担との独断的偏見と分断志向が混在、意味不明の文章に。
B6国基準を上回る・本市独自の事業、B8C1「国からの事業実施の要請の度合いが強いもの・低いもの」等との表現は国言いなり姿勢の反映。この考え方を進めれば自治体が自治体で無くなる。全国どの自治体でも「度合いが強いもの」ばかりの横並びの”自治体”に。
A4「再生団体」になれば「上回る施策は一切できなくなり市民生活に大きな影響」。しかし皮肉にも「…団体になる」前に、今回、「上回る施策」を切り捨てようとしていること自体が既に「大きな影響」。国保料2.9割・保育料3.9割値上げ、他の分野での切捨は「小さな影響」の範囲なのか。敬老乗車証や民間保育園職員給与見直し等は大きな影響ではないのか。「上回る施策ができなくなり…大きな影響」を本当に避けたいと思うのなら、今回の方針は撤回しかない。自家撞着、形容矛盾。場当たり的。都合主義。要するに脅迫か。
A8「自助による取組を基本とする考えを踏まえ」。スガ言いなりの悪のりというか、市長自身の考え。被災者支援に留まらない。政治や行政の役割放棄。何の為に税金を払っているのか。「自助共助互助公助」との設定自体が間違い。
A1「暮らしやすいまちとしていくため…改革に取り組まなければ…」、
B20「職員が意欲を持って働き続けられる職場づくり…」等。ABCともその内容は文字通り「暮らしにくいまち、職員が働きにくく」になっていく方向そのもの。
B3「市民サービスの向上に繋がる改革は…取り組んでまいります」。どういう施策が繋がるのか。今回、例として挙げられている各項目は向上なのか後退なのか。
1/13推進本部市長訓示「今も厳しい状況におられる市民の方々の生活も守らねばなりません…市民の皆様に寄り添って進めてまいりたい」?

5、市民を分断するのはやめよ

A4国保や保育の分野に、被保険者・保護者以外の市民からの負担を強調。
A8敬老乗車証について、「納税者1人当たり…負担に相当」。こんな初歩的なことを敢えて書くのは、無理解というよりむしろ、分断と対立を煽ろうとする意図。そもそも社会保障の在り方や税金の意義、強制性無償性、所得再配分機能、公共サービス資金調達機能等に対する無知を曝け出しているだけ。税金は直接一対一対応しないことにその性格や意義がある。総計予算主義の大原則。
B2・8etc.「市債の発行など将来世代への負担の先送り」。世代間・階層間の分断。「市債には、負担を世代間で均衡させるという機能がある」(「議員の為の分かり易い地方債」)。

6、市の発表する資料への疑問

●昨年11月とそれ以前の資料とで、審議会提出資料等、来年度予算推計において、同じ項目の数字が相当額、変わっている。コロナの影響を加味して再計算したものと思われるが、扶助費や国保操出金等が増加。しかし公債費は、10/8の井上要求資料では来年度860億なのに11月の審議会資料では900億になっている。今年度新規で予定外の市債発行があったとしても、早速来年度に40億も返済額が増えるのであろうか。返済額または将来の返還への積立額としても多過ぎるように思うし、またそもそも借金時点での予めの年次返済計画があるハズなのではないのか。
●特に20/10/1付副市長通知による500億円不足との来年度推計は収支各項目の数字の根拠が不明確。今年度予算と来年度推計を比較すると(単位:億円)、コロナを見越して市税収入が△188は理解できるとしても、ではなぜ交付税・臨財債が93しか増えないのか(併せて△95)。もっと不可解なのは歳出見込み。扶助費76は分かるとしても、投資的経費46、他会計操出44、その他44と軒並み増加。公債費56増も、前述の通りその根拠がよく分からない。「現時点における大まかな見通しを50億円単位で整理したもの」とは恐れ入谷の鬼子母神。全体がラフ過ぎる。にも拘わらず500億だけが一人歩きして市民への脅迫材料になっている(市民新聞2/1号「今後、毎年度500億円もの財源不足が見込まれています」)。
●この間、何点か資料請求しているが(高額所得者、高速道路等)、事務方での膨大な作業を要するとか、そもそもソフトが井上請求の仕様になっていない等の返事。以前請求した入札記録でも同様のことがあったが、市の仕事のやり方についてもどうなのか。

※ 木を見て森を見ないというか、国との関係や累進的発想抜きにいくら議論しても根本的打開の方向は見えてこない。住民福祉向上との視点の欠落、国言いなりという意味で、財政危機ならぬ地方自治の危機。累進性観点抜きの議論は、没階級的というよりも、大企業・富裕層優遇、生計費にまで食い込む庶民負担増押し付けという意味で、資本の利益優先の、まことに階級的な立場と言うべきか。そういえば、実際は改悪なのに「改革」と呼ぶのは、言葉のごまかし・間違いというより、資本の利益代弁擁護の市長とすれば、文字通り「改革」で、彼らにとっては正しい使い方なのかも知れない

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2020年09月20日(日)

「財政危機」ならぬ「地方自治の魂を失った京都市政の危機」

No.223

財政危機というより、自治体の魂を失った市政の現状こそが市政最大の危機
=京都市持続可能な行財政審議会=   2020/9/上旬   井上けんじ

はじめに

 今年2月議会で設置が議決された(我党は反対)、標記の審議会が発足し、7月2日、その第一回が開催された。その後8月17日に第2回が開かれている。市長の諮問を受け、来春、年度末の答申書発表に向け、計7回程の会合開催予定とのこと。何の権限があるのか、市民から選ばれた訳でもないのに、議論の経過を来年度予算にも生かす、との話である。来春完結を待ってからの評価では遅すぎるので、開催毎ではないにしても、折々、途中経過の段階ででも批判していかないと大変なことになる、との問題意識から、今の段階、その時々の段階ででの議論について感想を述べ、今後とも断続的にはなるが、追跡していきたい。
 本来なら全体像を見渡した上での系統的総合的な評価、感想ということになるはずだが、前述の通りの経過で答申は半年先になるし、また力量のこともあり、とりあえずは資料や議論の順番に感じたことを積み上げていきたい。この場合、本審議会での資料や討議内容を,箸掘↓△箸靴'19年度決算、及び7月15日付の9垪眄担当局長・都市経営戦略監発各局長等宛て「改革提案」依頼文、の三つを、私流に三位一体と称し、併せて見ていくこととしたい。但し、この方法では市の文書がベースになり市の方針の土俵の上での検討にしかならないから、感想の積み上げとはいえ、市の文書からはずれた記述に広がることもありうるし、またそういうことにもなっていかないと、批判が深まっていかない。
 ともあれ、少なくとも次の二点は今の段階ででも言える。
 一つは、国(地方政府という言葉もあるから政府=国とは言えないので、以下も国と呼ぶ)との関係についての言及が皆無。今日の地方財政危機については国の税財政と地方自治についての制度・政策抜きに語ることができないにも拘わらず、そのことに全く触れていないのは、端から、危機打開の根本的な要因分析と改善方向提示の見通しを欠いたものにしかならず、結局は迷走を繰り返した挙げ句、制度の縮小とサービス切り捨てに行き着くしかないであろう。
 二つには、累進性という発想が無く、所得に応じた負担、能力に応じた負担という考え方が欠落していることである。もっと言えば、例えば大都市特有の財政需要と言いながら、ではなぜ大都市では需要が大きいのか、誰が集積利益を得、誰が集積の不利益を被っているのか、そういう分析がない、と言うよりそもそも考えようともしない。私に言わせればまことに没階級的な、しかし逆に言えば大企業や高額所得者の所得を捕捉しないで見過ごしている、その利益を擁護していると言う意味では非常に階級的な立場に立っているとも言える。

行財政審議会=その1

 第1回市長挨拶や諮問書では、もうウンザリするほど10年一日の如く聞き飽きた言い方が繰り返されるのみである。曰く。市では構造的に財政基盤がぜい弱、市税収入が低く、徹底した行財政改革を断行、全国トップレベル、持続可能な行財政…云々。しかし市税収入が少なければ交付税がカバーするはずであるし、少ないこと自体、否定的なことでも何でもない。各自治体の特徴というか特性であって、だからこそ交付税制度がある。これが少ないと言うのなら、まず国の三位一体改革への総括が要る。当時私は、税源移譲だけでは都市間格差縮小には至らず、むしろ交付税制度の調整機能をもっと生かすべきだと主張してきたが、全国的に及び当時の本市幹部も税源移譲に傾き、結果、委譲自体の成果もほとんど得られない上に交付税もまた削られるという結果に終わり、今日に尾を引いている。交付税改善への大運動を、全国の各自治体の団結促進の立場から呼びかけるべきだと考えるが、一方で、補助金化や誘導策・トップランナー方式への無批判的追随等、交付税の変質に付き合っており、全然首尾一貫しない。脇が甘いままでは運動も何もない。一人当たり市民税が大阪より少ないとよく強調されるが、個人市民税は京都の方が多く、法人市民税が多い為に大阪が高いだけである。これは工場事業所等数が圧倒的に違うから違うだけのことであって、それぞれの都市の特徴を示しているに過ぎない。学生が多いから等の「理由」は、税金を納めないのに上下水道や市の道路を利用していると言いたいのかどうか、将来を背負う学生のことを言うなら、前述「階級性」で触れたように大企業にこそそういうことを言うべきなのである。
交付税については、京都は大都市を自認して不交付団体を目指すのか、それとも不足分を交付税制度の充実に依るのか、どういう都市像を目指すのかの展望ががハッキリしないから、一方で交付税が足りないと順当なことを言いながら他方では市税が脆弱だと嘆いているのである。交付税自体が自治体の財源自主権を奪っている裏返しの制度であり、本来、国と自治体の事務と財源配分の比率の不均衡是正が目標であって、交付税に依らない自治体が本来であるとの議論があることは承知であるが、私は、現時点では「不足分充実派」である。市税増に応じた制度上の交付税減額なのか、それ以上、だとすればどれ位以上の不当な減なのか、その分析さえ本市では明らかでない。交付税に占める臨時財政対策債返済分や公債費分が増えておりネットの交付税はどんどん少なくなっていくが、そういう点への批判的言及も市長からは全く聞かれない。「ぜい弱」の客観的科学的説得的根拠と京都の将来像が不明確なまま議論が始められようとしている。
 一方、基金の取崩し自体は事実だから、「歳出に見合う歳入が不足」というのは、その限りでは事実だろう。しかし歳出と歳入の話をするとすれば、そもそも財政は「量出制入」が原則なのに、何故今日の自治体では「量入制出」(維新や京都党の言う「歳入の範囲での歳出」)に追い込まれるのかの要因分析が欠かせない。結論は、前述の通り国との関係をここでも論じない訳にいかないが、そんな原則論は抜きにしたとしても、歳入が不足というのなら、やはりその段階での原因分析が不可欠である。私は5月議会で、国の大手減税政策や、累進性という税の一大原則への国・市揃っての軽視が、税収減の大きな要因であると指摘したが、そのことへの批判があるなら、その根拠ぐらいは示すべきである。少なくとも検討ぐらいはしてみるべきである。理想論であって現実的ではない、というのならそれはそれで次の議論もありうるが、全くそういうそぶりも皆無である。要するに自治体の魂を失った国追随の姿勢が根底にあるからであろうと思われる。審議会委員の先生の意見には全く忠実に資料等を提供しながら、住民の代表である議員のしかも本会議での質問を無視している限り、私に言わせれば「財政危機」などとは市民に言うべきでない。勢い余って私も率直に言うが、そもそも議会にはない、まして市民にはない予算編成権を唯一持っている者が、その持っていない者、特に市民に対して「財政危機」などと言うのは、自らの予算編成力が問われているということではなかろうか。賛成してきたという意味では議会の賛成派には市長ほどではないかも知れないが責任はあるが、市民には全くない。市民からすればこれは泣き言か言い訳か弁解か居直りか、はたまた責任転嫁とも言うべきなのか。
 ただ私は、この点に関し、財政が「危機」なのは私も分かる、しかしトップがそう言い得るのは、その危機の根源を指摘しそこに迫るアクションを起こすときだけだ、逆に言えば、そういう運動に力を注がれるならば、今すぐお金が無くとも私は理解しますよと、5月質問では意を払ったつもりである。そこの機微をご理解頂いているのかいないのか、アクションや運動のアの字も「う」の字もサッパリ見えてこない。国の「く」の字も、僅かに「交付税増やせ」と言われる時に辛うじて聞こえてくるのみである。かくなるうえは、私も、結局「財政危機」は市民へのサービス切捨と負担増と職員削減、民間化への口実なのか、と思わないわけにいかないのである。

行財政担当局長・都市経営戦略監発各局長等宛て「改革提案」依頼文

 未だ会合が始まりかけている段階なので、,砲弔い討郎8紂⊇腓法検討していく。そこで、それはそれでとりあえず完結しているの依頼文を、次に取り上げてみたい。は7/15付、a「財政危機」の現状を全職員の共通認識に、b「改革」の提案を、との二項目を「依頼」している体裁になっているが、実質的には相当厳しい「改革」を呼びかけるものとなっている。勿論、ここで言う「改革」とは、私にとっては「改悪」という意味であるが。まずそもそも勘違いをしているのではないか。自治体の仕事は住民福祉の向上である、しかし財政が厳しい折、「改革」が必要である、云々、なら未だ話は分かるが、その前提が欠落している。文字通り切り捨て一辺倒の事実上の押しつけ文書となっている。
 各論的に見ていく。
1、宛先の中に、各局長と混じって市会事務局の長も含まれているが、周知の 通り、市会事務局職員は、長以下、「議長がこれを任免する」(自治法第  138条)のであって、自治体の一機関の職員であり、従って「職員は、…長 がこれを任免する」(同172条)ことはその通りだとしても、これは、後者 の「一般法」に対して前者の「特別法」と読むことができる。実際の運用は ともかくとしても、機能上は執行機関とは別の、「議会チーム」の一員なの である。執行部が「削減項目を探せ」と市長部局の各局長に言うのは、言う こと自体は勝手だが、この時点では未だ議会は何らかの意思表示もしていな い。仮に財政危機だとの認識であったとしても、では、その元凶である国へ の改善要望項目を挙げて下さい、との依頼等もありうるし、いずれにせよ議 会は議会でむしろ執行部へのチェック等、機能を異にする機関なのである。 議会事務局の長様というのは、明らかに越権行為であると言わなければなら ない。
2、本文とも関係するが、表紙からしても、「交付税の減」「平成初期の借  金」「人口減少」等と、今日の交付税減の契機ともなった三位一体改革への 市の応援の経過や、借金についての総括も責任の所在も不明確なままで、前 二者については自然現象の如くである。今日の税収のキモは何よりも累進性 の度合いであって、その緩和への批判的視点を欠いた人口減云々の議論は、 コトの本質をそらすものでしかない。
3、表紙裏の図も、分かり易くとの意図は分かるが、見方によっては総計予算 主義の大原則からの逸脱ともいえ、結局は(D)を如何に削るか=課題3や(F) を増やす為に市の財産売却等への誘導となっている。
4、P3では、市民1人当たり税収が少ないと、恣意的に「五大都市」の9割 なる数字を出して423億円少ない等と書いているが、一昨年決算資料(参考 データ集)では、「指定都市平均の95%(11,000円少ない)」で156億円少 ないとなっている。比較の対象をどの都市に設定するかは様々な視点があり うるが、違いがあるのは各都市の特性であり、多い都市との比較で差がある というなら、どんな指標ででもすべて京都が全国一にならない限り「少な  い」ことはいくらでもありうるのである。言うに事欠いて、その差に人口  147万を掛けて423億と言ってみたところで、これは何の意味も無い数字であ り算数の遊びに過ぎない。交付税依存度が高いと嘆いているが、上の如く市 税が少ないのであれば、高いのは当然である。高いのが問題なのか、減らさ れているのが問題なのか、それとも大学生や高齢者を減らせ、非木造家屋を 増やせと言いたいのか、危機感を煽るのが意図なのか、焦点がハッキリしな い。国予算の影響を受けやすいというなら、市民税でも国庫補助金でも同様 である。
5、P4では「民間活力導入」とのことだが、これは今や本市にとって、人件 費抑制の為というより、そのこと自体が自己目的化している積極的基本政策 の一つとなっている。今や民間企業にとっては「そうだ、京都市へ仕事をと りに行こう」となり市長から言えば「大手民間に事業機会の提供拡大を」と いうことになっている。人件費が、職員の対市民サービス向上の反映であ  り、住民福祉増進の物質的裏付けとなっているならば、むしろそのこと自体 を評価すべきなのである。平成初期に大規模投資と言うならば、市内高速道 路はどうなのか。「今や当たり前」になっているわけでもないし、「市民生 活に不可欠」というわけでもない。ましてその後、当時は「戻ってくる」と 強弁していた出資金をいとも簡単に放棄してしまったのは一体誰なのか。放 漫財政の一方でいくら「危機」を強調しても穴の空いたバケツに水が溜まら ないと嘆いているようなものである。結局は「危機」演出で、結論は後述の 「財源創出の切り口」への誘導なのか。
6、P5の【現状2,3】は、市の幹部なら既に知っていることを殊更に書き 並べているだけで、危機感を煽る意図以外の何物でもない。そういう事態を 招いてきたのは一体誰なのか。やむなく取り崩してきたのであって誰の責任 でもないと言うのなら、私は何度も繰り返すが、そういう事態に追い込んで きた責任者に「出てこい」という分析とアクションが要るのである。
7、P6〜7は、語るに落ちるというが如くであって、P7【厳しい見通し4】 の表など結局はP11の「切り口」への予告となっているだけである。そもそ もどんな借金でも、ある時払いは親しい友人間だけの話であって、据置期間 や一回当たり返済額、返済期間等々が約束されているのは当たり前の話では ないか。いつ頃になればどれ位の返済原資が必要か、そんなことはハナから 分かってきたはずの話ではないのか。償還財源の国の措置についての動向等 も公債費原資を左右する要因だと思われるが、では協議の様子はどうだった のか、国の責任への言及はどうか。話の飛躍と言われるかも知れないが、そ もそも公債の引受先がかつての公的融資機関から今や民間金融機関や投資家 に移り、その利子だけでも累計すれば相当な額に及ぶ。私は常々、市民税等 における累進性強化・実質公平を強調しているが、もっと言えば、こういう 公的金融のあり方や、その発行をめぐる国との関係・権限・財政措置等々の あり方についても、分析と研究が要ると思われるが、目下のところ、力及ば ず他日を期したい。
8、P8は、いよいよ「切り口」への助走であり、また主語抜きの「担税力強 化」の強調によって所得格差を曖昧にし、結局は大手軽課、庶民重課、累進 性緩和へと誘導しようとするものである。「財源創出の切り口」こそは、こ の「依頼」のキモであり、「リストラ例示集」ともいうべき代物である。冒 頭で「大変なことに」と書いたが、こんな「切り口」が具体化されれば、公 共料金の値上げや制度の縮小・廃止、市民サービスの切り捨てがどんどん進 められてしまうことになるであろう。正に「財政危機」の殺し文句は、自治 体リストラの「打ちでの小槌」と化すのである。市長への説明云々は、正に 部下から首長へのリストラ進言の「出師の表」とも言うべき代物であるが、 元はといえば、市長がトップダウンで公務の民間化や人員削減等を進めてき たのではなかったか。今日の「財政危機」を招いた責任者本人に一体何を  「説明」すると言うのか。市挙げての「切り口」具体化大作戦会議になるの か、それとも部下からの切り捨て提案を、市長の思し召しが待ったをかけた と宣伝するのか、いずれにせよ、財政民主主義の立場から言えば、この間  の、各局長からの、依頼への応答内容や過程も含め、スッカリ市民的にも明 らかにすべきである。

2019年度決算概況

 近日、前年度決算資料が明らかになるが、9月初旬の段階では8/5付「概況について」のみである。資料全体を見ると却って手に余るので、今のうちに、文字通り「概況」のみのとりあえず第一次感想としたい。
 「引き続き厳しい」はもう聞き飽きた。最初から赤字の予算とか赤字決算、或いは財源枯渇で予算が組めないとかではなく、議決を得た予算が予定通り執行されたのであるから、それをもって厳しいと言うのなら、その「厳しい」は既に予算の段階で「厳しい」ハズであり今になって厳しくなった訳ではない。この点で、対前年度比と対予算比が混在した説明になっている為に、余計に分かりにくくなっている。災害復旧等の為に年度内に臨時の予算が必要になったなのなら、P3の表などは、補正も含めた予算として決算との比較とすべきである。確かに枯渇したり必要償還額を賄えない程の基金取崩での財源確保は正常ではない。ではしかし必要な支出だからこそ取崩してでも財源を確保しなければならない現状だとすれば、そういう「厳しさ」の要因分析が不可欠である。災害復旧費用の負担区分はどうなのか、市民税増加というなら、所得階層別のデータが必要である。増収の内訳として庶民や中小企業からなのか高額所得者や大企業からなのか、その特徴を見なければならない。市民税増えたと言ってもどういう階層で増えたのか、そこが不明なら分析のしようがない。
 とはいえ、決算の要諦は市民の暮らしをどう守り向上を図ってきたのか、である。「概要」では、相変わらず「日本一」と臆面もなく自画自賛するが、保育の到達は民主市政時代からの遺産をむしろ後退させている過程にある。茶道華道も文化ではあるが、子どもたちにとってはそれだけではない。「新たなビジネス」の強調は毎年のことだが、その一方で既存零細中小の倒産廃業の実態には目を塞ぐ、というより実際は自然淘汰を「静観」し、敢えて支援すべき対象として位置付けているようには思えない。環境政策に至っては市民負担を「学習施設」に充てて自慢している有様である。安心安全といながら、鴨東線第3工区や両新幹線を推進、無謀な油小路地下バイパスにも固執しており、言うまでもなくこれらの事業推進こそが「財政厳しい」の一因となっている。

行財政審議会=その2

 9月初旬現在での審議会開催は前述の二回だけだが、とはいえ、この二回での市提出の資料や各委員の発言などから基本的な方向は既に明らかである。「財政危機」を「証明」する諸資料の提出と、それを受けて、ほぼ、市民サービスのどこをどう削るかばかりの議論が続いている。曰く「国民健康保険、福祉乗車証、敬老乗車証、老人医療、保育所等運営費助成、保育料軽減、保育士加配、学童保育利用料軽減、障害児保育、学童う歯、子ども医療費、市営住宅管理運営、公営企業への操出、…」等々が「市独自の、任意の事業」として、見直すべき対象として挙げられている。市独自の事業を見直し、国の言う事業だけを実施しているなら最早それは地方自治体ではなく国の下請けであり国の出張所でしかない戦前のような「自治体」になってしまう。審議会での議論の「成果」を来年度予算案にも反映させるとされている。この秋の来年度予算案作成編成作業が、本審議会開催と併行して進められるところから、今のペースで言えば、削減と切捨てと値上げ、民間化の予算となることは必至である。予算案や答申が出された段階での運動は遅いとさえ言える。前述「依頼文」での「切り口」とほぼ同じ項目が、審議会でも「市の任意事業」として掲げられ、「義務付けのない歳出等の点検」として資料提出されている。これらを受けて委員が、例えば「他都市平均までは水準を下げる検討を」「財源が不足している以上、独自事業の水準を下げざるを得ない」などと掛け合いよろしく相呼応している有様である。以下、何点か、分析を要する項目についてみてみたい。
1、財政が厳しい状況に至った要因として、過去の市債発行の償還や交付税の 減少等を挙げているが、前者については、その発行が何に使われたのかの分 析や、償還にあたっての国の交付税措置の程度や割合、当時の国との協議の 経過等がもっと明らかにされなければならない。高速道路や出資金債権の放 棄については全く何も触れられていない。後者については、前述の通り小泉 内閣当時の三位一体の総括が要る。大都市でありながら税収が他の政令市等 との比較で必ずしも多くないとの要因分析や打開方向探求は課題ではあろう が、現実問題として多くないからこそ交付税の対象になるべきなのである。 ならばその減額については、他の多くの自治体にも呼びかけて団結を促進  し、必要額の確保運動にもっと力を注ぐべきなのである。それを、「交付税 に依存している」と嘆いてみたり、ましてトップランナー方式等に迎合する 等々、腰が座らない。
2、公営企業や国保への繰り出しについても、基準内操出、即ち国の手当のあ るものとそうでないものとの区別・分類をしたうえで議論すべきであるし、 また福祉関連経費についても、一般に予算書決算書では、その財源内訳を、 直接その項目では明らかにしないで支出額だけを示しているところから、そ の分析抜きにお金がかかるかからないの議論は妥当性を欠く。私は、その内 訳として本市独自の支出があってもそれこそが地方自治の地方自治たる所以 だと考える立場であるが、その是非を議論するためにも、まず内訳等の分析 が要るのである。加えて、本市負担分であっても、制度によっては交付税措 置されているものもあるから、その詳細を明らかにすることも必要である。 更に言えば、その交付税自体、臨時財政対策債や市債の償還分が含まれてい るから、ネットの交付税は少なくなっているはずである。この点についても 市は資料作成・公表をして議論の材料とすべきである。
3、歳出抑制に工夫の余地はないか、多額の公費を投入、従来から見直しの必 要性が指摘されてきた、等々、の切り口で「本市で実施している主な事業」 の一覧に至っては、私なりに二通りの感想の角度がありうる。一つは、本  質、特に国との関係を欠いた議論は、結局は迷路に迷い込むしかないという こと。二つには、「結局」ではなくハナから予定通りのリストラ計画リス  ト、ここへ誘導するためのこれまでの議論であったということ。根回しが行 き届いているのか、それとも人選の段階でさもありなんということだったの か、市の思惑と先生方のご発言の大勢は見事に噛み合って、早くも第二回目 で今後の道筋がハッキリと見えてきた。かくなる上は、最早、見直すべきは 「本市事業」ではなく、本審議会の存在自体ではなかろうか、と言える段階 に至っているのではないか。

ではどうするか

 冒頭記述の通り、まとまった評価までは力が及ばないので、今後もその都度の感想羅列にしかならないが、当面、今の段階での対案の案を何点か挙げてみたい。
 本来ならというか、そういうあり方も有り得るのではないかという意味で思うことは、こういう審議会の設置・開催にあたり(前述の通り、ウチは設置案に反対したが)、例えば、今の自分の立場がそう言う候補の一角だからそう言う訳では決してないが、議会の代表、当該委員会の代表、各会派の代表を委員にする(例えば自治体によっては国保運営協議会に議会代表が入っている場合もある)、或いは審議会と議会当該委員会との意見交換の機会を持つといった案はどうであろうか。また、勿論、六団体の一員としてまたは独自に、本市も国への要望にも取り組んでいることでもあり(この点に関し、委員会での「審議会はなぜ国との関係を問題にしないのか」との委員の質問に、市は「独自の政府要望はやっており、その上で市の財政プロパーの歳入歳出議論をお願いしている」との趣旨を答弁している)、この際、議会(委員会)としても対政府要望(この場合は一致できる項目に限られるが)に取り組むという案は如何であろうか。更にこれは会派の独自問題であるが、党議員団としても、この際、対政府要望に取り組むのも一案ではなかろうか。前者の場合は、当面「交付税増額」あたりなら一致できるのではないかと思われるが、後者の場合は、今後本格的な「自治体財政危機打開の為の対国要求」を整理していく作業も求められる。その予備的作業でもあり、また何よりも、今回の市の三位一体方針への建設的批判の為にも、対案の提示が課題となる。以下、いくつかの項目を挙げる。勿論それだけでは画竜点睛を欠くことになるから、後段では市長宛要求項目案も当然考えてみる。

1、対国要求の骨子案
(1)自治体財政に直接関連する範囲での税財政の改革を
 −1、法人税率の引き上げ、大企業への租税特別措置の見直し
 −2、地方法人税国税化の撤回、法人住民税への復活
 −3、自治体の課税自主権拡大を、当面、住民税所得割率の複数税率の設定   を
 −4、大都市財政需要に見合う基準財政需要額の算定、交付税の必要額の交   付
 −5、超過負担の解消を
 −6、国庫補助負担金については、補助率の引き上げ、及び事業実施の判断   の自治体の意向と裁量を尊重し国の政策押しつけや誘導をやめること
(2)国の税財政政策に関して
 −1、地方創生臨時交付金の増額と使途の自治体自由化
 −2、持続化給付金や雇用調整助成金等の拡充、要件緩和と対象拡大、申請   期日の延長   を
 −3、
(略)
2、対市長要求の骨子案
(1)「国の財政大変」論を克服し、軍事費削減、政党助成金廃止、大企業・  富裕層減税の見直し等を求めること
(2)地方税法等の改正をはじめ、自治体の税財政自主権の拡大を、全国の自  治体にも呼びかけて国に求めること
(3)国の税財政政策が自治体の税収減に連動している点について、研究と分  析を深めること、その為の仕組みと体制を設けること
(4)国の大企業減税、租税特別措置の、地方自治体の法人市民税収入への影  響について調査研究を深めること
(5)応益負担・累進性の原則を、国に求めるとともに本市でも貫くこと
(6)個人市民税所得割の税率の多段階累進性の復活を国求めるとともに、市  としてもその場合の税収の変化などの試算を深めること
(7)税源移譲や地方交付税改善要求の設定にあたっては、全国の自治体の団  結が促進される方向でのアプローチとすること
(8)立地助成制度から大企業を除外するとともに、ケースによって開発負担  金や協力金、原因者負担の原則や制度について研究すること
(9)鴨東線第3工区拡幅工事の中止や油小路通地下バイパス計画の撤回等、  大型事業を見直すこと
(10)市内高速道路油小路線と名神高速道路を結ぶジャンクション計画は撤回  すること
(11)リニア・北陸各新幹線計画の撤回を各実施主体や関係各機関等に求める  とともに、本市においても誘致活動をやめること
(12)議員歳費とともに、市長の歳費や退職金を見直すこと
(13)

つづき

財政危機というより、自治体の魂を失った門川市政の現状こそが市政最大の危機(2)

=京都市持続可能な行財政審議会=      2020/9/下旬
  
  感想を考えたり書いたりしているうちに、猛スピードで事態が進行している。前回は、〇垤垪眄審議会での資料や討議内容、'19年度決算、及び7月15日付の9垪眄担当局長・都市経営戦略監発各局長等宛て「改革提案」依頼文、の三つを、私流に三位一体と称し、特にその時点で一応完結していた(しかしこれもその後、第二次の依頼とか、各局からどんな提案があったのか等々、今後も注視は必要)について、その感想を書いた。△癲∩芦鷸点では概要だけだったが、今日、その全体像が提案されている。,倭苅群麝縦蠅里Δ疎茖害鵑泙燃催されたが、ほぼ、その全貌というか狙いというか、本質は明らかになってきたと思える。財政危機だから、国基準や他都市平均を超える施策を見直していかなければならないといった議論が続けられているが、私の感想のポイントは、最初からそういう方向へ議論を誘導するためのシナリオが書かれ、実際、その通リに進行している、だから危機は理由ではなく口実だと理解した方がその本質がより見えてくるのではないか、という点である。この点は以下でも触れる。引き続き第4回以降を注視していきたいが、とりあえず今回は、市議会決算委員会での予習も兼ねて、△鮹羶瓦帽佑┐討澆燭ぁ

 「決算実績報告書」等の資料によると、まず大きな特徴として、日本一とか全国トップ水準等、自己顕示の一方で、引き続きというか相も変わらずというか「財政危機」が強調され、「構造的に財政基盤が脆弱、公債償還基金枯渇の恐れ(ママ)」等とも書かれている。「個人市民税は増加したが地方交付税が減額」が同年度の特徴として挙げられているが、行き着く先は「市民の豊かさを税収増につなげ…更なる成長発展の原動力」と実感の湧かない話であったり、結局は「財政危機なので行財政改革を徹底」とこれもいつも聞く話に落ち着くしかない。学校の統合や新景観政策、南部クリーンセンターでの「学習施設」、民営化と人員削減推進等を肯定的な成果として施策推進実績に挙げている問題等についても批判的考察が必要であるが、以下、特に財政の問題に絞り、何点か、検討してみる。

1、そもそも予算編成権を唯一持っている市長が、持っていない市民に対して 「危機」を強調するのは如何なものか。市民にすれば、「ではどうしろと言 うのか、あなたの編成力はどうなのか、何が危機の原因で、その打開の為に どういう展望をあなたは持っているのか。結局は我慢してねということか  等、逆にお聞きしたい」ということではないのか。行財政審議会では、その 「危機」を「証明」する資料造りに、職員の膨大なエネルギーが費やされて いるが、その資料の分析等については、今後,紡个垢覺響曚箸靴胴討魏め たい。

2、市民税が増えたとのことだがその内訳はどうか。個人市民税の所得割につ いては、どのあたりの所得階層で増えているのかとの分析が不可欠である。 それは市民生活の現状を明らかにする為にも、また今後の税金の在り方を考 えていく為にも必要である。低所得階層で増えているならある意味喜ばしい ことであるし、高額所得階層でなら格差の一層の拡大傾向ともいえる。周知 の通り、過去、課税所得毎の税率による累進制が採られていたが、小泉内閣 時代の「三位一体改革」のどさくさにまぎれ、地方税法によって(こんな法 律の少なくともこの部分の規定は、私は自治権の侵害と思っているが)、所 得無関係の一律フラットの税率とされてしまい今日に至っている。所得税か ら住民税への税源移譲の問題と税率とは全く別の問題であって、せめて三段 階の累進制を維持したままでの移譲も十分可能であったハズである。法律の ことでもあり確かに累進制復活への道は単純ではないと私も認識している  が、市の姿勢はそんな議論以前に、まずその考えすらないという段階だか  ら、先が思いやられるというか、病膏肓に至るといった現状なのである。

3、ともあれ、市長は、「危機」を強調するのなら、その打開策の一環として 累進制復活、高額所得層の所得の捕捉を考えるべきだと思うが、現状では全 くその意向は感じられない。5月の私の質問にも全く無反応であった。私  が、市長や市幹部の危機打開への熱心さについて疑問を感じ、その疑問を解 く為に遡及して考えるに、ではそれは「危機」への危機感がそこまで切迫し ているわけではないのか、と思ってしまうのは、こういう経過の所以なので ある。
  ちなみに、私のラフな試算では、仮に課税所得700万超階層の市民税所得 割率を以前のように+2%とするだけで、約82億円の増収が得られる。資料 の不足と私の数学能力の故に数字は覚束ないが、この点は、是非、市自身が 正確な数字を示して反論願いたい。

4、交付税についても、減った内訳分析が要る。税収が増えたから、制度によ りその分が減ったのか、それ以上に減らされているのか。この点も詳細は不 明である。対前年比市税138億円増に対し、地方交付税+臨時財政対策債119 億減との数字だけから言えば、少なくとも対前年比に限っては、それ以上減 らされている、とは言い難い。中長期的な話だと言うのなら、経年的にそう 言う数字も明らかにして、制度により減った分については交付税自体への批 判が要るし、それ以上に減ったのならその数字も明らかにして国への運動の 論拠としなければならない。そもそも各地方自治体の必要額合計よりも、そ の為の原資の方が少ないというところに交付税制度の根本的な矛盾があるこ とは周知の通りで、従って私は、自分の自治体にとっての必要額確保との要 求ではなしに、全国の自治体が団結しうる要求設定が必要だと考えている。 つまり上の矛盾自体を衝く論戦が要るのである(「自主財源」重視、或いは 税源委譲重視の考えからすれば交付税縮小論となるであろうが、私は不均等 発展の資本主義経済の元では、財政調整機能は十分な意義を持つと考える立 場である。ともあれ目下の現状は、調整機能も保障機能も国が果たしていな いことこそが問題の所在であって、この点が現下の争点であると思ってい  る)。
  交付税増を国に求める場合も、そういう数字や分析、論点の整理が当然前 提になるのではないか。加えて、交付税の根拠となる基準財政需要額が見込 みを大幅に下回ったなら、その算定の根拠や数字の積算等の批判的分析が必 要である。超過負担といえば、通常は国庫補助負担金における問題である  が、これを広義に、国の地方への財源不足と捉えれば、この実態がもっと明 らかにされなければならない。
  またそもそも需要額・収入額計算の基礎となっている「標準団体」の「標 準」自体への批判が要ると思われる。また交付税の中には、過去の臨時財政 対策債の償還分が含まれているから、それだけ自由に使えるハズのネットの 交付税が減らされていることになり、こういう点も、臨財債廃止要求の根拠 に挙げていくべきだと思う。
  更に言えば、市は、交付税が減ったと言いながら、一方では「他都市に比 べ交付税…に大きく依存」(決算参考データ集)等と、嘆いているのか財政 危機を殊更に強調したいのか、いずれにせよ交付税「依存」を否定的に捉え ているような言い方もしている(私は、交付税は、調整の為に一旦国の財布 を経過するだけで、元々地方自治体固有の財源であり、その意味で自主財源 とも言い得ると一人勝手に思っているが、通説は、という より大勢は、国 税として徴収されていることや、限定とはいえ税率伸縮可能な地方税と は 異なること等を根拠として依存財源とされている。ともあれ、交付税算定に 当たり、自治体の参加が保障される仕組みになっていないことが、増々「依 存」の度合いを深めてしまっており、実践的手続き的には、この仕組みの改 善が当面の課題だと思う)。ならば不交付団体をめざすのか、というとそう いう訳でもないようだ。その辺りのコンセプトがハッキリしない。都市の将 来像というか財政的な京都市のあり方に対する展望が不明確なところから、 その依って立つスタンスが一定しない。国へのアクションにあたっては、  もっと脇を固める必要がある。
  もっと言えば、これは、以上に述べた如く対応が弱いというより、間違っ ていると言わなければならないが、一方でトップランナー方式に追随迎合し たりしているなどは最早論外である。これでは運動にも腰が入らない。交付 税の性格を歪めるような動向にはもっとキッパリ対応しなければ、そもそも 首尾一貫しない。
  だから私にしてみれば、増々、上の3で述べた疑問が募るのである。「危 機」への認識が浅い為に危機感がそこまでに至っていないのか、それとも、 認識が現状の一定の反映だとすれば、「危機」自体がそこまで切羽詰まって いるわけではないからこそ危機感も切羽詰まらないのか。はたまた、何か  「奥の手」というか「逃げ道」のようなものがあるのかどうか、疑問は高じ るばかりである。

5、法人市民税法人税割の国税化によって、その限りでは当然、法人税割収入 が落ち込んでいるし、それが交付税財源になったからと言って丸々京都市に 戻ってきている訳でもない。こういう国の小手先の改悪になぜ賛成するの  か。国の大企業への租税特別措置や法人税自体の税率引下げ、優遇減税が自 治体の法人市民税減収に連動していること自体は、その評価は全く違って  も、市も「国も大変だから」とか「企業の経済活動支援の為」等の答弁を  もって事実上認めている。これらの点についても私は以前から指摘してきた が、一貫して市長は馬耳東風というか、無視し続けている状態である。

6、市のこういう対応や態度は、結局はその根底に、国言いなりの姿勢と、累 進性に対する認識が希薄なこととの、二つの要因があると私は思っている。 しかし、以上で述べてきたように、ハードルは高くとも増収が得られるであ ろう方向への検討すらしないのに専ら市民には「財政危機」を押しつけるの は何故なのか。この疑問への解答は上の二つの要因だけでは解くことはでき ない。根底に二つの要因があってそのことが危機打開への根源に迫れない理 由だとしても、敢えて積極的に「危機」を強調するのは何故なのか。そこを 遡って考えた場合、そこに何か意図があると考えた方が、逆に一連の疑問が 解けていくのではないか。先程は「逃げ道」と書いたが、ここに入れば、市 民税の累進化は考えなくても「危機」打開は可能である、交付税増額運動が うまくいかなくてもそれはそれで仕方が無いと、まあこういうことなのか。 「財政危機」の程度の議論は色々あり得ても、結局はその「逃げ道」こそが 「行財政改革」だということではないのか。だから「財政危機」の強調は、 そこへ誘導するためのイチジクの葉っぱだということではないのか。人員削 減や民間化等の「改革」について、最近の市長は「危機打開の為、断腸の思 いで」でもなければ「やむを得ない苦肉の策」としてという訳でもない。む しろ積極的自発的に推進し自慢している有様である。これまたなぜか。その 考えを更にを突き詰めると、結局は、「改革」自体が目的である、「初めに 「改革」ありき、ではないのか」という考えに至る。そしてひとたびこの結 論に到達すると、これまでの推論の霧が晴れ、ここからまた今来た推理の道 を戻ると、全工程での疑問が解けていく(まるで資本論の方法みたいだ)。 ここに至って私は、「危機」は「理由」ではなく「口実」だとの思いに至る のである。「改革」こそが本命である。決算は毎年のことだが、丁度今、 ,開催されておりその経過をたどることで、私が至った思いが決して間違い ではないことが裏付けられているように思われる。まことに、,砲いては 各先生方の率直な議論が交わされているところから、市の本音がよく見えて くるのである。今後、紹介していきたい。

7、決算実績報告書では、例えば「収入は○円増(但し基金取崩を除くと◎円 減)」などと書かれている(P11)。国語的に言って、本当に基金取崩が非 常事態措置だとの認識があれば、「◎円減だが、何とか取崩によって○円  増」と書くべきなのである。要するに市の「危機」認識の程度の反映という ことであろう。かと思えば、この冒頭にも触れたが「基金枯渇の恐れ」の部 分では、わざわざ「仮に…機械的な試算だが…恐れがある」との注釈を付け ない訳にはいかない。逃げを打った一文になっている。市としても「危機」 へ誘導はしたいが、他方、いくら仮定の話としたとしてもちょっと乱暴な議 論だとの思いがあるからであろう。まるで説得力の無い「仮の、機械的な」 話になっている。

8、更に、上で書いてきた国との関係だけでなく、市自身の大型事業のムダ遣 いも、今日の「財政危機」を招いてきた要因である。同時に、「財政危機」 が本当に「危機」なのか、ひょっとしたら「危機」ではないのかも知れない と疑ってみるに足る十分な素材ともなっている。本当に「危機」なら止めれ ばいいのに、とにかくムダ遣いと言ってもケタが違う、との単純な疑問が、 この場合、正鵠を射ていると言うべきであろう。それが止まらないのは、裏 を返せば、ナンだ「危機」は「危機」じゃないんだ、という思考に至り、実 はこれが正解といいうわけである。放蕩息子を遊ばせながら我が家は財政危 機ですと言ってみたところで何の説得力も無い。しかもこれは現在進行形で もある。鴨川東岸線第3工区(塩小路九条間)は70億と市は言っているが、 疏水の幅を半分に、方や鴨川の流れ、3本もの鉄道の下をくぐる等の工事が 重なり、とてもその額では済まないだろうと私は思う。市負担の額が全く明 らかにならないのにリニア・北陸新幹線の誘致には殊更熱心で、本来これら は財政以外にも多面的な危惧すべき論点が横たわっている。堀川油小路通り 地下トンネルバイパス計画にも、市長はこだわっている。既に完成してし  まっているが、JR山陰本線梅小路西駅新設にあたっても、本来JRの施設であ るにも拘わらず市は15億も出しているし、また何よりも七条通りを跨ぐ横断 歩道橋整備にも6億円余を使っている。ムダ遣いの典型と言うべき代物であ る。
  ,凌概腸颪任癲峇躓,忙蠅辰人廾」として地下鉄工事や鉄道高架など過 去の事業が例示され、これらはいずれも「今となっては当たり前の」事業で あったと、要因ではあったが必要なインフラであったと総括されている。し かし過去の要因を探るなら市内高速道路の膨大なムダ遣いは素通りするわけ にはいかないし、まして当時の出資金113億の債権放棄までしているのであ るから、この太っ腹には「危機」が聞いてあきれる。ひょっとすると、この 過去の事業の例示の中に出てこないのは、高速道路が「当たり前」とは言い 難いと思っているからかも知れない。「渋滞解消」が旗印であったのに開通 当時も今も車は少なく、「たくさん通って下さい」(議会答弁)といった有 様なのである。いよいよここに来て「危機」は「危機」ではなく「行革」の 口実であるとの確信が増々深まるのである。

9、公営企業についても本来触れなければならないが、この感想文のテーマと している財政は一般会計のものを対象としているし、また力の及ばないこと もあって、2〜3点の羅列に留める。水道では「節水型社会の定着」と殊更 に強調されているが、会員は未だ私一人だが自称ペットボトル不買同盟会長 の私としては、これはペットボトルとのたたかいを避けた、逃げの表現だと 思っている。勿論、今の世の中で局としてどうこう言えることではないし、 規制を、と露骨に言う訳にもいかない。しかし客観的にはペットボトルの普 及が水道の需要減少の要因にはなっているのではないか。もし私が局長な  ら、内心、普及が縮まってほしいとは思うであろう。水需要とは関係なく、 ペットボトル自体の一定の規制をというのは市長ぐらいなら私は言ってもい いと思う。勿論人口は減ってはいるが、需要自体が減っているのかどうか、 また逆に、地下水の利用が増えている等のことはあったとしても、局として の供給が減っているその要因分析が少なくとも必要である。そこ抜きに、ま たしても、だから「改革」だ、削減だ民間化だ、というのは短絡にすぎる。 実際、検針など民間委託がどんどん進んでいるし、本庁舎移転や跡地活用に ついても民間活用とされている。後に触れることになるが、例の,任蓮▲魁.鵐札奪轡腑鸞┐善娠銚△琉楷病┐繕描澗里料缶姪な民間化を執拗に迫る委 員もおられるなど、事態はどんどん進んでいる。ここでも、何かそのこと自 体が目的であるかのような議論に、既になっている。
  交通局も含め、「お客様」は私には違和感がある。勿論市バス地下鉄に乗 り水道を利用されるのは市民に限らないし事業体であることはそうだとして も、基本的に両局の責務は市民の足を守ること、命の水の供給と環境整備で ある。せめて利用者とか、市外者も含めて市民と呼んでもいいいのではない か。独立採算自体に問題の根本がある。
  決算実績報告書では、「今後の大幅減収が危惧されるが国への支援を強く 求める」と書かれている。地方公営企業法でも17条の3で「地方公共団体  は、災害の復旧その他特別の理由により必要がある場合、一般会計…から地 方公営企業…に補助をすることができる」と謳われている。コロナによる減 収を市民に転嫁することなく、この決意に沿って頑張ってもらいたいと願  う。激励もしていきたい。

つづき
財政危機というより、自治体の魂を失った門川市政の現状こそが市政最大の危機(3)
=京都市持続可能な行財政審議会=
  2020/10/中旬   井上けんじ

 普段ならというか、だんだん過去のことになっていくが、まちを行く折に、きんもくせいの香りが漂ってくると、十月半ばの自分の誕生日を思い出していた。が、今年はその香りを感じる前に誕生日がきてしまった。秋の来るのが遅いのか、そういえば今もカッターシャツでの仕事で、これも温暖化のひとつの事例なのかとも思える。ともあれ、連日の決算委員会に突入し、毎晩一夜漬けの予習に追われているうちにどんどん日が過ぎてしまっている。本来なら審議会の続きも考察しなければと思いながらも、それはまた次回に回し、今回はこの間の決算委員会の様子を振り返ってみたい。

2019年度決算を議題とする市議会決算委員会での質疑

 青春の蹉跌というか、市の「財政危機」をめぐっては、行き来戻りつ、前に書いたこととちょっと違うことを言うことになるかも知れない。頭の中で天使と悪魔とが論争しているような状態で、結論の断定の前に、いろいろな角度から考えてみたいということの反映でもある。そこでそのいろいろな角度をまず考えてみたい。その材料として、過日の決算委員会での質疑を紹介したい。

10月5日:行財政局での質疑(○印が私の質問、●は質問ではなく後で付けた見出し)

●「財政危機」を奇貨として、市民リストラが「本命」なのか

◯先程の答弁などを聞いていると「財政危機」が市民リストラへの葵の御紋か打ち出の小槌かと思えてくる。決算にあたり「財政危機」が強調されているが、その危機が私には素直に受け止められない。なぜそう思うか。的確な現状分析や打開への方向性、展望や戦略が見えてこない。そこで収入について、個人市民税が増えたとのことだが、その内訳について、課税所得200万円以下の層と700万超の層、及びその中間と、それぞれの増え方はどのようになっているか。(資料請求)
(→林税務部長)課税標準額の階層別では、対前年度比でほとんどの階層で納税義務者1人当たりの総所得金額は増加、または横ばいという状況。(資料提出)
○危機打開の一方策として、個人市民税所得割の税率について、例えば、課税所得700万超の税率を仮に2%アップすると、私の試算では+83億位。高額所得者の税率を引き上げることについて、そうは思うが法律だからムリとの見解なのか。それともそもそもそう思わないのか。
(→林部長)三位一体改革において税源移譲を地方にすることで、H19年度の京都市の影響額は+63億円。税源移譲という性格からフラット化することにより増収になったと考えている。地方税法のなかで、超過課税など標準税率以外の税率を採用する場合でも一律の税率としなければばならないと規定されており、できない。
○その「できない」についての見解を聞いているのに答弁を曖昧にてはダメ。税源移譲とフラット化は別の問題。交付税についても、減った内訳の分析が要る。税収が増えた分が減ったのか、それ以上に減らされたのか。基準財政需要額が見込みを大幅に下回った要因は何か。私は、超過負担の問題があると思う。交付税増額要求に際し、説得力を持った論拠をもっと詰めるべき。本市ではトップランナー方式、即ち交付税の性格を歪めるような動向に迎合・追随したりしている。これでは首尾一貫しない。運動にも腰が入らない。キッパリすべき。
(→金山財政部長)地方交付税について、基準財政需要額が思ったよりも伸びなかった。社会福祉分は伸びたが、それ以外の地域振興費、道路橋梁など他の部分が削られている。なぜかは開示されていないので算定過程を明らかにするように要望している。トップランナー方式は、行政の効率化を求めるもので、減った部分は他の部分にまわっており、地方に来ているトータルは変わっていない。大都市の財政需要に見合った算定をしてほしいというのが一番の要望。
○構造的に脆弱だと言われる。嘆いているのか何か他に意図があるのか。学生が多いのは京都の良い意味での特性。一人当たり市民税が大阪より少ないとデータ集で強調しているが、個人市民税は京都の方が多い。各都市によって税収に違いがあるからこそ財政調整制度がある。それとも不交付団体をめざすのか。
(→金山部長)都市特性が税収に反映されている。交付税が格差是正、財政調整機能を果たしている。不交付団体を目指せるとは思っていない。社会福祉は伸びているが他の部分が削られていることで、財政保障機能が果たされているのか疑問で近年強く要望している。
○脆弱だとか依存しているなど後ろ向きの言い方では交付税増額要求に水を差すだけ。三位一体改革以来減らされている。当時本市は交付税増額を言いながらも税源移譲に傾斜しており、結果、委譲は不十分、交付税も減らされ、今日に及んでいる。三位一体改革の総括はどうか。
(→金山部長)三位一体改革は、税源の移譲、国庫補助金の削減、地方交付税制度の見直しを行ったが、結果的に地方交付税が1兆円減らされた。京都市の財政にも大きな影響を与え、今でも響いている。当時の水準に戻すよう求めてきている。
○臨時財政対策債は交付税で100%措置されているからと肯定的に言われるが逆に言えば交付税の一定割合がその返済分に充てられ、ネットの交付税がそれだけ減少。公債費も措置されているが同様。それぞれ交付税に占める割合はどうか。それだけ自由に使える交付税が少なくなっているとの実態も運動の論拠にする等もっと明らかにすべき。
(金山→)臨時財政対策債は、返済財源を交付税で措置する部分が年々増えている。その分、他の経費が減らされている。臨財債の増が交付税全体を圧迫しているのではないか。臨財債の増の部分とそれ以外の部分をきちんと措置することが必要。
○法人市民税法人税割の国税化についても、数年前、あっさりと国の言う通りの対応をされている。一概には言えないが、国を経由して戻ってきたのか。仮にあるとしても、国税化による市の減収の方が、ずっと大きいのではないか。総括はどうか。
(→林部長)法人市民税の税率が引き下がってきた分は、交付税の原資になった。
(→金山部長)交付税の原資となったものは、地方間の格差是正に使われた。京都市の財政状況は厳しいが、より小さな市町村に配分された。大都市が不利益を被った。
○だから、差引+−で言えば大幅マイナスだ。法人市民税法人税割の税収が長期的には大幅減少傾向。本市では4.1%の資本金10億以上企業が法人税割の59%を占める。政府の大手減税の悪影響是正で大幅増収が得られるのではないか。
(→林部長)今回、法人市民税の超過課税についてあわせて提案している。
○答弁になっていない。本当に財政危機というなら、鴨川東岸線や堀川地下バイパス計画など見直すべきではないか。
(→金山部長)投資的経費については、一件一件効果を見極めていきたい。
○財政危機と言いながら、危機打開とは別の動機があるのかなとさえ思えてくる。人員削減は、財政危機だからやむなく断腸の思いでというよりむしろ自慢。民間化も積極的。財政危機を奇貨として人員削減や民間化が本命のようにさえ思える。そもそも予算編成権を唯一持っている者が持っていない市民に危機を煽っても、市民にすれば、あなたの編成力はどうなのかと問いたい。財政危機は自然現象ではない。一体誰の責任なのか。
(→金山部長)財政危機に至った要因は、収入が少ないなかで、国の基準、他都市の水準を超えた施策を続けてきた。慢性疾患、恒常的な収支不足を続けてきたことが要因。収支のバランスを整えることが必要。
◯行財政審議会では、「仝鯢媽罵弋瓠↓∋埓任覆鼻↓市の施策水準見直し」の方向性を挙げて結局だけになっているが、市独自の議論をするためにこそ、交付税だけでない国の税財政の批判的検討を含む,竜掴世いる。

10月7日:総合企画局での質疑
●大型事業は聖域、市民サービスリストラありき

◯決算の焦点は「財政危機」。今年度・来年度予算等にも影を落としている。そこで行財政担当局長・都市経営戦略監連名発各局長等宛て「改革提案依頼文」について聞く。
 P1で「交付税の減で大変」とのこと。三位一体「改革」当時、私は交付税充実派だが、市は税源移譲に傾斜していた。結果は税源移譲も実現せず、交付税も減らされたまま今日に至っている。その総括はどうか。基本的に国対地方の所謂6:4の転換の必要性は前提だが、当面の課題としては交付税増額を求めるスタンスだと思う。行財政局でも不交付団体を目指すわけではないとの答弁。交付税充実こそカギ。ところが一方で、P3でも他に何か意図があるのかどうか脆弱とか交付税依存度が高い等と嘆いている。依存度高い等と言えば、交付税増額要求に水を差すだけ。市税が少なければ依存度が高いのは当然。腰が座らない。どういう財政構造の都市を目指すのか。
(→大八木都市経営戦略室長)将来に渡って景気変動等にも耐えうるような持続可能な行財政を確立していくことが大切である。そのために全職員に、厳しい財政状況、見通しについての共通認識、情報共有を目的として示している。歳出・歳入の改革、都市の活力を市民の生活の豊かさに繋げ、担税力の強化を図るという中長期的なものを見通した財政構造を構築してきたい。
○交付税の増額を求めながら、一方で交付税に頼りすぎとの表現をするのはつじつまが合わない。論点整理が必要。その嘆きの一環としてP3では、市民1人当たり税収が少ないと、五大都市より423億円少ないとのこと。一方決算参考データ集では、対指定都市平均比で、一昨年156億、昨年は105億少ないとのこと。どの都市と比べるか。違いがあるのは各都市の特性。多い都市との比較での差なら、どんな指標ででも全部京都が全国一にならない限り「少ない」ことはいくらでもありうる。恣意的だ。データ集では市税は大阪より少ないと嘆き、本市では大学生や高齢者が多いからと何だか否定的に言っている。大学生や高齢者が多いのは京都の誇りだ。ところが実際は、個人市民税は大阪より京都が多い。多いのに大学生等が多いからと理由にもなっていないどころか逆のことを言っている。ここでも脇が甘い、というより市税と個人市民税を意図的に混同。焦点が不明確、というより脆弱だから市民リストラやむなしと思わせたいとの動機が働いているようにさえ思える程、議論が混線している。
(→大八木室長)他都市との比較について、政令市の平均、五大都市の平均など、一定の人口規模があり、都市基盤が整備されているなど、本市に近い都市特性をもつ市との比較によって理解が深まるのではないかと用いた。
○先程から答えになっていないが、P1・4等で、今日の財政危機を招いた要因として地下鉄や鉄道高架化等大規模投資とのことだが、ではなぜ市内高速道路についてはどこにも触れられていないのか。2007年3月1日の予算委員会で、高速道路の京都市負担は、洛南道路の190億円を含めると716億円になると議論した。そのことがなぜ触れられていないのか。
(→大八木室長)市債に係る大規模投資事業の例示について、令和6年度以降に本市の市債返還に係る経費が増加していく。令和6年〜10年は、令和元年〜5年の1.4倍になっている。原因となるのは、平成初期の大規模投資の市債返還で、その当時の事業として立体交差化事業や東北部クリーンセンターを例示している。京都高速道路については、市債発行の多くが令和11年度以降に償還を迎える。
○地下鉄などの様に市民生活に定着していないから触れないのではないか。分析や資料提供が恣意的というか殊更に「危機」を強調するというか、私に言わせれば真実を避けたところで結局は、使用料、手数料、減免制度等の「切り口」への誘導となっている。そこで何が真実かの議論の前に、一体、「危機」の責任は誰にあるのか。予算編成権を持っていない市民の立場から言えば、唯一持っている者から「危機」だ、見直しだ、切り口だと言われても、じゃあなたの予算編成力はどうなのと逆に聞きたい。経過と責任はどうか。
(→大八木室長)財政基盤が脆弱な京都市においても、今と未来への投資は行い全国トップ水準の福祉、教育、医療のサービス水準を確保してきた。しかし、基金の取り崩しなどもあり、責任と言うことではなく、必要なサービスの維持のため持続可能な財政のため改革を検討していく。
○今日の地方財政危機については国の税財政政策への批判的検討抜きには語れない。私はそこが責任であり真実だと思う。そしてそこに迫れない本市もまた責任を免れない。国の大幅大企業減税が自治体の法人市民税減収に連動しているし、個人市民税率フラット化が押し付けられている。私は累進的な税収構造こそが本当の平等だと思う。地方分権、地方創生等と言われるが、財政的な自治権拡大はどうか。
(→大八木室長)税制度については難しい問題。現在の地方税制度のもとで独自に制度構築していく裁量の範囲はごく限定的。所得税については、累進性は所得の再分配の性質をもつが、地方の個人市民税の所得課税については、等しい税率で納める、受益と負担の明確化のもとで制度設計をしている。
○都市の在り方と言えば文化とか心とかだけでなくハード面からのアプローチも不可欠。鴨川東岸線や堀川地下トンネル計画等車を呼び込む、しかも莫大な財政を伴う。「危機」と言うなら見直すべきではないか。
(→大八木室長)投資的事業については、市民生活に直結するもの。聖域なき見直しをすすめていくもとで、投資的事業も例外ではなく、優先順位、規模、費用の精査等、あらゆる観点で検証を行っていく必要がある。
○市民向けの施策は聖域なきといいながら、大型事業については聖域にされている。そういう答弁だから、私には、危機だと強調されておられるのに一体どうなんだろうかとの疑問を禁じ得ない。「国の財政も大変」論の克服も要る。トータルの議論を欠落させたまま、一路「切り口」へ邁進。最初から市民リストラありきなのかなとさえ思えてくる。

●費用負担も自然環境・生活環境への影響も不明のままの北陸新幹線誘致はやめよ

◯次に北陸新幹線誘致について財政にも関連して聞くが、本市への財政的分担が求められるのか。また直接でなくとも例えば周辺整備等の費用負担はどうなるのか。
(→奥井総合政策室長)鉄道運輸機構が、鉄道施設を建設、保有し、営業主体であるJRに対して施設を貸し付ける上下分離方式により運営される。JRは受益の範囲内で機構へ貸付料を支払うことになる。費用負担については、JRからの貸付料収入を除いた額を国と都道府県が2:1で負担すること、都道府県は利益を受ける限度で負担金の一部を市町村に負担させることができる。京都府と連携し、国に対して地元負担軽減のための財政措置を強く要望していく。
○要望しても軽減の裏付けはない。見積もり抜きで誰が家を建ててもらうか。時価で寿司を食べるのは金持ちだけ。どのくらいの負担額になるのか。
(→奥井室長)環境影響評価法にもとづく手続きを経た後に行われる設計の段階で示される。
◯後に引けない段階で請求書が来ても断れない。財政含む、一から見直す可能性も含めた事前の影響評価が必要ではないか。在来線や地下水、市北部森林への各影響など懸念材料は山積だが、特に、京都駅を通ると説明されていることから市中心部での影響は避けられない。住環境等への影響が懸念される。財政とともに、ルートも、可逆的な段階での案で市民意見を求めないと、市街地で言えば直径12kmの円だけ示して、ルート発表の時点では既決だというのでは押しつけではないか。
(→奥井室長)鉄道建設運輸機構によって環境影響評価法にもとづく手続きが行われている。令和元年5月には、計画段階環境配慮書が、11月には環境影響評価方法書が公表されている。本市の意見としては、「当該施設等からの環境影響をできるかぎり回避、低減するとともに、自然環境や生活環境について十分配慮すること」を前提としている。
○少なくとも、見積もりも含め、変更と断念可能な段階での案の提示抜きに、誘致運動などはすべきでない。

 ざっと以上のようなことであったが、これらを振り返って、或いはこれらの質疑にあたって考えてきた、前述の「いろいろな角度」について頭の整理をしてみたい。まず書くことは考えることであり考えを深めることである。その為に初期の表現はラフとなってしまうことはありうるし許容範囲と考えたい。
 a:財政危機は、市民リストラを進める為の口実である。b:財政危機を奇貨として、本命であるリストラを進めようとしている。c:財政危機からの脱出の方向を見いだせない為に迷走し、市民リストラにしか行き着かない。d:ではその「見いだせない」のは、能力の問題なのか、いやそんなことは絶対にない。階級的立場から「見いだせない」のである。e:国言いなり病と市の大型事業固執の二つが中心的大問題である。結局、自民党政府と同じ立場と土俵の上に立っているということが本質である。f:しかし自民党政府が税財政の全面的権限をもって大手減税や庶民増税、自治体財政締付政策を採っていることと、地方自治体がその影響を受け締付の対象となって、地方財政危機の被害を被っていることは、同じ立場と土俵とはいえ、それは反動勢力内部の矛盾とも言える。勿論これは制度の問題ではなく、たまたま国も京都市も、自民党が与党となっているという現況においてのみの話ではあるが。g:従って重篤の国言いなり病については、国への声を挙げるように指摘していく、地方自治の旗を掲げ、その限りでは一致してハッパをかける、批判の姿勢が弱いことを批判する、国の税財政の歪みを具体的に指摘し地方自治の立場からの一致点を広げていく等々の方向が基本だと思える。後者は、国の「土建国家」の圧力もあろうが、基本的には市長独自の権限に属する問題であるから、これは徹底批判あるのみである。複雑な思考回路を経なくてもよい。h:その病気が治らない限りは、或いは治そうと市長が思わない限りは、市民リストラは絶対に許されない。問題は、その許されない姿勢と立場を貫く場合、市民に対し、「噛み合った議論」を提供する、反対の為の反対ではなく、その治そうとしない市長の姿勢こそが問題であるという点を如何に分かり易く浮き彫りにできるような議論に持っていけるか、そこだと思う。i:「危機」とは言いながら、その打開の為の努力が全く不十分であること、いや打開の為にほとんど何もしていないこと−それはもっぱら市民リストラへという奥の手、逃げ道、退路があるからであろう−、努力の方向が間違っていること、ズレていること、またむしろ逆に、例えば法人市民税の国税化等、自らが積極的に財政危機を促進していること、特に大型事業はまさにこの危機促進であること、等々の具体的な指摘を通じて、分かり易く浮き彫りにしていく作業がキモであろう。
考えをめぐらしていくと、確かに頭の整理にはなっていくが、しかし一方、また別の悪魔が頭の中に登場してくる。少し別の角度からの選択分類も要る。a:これこれの条件クリアされない限り、市民リストラはすべきでない。これは上ででもすでに書いた。b:「危機」を招いた責任者は誰なのか、その明確化と責任、総括抜きに市民リストラはあり得ない。c:いわば我々は野党であり、責任の追及を専らとし、財源的対案は必ずしも用意しなくてもよい、と強調するか、いやその点は、国との関係、大型事業の例示で既に示していると言いうる。d:そこで問題は、ではその対案で、直ちに、現下の「危機」を克服しうる財源となり得るかどうか。現に市長は、来年度500億不足と言っている。これをどう見るか。
 次の議会質問では、議員団の分担上、残念ながら財政とは離れた分野での分担となってしまったことから、今はその方の予習にかからなければならないことになった。とりあえず上の続きは次回を期すこととしたい。


つづき

 一晩寝てしまうと、まして何日か経ってしまうと、前に書いたことを忘れてまた徘徊彷徨してしまう。深刻なご相談や他の課題が常々尽きないから余計にそうなる。しかし絵の具を重ねたり、らせん階段状であったりしても、書きながら考え、考えながら書くことはムダではない。きょうは、自転車乗車中に、以下のようなことを考え、降車後忘れないようにメモをとった。a:今日の「財政危機」を招いた責任の所在は?。これは主要には自民党政府。しかしこれに追随している市長も、追随しているという意味において同罪。又はそこまでは言えないかもしれないが、少なくとも責任の一端は免れない。b:「危機」は本当か?。造られた「危機」ではないのか。ではそれは誰が造ったのか。これもまた自民党政府である。主要には。社会の本来の在り方から言えば、剰余生産物を、必要な行政経費と福祉教育文化等に十分充ててもなお、労働時間の大幅短縮が実現されるであろう。しかし勿論そんな未来社会のことでなく、今日の資本主義社会でも、軍事費をはじめムダ遣いをやめること、大企業や高額所得者層の税率を、せめて以前の水準に戻すこと等々の
真の改革によって、「危機」は造らなくても済むし、また克服することも可能である。c:
そこで問題は市長の位置である。「造られた危機」を創った共同正犯なのか共犯なのか幇助なのか、とともに私は被害者でもあると言いう得ると思う。但し市長には、口で「地方交付税増額を」程度のことは言ってみたところで、そこまでの認識はないであろう。そもそもがまことに重篤な「国言いなり病」が治らない。「病膏肓に入る」といった状態で、あたかもそれは戦後自民党がアメリカ言いなりの如くである。治らないうちは、市長の責任もまた免れない。d:そこで市長がその罪を免れる為には、第一に、地方自治体が被害者であることの自覚、即ち自民党政府の責任として把握すること、第二にはその克服に向けての認識、克服の為の活動と行動である。e:そこで、そういう方向抜きに市民にリストラを押し付けるべきではない、というのが現段階での私のスローガンとなる。ではそういう方向が果たされるならリストラは是か、という問いに対しては、答えが難しいからという理由ではなく、全くの仮定の話、架空の話であるから議論の意味がないという意味で今は答える必要はない、と断言できる。国に対し、身体を張ってでも市民の暮らしは守る、と言うべきなのである。f:それでもなお市長は「現実にお金がない」と言うであろう。答えはこうである。それは市長の甲斐性、責任で何とかすべき何とでもすべき問題であって、井上の提案を何らか顧慮したとしても、市民には何の責任もない話である。g:それでもリストラと言うなら、リストラと言うのは、結局、ハナからリストラありきが本音だからであろう、と言うことができる。今後、検討していかなければならないが、例の行財政審議会では、一部の先生から、まさに切り捨てありきの言いたい放題の議論が繰り返されているからである。
そんなわけで、私にとっては、単に「市民へのしわ寄せは許せないから」は当然の前提だが、それだけでなく、根拠をもって、市長の「財政危機」論批判と対案提示をも含む、噛み合った形での反論が可能だとの認識に至りつつある。要は、自治体の魂を失った国言いなり病が根源であり、キモであろう。市長はまあいいとしても、市の幹部職員、一般職員の皆さんにも納得して頂ける議論を展開したい。その為の論戦準備が必須である。
 ダラダラと冗長な決算評価が長くなってしまったが、いよいよ次回は「行財政審議会」に話を戻したい。


 その前に、一言。「財政危機」をめぐって、その真偽や背景、要因、打開の方向等々、ずっと青春の彷徨が続いているが、10月19日、ある一定の認識に到達した。京都市を含む全国の「地方自治体財政危機」については、自民党政府の責任が大きい。その意味では「危機」はつくられた「危機」である。その意味では真偽の偽とも言える。一方、地方自治体にとっては確かに「危機」は偽ではないであろう。では真とした場合、その要因や責任はどこの誰にあるか。そこでその政府に対し、「国の財政も大変」等と言って追随し、そのしわ寄せを市民に押し付けている市長もまた責任を免れない、という構図ではなかろうか。ここまではこれまでに考えてきていたこと。新発見の認識は以下の通り。市長や市幹部の皆さん、「危機」に悩む全国の地方自治体の関係者の皆さん、「危機」打開の最も遠いようで近い道は、ズバリ、今度の総選挙で自民党政治を倒し、我が党を含む野党連合政権を創ることだ。霧が晴れたように「危機」打開が実現すること間違いなし。各自治体の、特に財政担当者の皆さん、寝ても覚めても財政のことで本当に毎日大変です。しかし今度の総選挙で日本共産党や野党統一候補が勝てば、今までのご苦労がきっと報われます。新政権が実現すれば、やらなければならないことは山ほどありますが、私も、広い意味で自治体関係者の一員として、こくた恵二衆院議員らに意見を挙げ、提案もします。どうかその認識に立ち至ってください。みんなで「危機」の悪夢から夜明けを呼びましょう。


つづき

財政危機というより、自治体の魂を失った門川市政の現状こそが市政最大の危機(4)

=京都市持続可能な行財政審議会=
2020/11月下旬 〜12/初旬  井上けんじ

行財政審議会=その3
    見直すべきは、敬老乗車証などではなく審議会の存在自身

 10月から11月にかけて、行財政審議会の議論と目標の先取り・具体化、その路線の一貫とも言える「市民税減免制度の廃止」との市長提案の条例改正案をめぐり、議会では、10月の委員会では継続審議となったものの、11月議会では、共産党以外の各党が、結局、賛成して可決と相成ってしまった。廃止による福祉・教育等60項目近い諸施策への影響の詳細について、市の答弁は2回の委員会を経て、その説明は全然変わらない。ばかりか、経過措置を設けるとは言いながらではどの施策についての措置なのかと言えば、これは答弁の度に右往左往するという有様であった。日本共産党は、今明らかになっている影響だけからでもとうてい賛成できないとの立場であるが、多様な意見があることも考慮して、採決の前にもっと影響の詳細についての議論が要るから継続審査としようと提案したが、2回目の委員会では、他党はもうハナから賛成に回るとの雰囲気であった。市は影響の詳細について明らかにするためにも議会での可決が前提条件だとの議論を持ち出してきたのである。議会議決がそれだけの重みを持つならば、手続きとしては「詳細を明らかにせよ」との決議を挙げたわけではないとはいえそういう要求を中心とした議論をしているのであるから、その意向をこそ尊重するのが当然である。議会軽視というより市長サイドの方針に議会を従わせようというトンデモナイ発想であると言わなければならない。経過の詳細は党市議団のHPや私のHPの議会報告ニュース欄の毎週の各ニュースに詳しいので参照願いたい。
 ちなみにこの議案は、法人市民税法人税割の税率を8.2%とする措置を当面今後5年間も継続するとの案も含まれている。これにかかわって何点か問題提起しておきたい。\限税率一杯の8.4%まで税率アップするとすると、4.1億円の増収が得られるが、市は8.2%の継続だけでも経済界に相当気を遣ったようだ。今回の継続で精一杯との立場である。△修海任修竜じいの内容として「経済発展に資するように充てる」と約束して納得してもらったのであろう。わざわざ議案説明書にもそういう使途について触れている。議会各派にも了解を得たいためであろうが、目的税でも何でもないのにこういうことを公式に書くのは総計予算主義の大原則に反する。一時が万事、普段「財政危機」を強調しているにも拘わらず、財政運営や会計の在り方についての厳密さが疑われるようなお粗末な事例である。私たちは制限税率一杯まででもという立場だから、当然この継続案には賛成である。抱き合わせの一括議案だから私たちは市民税減免廃止条項削除の提案が否決された後、この廃止に反対する立場から全体としては反対したが、本来ならこれらは議案分離すべきなのである。一説ではそれは出来ないとの論があるが、私はその有無や可否自体も議会の判断であるとの立場である。誰がどういう趣旨で複数の項目について一議案として提案しようとも、その複数項目議案をどう料理し処理するかは、賛否の態度決定と同様、議会の自主的な判断に依るべきである、と私は思う。
 ついつい長くなってしまうが、そんな訳で、審議会自体は4回目までが既に終了しているが十分に論評できないままになっている。12月に第5回目が開かれ、年内に「中間報告」とやらが発表される予定とのことである。各委員の先生方の発言には驚かされることが多いが、ひとつひとつ感想を書き連ねてももうあまり意味はない。方向性は既に明らかだからである。「財政危機だ、基金を食い潰しておりこのままでは枯渇する、だから市民サービス切捨も聖域ではない、民間化だ」と、まあ一路こういう話が大勢である。10月段階の私のニュースで、「見直すべきは敬老乗車証ではなく審議会の存在自身ではないか」と指摘していたが、その確信が深まるばかりである。
 そこで今回は、審議会の議論に何が欠けているかを考える材料のひとつとして不肖井上の5月議会での代表質問の一部と、「財政危機」への市長責任の有無や程度を考える材料のひとつとして、過日のさる学習会での私の報告資料の一部を転載したい。 

【'20年5月議会での代表質問の一部より】

(新型コロナウイルス対策の財源について触れた部分です)
 … 大企業内部留保金の社会的活用も必要です。留保金460兆円を仮に各自治体に人口按分で配るとすると、京都市には5兆3682億円、一般会計7年分。仮に全国民に分配するとすると365万円。勿論これらは単なる計算にしか過ぎませんが、元々下請け中小企業と労働者が創りだしたものですから、大企業に社会的役割を発揮して頂く一環として、コロナ対策については活用を求めるべきであると考えます。…

(新型コロナウイルスの蔓延の元で、教訓とすべき経済対策と財政政策について質問した部分です)
 … 自治体財政の危機打開のためにも、国の中央集権的財政政策の抜本的転換を
 二番目の教訓は、財政についてであります。本市にとっても、今後大幅な減収が危惧されますし、また今回の対策の為にも、改めて財政問題についてお聞きしたい。特に国への財源要求が必要だと考えます。ここでは、国との関係を中心に、絞って質問します。政府の中央集権的財政政策が自治体財政危機の決定的な要因となっているにもかかわらず、そのことへの分析が、本市においてほとんど無いに等しいむしろ追随している、批判的視点が必要ではないか、というのが質問の趣旨であります。
(1)国の法人税減税の是正と個人市民税の累進化で税収増へ
そこで、政府の財政政策がいかに自治体財政にとってマイナスになっているか。例えば、地方交付税について言えば、今日、有力な交付税財源である所得税・法人税両税は、最高税率引き下げや大企業減税等によって、長期的には大きく減っています。交付税の財源は、両税が減れば減りますし、逆に行き過ぎた減税を止めて増えれば増えることになります。この点への分析と言及が必要ではありませんか。
より直接的な問題として、国の大企業減税政策が自治体の法人市民税法人税割の減収に直結しています。法人税率引下げと、租税特別措置についての分析が必要です。諸々の優遇税制によって、実質的な負担率は、この間引き下げられてきた名目税率よりもさらに少なくなっています。私の概算ですが、京都の大企業9社は、この5年間、法人三税の税率約29%に対し、実際には21〜22%ぐらいしか払っていません。不当な減税を止めれば市民税法人税割が大きく増収になることは明らかであります。消費税導入前後、本市の法人税割収入は400億円超、今や半減です。
個人市民税の所得割税率も以前の様に所得に応じた税率とすべきです。せめて三位一体改革前の三段階で計算し直すと、4年前の数字でこれも私の概算ですが、課税所得700万円超を10%にすると、200万以下を3%にしても差し引き相当の増収が可能です。この改善は、累進制復活という実質公平性の意義もあると考えます。住民税は応益負担との考えは、現に均等割がありますから所得割の累進税率を排除するものではありません。
国の法人税減税是正と個人市民税累進化は本市の税収増にも繋がると思いますが、この点についての市長の認識をお聞かせ下さい。
(2)削るべきを削り、集めるべきを集めれば財源ある
そこで、国への財政要求に際し、いつも出てくるのが「国の財政も大変だ」との答弁であります。この認識が要求実現の妨げになっています。軍備拡大や大企業・富裕層減税を止め、削るべきを削り集めるべきを集めれば財源はあります。税収構造の歪みも深刻です。政府予算では消費税が税収額トップとなり、本市も地方消費税頼みが進んでいます。所得が低い程負担割合が高い最悪の不公平税制で逆進性が拡大、ますますイビツな歳入構造になっていくばかりです。所得税最高税率や法人税が引き下げられ、税収の空洞化が進んでいます。税金の所得再配分機能の喪失、逆に税金が格差拡大推進という異常な現象が今日の税財政の特徴です。国が大変なのは、お金が無いことよりもむしろこれらの歪んだ財政構造こそだと私は思います。この点への批判と改革への問題提起抜きに、「国も大変ですね」等と言いながら、交付税増額だけを要求してもうまくいかないのは明らかであります。
(3)大型事業の凍結、減額補正で当面の対策費用に充てるべき
市独自の問題ですが、福祉や教育の分野では財政危機だと言いながら、北陸新幹線や堀川通り地下バイパス等見積り抜きでも突っ込むというのは、要はお金の問題ではなく気持ちの問題だとの証明であります。鴨東線第三工区等、市の大型事業の凍結、減額補正で当面の対策費用に充てるべきことも併せて要求します。
(4)大型事業の推進、民間化や職員削減、地方自治の魂を忘れた市政こそが危機
全体として国の財政への批判的視点の欠如、市においても大型事業の推進、民間化や職員削減、地方自治の魂を忘れた市政のこういう現状こそが、ある意味、財政危機ならぬ京都市政の本当の危機ではないか。政府の地方財政政策の問題点への言及抜きに財政危機だけを市民に強調するのはいかがでしょうか。私の提案は特効薬ではありませんが、まず危機克服の前提であり第一歩だと確信しています。大企業優遇税制や地方税法の制約など国の財政政策が自治体財政の危機の根源だとの認識はどうか、及び国の財政についての現状認識、国へ要求していくべき課題や方向についてもお答え下さい。
今後の地方財政危機打開の為ばかりでなく、当面のコロナ対策の為にも、国に、必要な財源と財政政策の転換を求めていくことが必要です。本市においても、今は緊急事態ですから、現状と実態と必要に応じて追加出動する、臨機応変の対応が求められると思います。必要な財源の確保とその為に国にも強力に要求する、これらの決意を求めて質問を終わります。
【答弁→財政担当局長】国においては、公平公正かつ均衡のとれた安定的な税体系の構築が図られている。国の法人税の軽減措置をはじめとした法人税改革は、大企業を優遇するためのものではなく、中小企業を含めた企業が積極的に設備投資などに取り組み、企業の成長を促す観点から行われているものである。
本市は、一定規模の大企業に超過課税を行い、能力に応じた負担を求めている。
なお、地方交付税の財源は、法人税を含め、国税のうち地方交付税に配分する割合を引き上げることによる交付税の財源の増額確保が重要である。
個人市民税の所得割は、所得に関わらず、等しい税率で納めることで、受益と負担の関係が明確になるとともに、地域社会において負担を相互に分かち合うという個人市民税の性格にふさわしいものである。
国に、行政サービスの向上と、自主的で安定的な財政運営を行えるよう、安定的な税財源の確保に努めていく。
(全文は井上HP「議会論戦」の欄をご覧ください)

【地域の学習会での報告資料より】

<批判の視点と対案>

a、財政が厳しかろうが、まず市民リストラは許せない、との立場は有り得る。唯一、予 算編成権限を持つ市長が、全くその権限外の市民に対し「財政危機」を言うのは、自ら の財政能力が問われているだけの話。その力がなければ辞めてもらったらどうか、と言 いうる。
b、「財政危機」は、口実か理由か、「危機」を奇貨として(に乗じて)本命であるリス トラ促進か。「危機」の真偽はどうか。少なくとも偽ではない。ではその「危機」から 抜け出せないのは何故か。国の責任と累進的視点の欠如の故に展望が見いだせずリスト ラへの迷路に迷い込む。
c、いや、市長らにとっては迷路でも何でもなく、既決の予定通りの明路である。それは 危機打開への能力の不足といった問題ではなく、正にその階級的性格による。
d、ではその責任の所在はどうか。今日の地方財政危機の真の原因は歴代自民党政府の地 方財政切捨ての制度と政策にある。同時に、「危機」は偽ではないし、その政府の政策 の被害者とも言いうる側面も持ちながらも、市もまた国に追随している限りは同罪であ る。「国も大変」との答弁・認識の現状では市の責任も免れない(日本の独占資本がア メリカに従属しつつ、その言いなりの元で国民に苦難を強いているような関係に例えら れるかどうか。どちらかが主敵か、それとも「二つの敵」か。
e、「危機」は偽ではない。しかしその打開の為の我党の建設的提案を無視している限り、 その本気度を疑わない訳にいかない。つまり本気度は希薄だ、または打開の方向が全く の見当違い(市民リストラ)となっている。
f、従って、打開の為には、市民へのしわ寄せ回避を前提に、国への、的確な論拠に基づ く市民と組合に依拠した大運動、大手への適正課税、市の大型事業や大企業立地補助金 の見直し等、が必要である。
g、そういう方向への根本的転換抜きに、市政リストラはあり得ない。
h、狭義の財政問題に矮小化せず、今日の自治体の在り方、ひいては国も含め政治の在り 方そのものが問われている、との認識が要る。職員削減や公務の「民間化」は、最早「財 政危機」だからやむなく、ではなく、それ自身、独自の狙いと目標を持った、市政・自 民党政府の積極的基本的な政策の基調となっている。「職員削減」と自慢、「民間にで きることは民間に」。大企業等に仕事の場を提供、「デジタル化」等々。「社会的な課題 の解決、これを税金で、公務員が、行政がやらなければならないという時代はもう終わ っている」(9/28市長の幹部職員への訓示)。
i、自民党憲法改悪草案では、「国及び地方自治体は…相互に協力しなければならない、 住民は…負担を…分任する義務を負う」等々を謳われ、「協力」の名のもとに一層の従 属化、また地方税の増税と自治体財政の「独立採算」化を狙っている。軍事費削減や、 大企業大幅減税是正、内部留保活用等、国の財政の問題点についても議論を深めていく。
j、今は新型コロナウイルス対策(感染拡大防止と中小零細事業者支援等、国民の命と健 康、暮らしと仕事を守る)が急務、との角度からの批判と反論も要る。

 これまでの記述と重複することもあるが、ここで改めて、審議会議論に欠けていると思われる論点というか、議論のフレームについて、再度考えてみたい。本来なら頭の中で整理したうえで系統的に書くべしだが、そこは残念ながら系統的にものを考える能力の問題だと思うが、とりあえず思いつくままにまずメモ的箇条書き的に羅列して柱だけ書いてみたうえで、書きながら頭を整理し、もう少し立ち入る部分についてはその後で考えたい。
○ 5月議会での代表質問を振り返って改めて思うことは、この審議会では、新型コロナウイルスの現状や対策や、財政のことが議題になっているのに、その対策の為の財源のことなどに、全く触れていない。
○ 「聖域は設けない」とは言いながら、しかしやはり、例えば、この際、市長や議員等の報酬を大幅に削減するといった案は、少額は実施されているとはいえ、全然議題にならない。要するに暗黙の「聖域」が設定されている。ここから関連して思うことは、「市民の暮らしと福祉への影響は避ける」との前提が要るのではないか。そんな前提を設定すればそもそもの議論が成り立たないとの反論があるとすれば、それこそ語るに落ちる、審議会の正体見たり、と私は思う。勿論程度や内容の議論はあろう。しかし貧困に際し「子どもを餓死させない為に自身の餓死をもいとわない」との親の決意が、今の市長や審議会にあるかどうか。健康で文化的な市民生活の現行の水準は下げないとの前提の設定についても、少なくとも議論ぐらいはされて然るべきではないか。
○ 国の税財政制度政策への批判的視点と累進的発想との欠落については一番最初に欠いた通りである。
○ 決算委員会答弁では「不交付団体をめざすわけではない」との答弁であったが、一方で「交付税足らない」と言いながら「交付税に依存している」と嘆くのは首尾一貫しない。これは弱点だが、もっとひどいのは「成果や努力」「外国人宿泊者数」に応じた算定やトップランナー方式など交付税変質の動きへの追随である。一貫しないどころか、積極的に間違っている。こういうスタンスのまま市民に「危機」を押しつけるのは筋違いである。
○ 過去発行の市債の償還時期を迎えていると危機感を煽っているが、その分析中、市内高速道路の建設費についての分析が皆無。また市債中、後の交付税措置の有無や程度についてもほとんど触れられていない。関連して、各事業について振り返るにあたり、この交付税措置に乗せられて国に誘導されてきた側面があるのではないか、等との総括が皆無。○ 公債費については私も個別に資料請求して現在分析中であるが、元利均等か元金均等かはともかく毎年の返済か何年後かの一括返済に向けての積み立てか、そのそれぞれの元の発行市債毎に分析したうえで毎年の返済及び積立の必要額が計算されているということのハズであるが、審議会では、こういう分析よりもむしろも、いくら取り崩す、ならば何年後にどれだけ減る、と言った議論が先行しているとの印象を受ける。
○ 併せて、これは臨時財政対策債償還に当たっての交付税措置についても言えると思うが、償還分の措置を逆に言えば、交付税に占める償還分の割合増加、俗に言われる補助金化で、要するに交付税の一般財源部分の縮小、ネットの交付税の減額となっているのではないか。この点も一般財源確保増額めざす議論の一環として議題とすべきではなかろうか。
○ 審議会の議論では、〆8紊眛瑛佑侶晃で財源不足が継続し、従って∨菁毎年基金を取り崩して補填していかなければならない、やがてその基金が枯渇する、そ還財源が底をつく、イ修海農度の見直しだ…。要するにこういう議論一辺倒に終始しているのが特徴で、特に議論の出発点としての,砲弔い董国との関係や累進性発揮等による収入増や大型事業見直しによる支出減の余地があるのにその検討が全くない。前提が限定された想定だけから出発しているから、以降も迷路に入り込むしかない。イ砲弔い討眄三茲鮴澆韻襪覆鼻∩瓦恣意的というか、最初からリストラありきなのかと思えるような議論ばかりが続いている。
○ とはいえ、こういう大筋の批判の為にも、市の資料等の各論的分析と批判が必要である。上の↓な佞蠅料按鵑箸覆辰討い襦↓,痢額も含めた根拠についてもハッキリさせて行く必要がある。
○ 大都市の財政需要の要因として、特に大企業の事業活動がある。集積利益を利益として捕捉すること、また都市と住民の環境に与える負荷についてもその軽減の為の費用負担を求めること、が必要である。むしろ大企業誘致とその助成等に議論が傾斜しており、これは利益を捕捉しないこと、負荷について免罪していること、助成による不必要な支出となっていること、において三重の意味で逆行していることになる。指定都市市長会では、せめて「法人が集積に伴う…行政サービスを享受している…」と大都市需要の具体例についても明らかにして対国要望を提出していることと比べても、審議会の議論は、不十分、というより意図的にこういう論点については避けているとしか思えない。
○ 上の論点にかかわっては、かつて京都市自身から研究を委託した「市税財政問題研究会」が「税源拡充構想」を打ち出している。1975年のことであるが、その観点は今日でも立派に参考にしうる。後に、その要点も紹介したいが、こういう歴史にも学ぶべきであろう。
○ 細かい話になっていくが、国との関係では、国庫補助金の在り方や、交付税にしても、基準財政需要額算定にあたり、その算定想定自身を今日的に見直さなければならない問題や補助金化と言われる傾向への批判、トップランナー方式への対応はどうなのか、等々、議論すべき細目課題はいくらでもある。本来ならそういう分析と国への、批判がイヤならせめて提言をすることでもいいから、そういう仕事こそが附属機関とか審議会の本来の専門的役割にふさわしいのではないか。


つづき 2020/12/中旬 〜 2021/1/上旬

 前項で、「審議会の議論のフレームについて考え…もう少し立ち入る部分についてはその後で考えたい」と書いたが、そこで、特に大都市の財政需要の問題に限って、1975年に京都市自身から研究を委託した「市税財政問題研究会」の「税源拡充構想」と、宮本憲一教授著「財政改革」(岩波書店、1977年)から、その要点だけ、紹介しておきたい。
 この「大都市の財政需要」問題についてのまず本市の認識であるが、対国要望書等で「大都市財政の実態を踏まえた財源の確保」、「大都市特有の財政事情」等と言いながら、その問題意識は「大都市に偏重した交付税の削減」、即ち大都市ほど交付税が減らされているといった程度で、その根底には、「自治体間でのモノの取り合い」的な発想しかない。そもそも何が「特有の事情」なのかがハッキリせず、その分析をした形跡もほとんどない。辛うじて、「大都市特有の財政需要を考慮した法人所得課税、消費・流通課税などの配分割合の拡充強化」とは言っているが、これとても、何が特有なのかは判然としないし、後者についても消費税への批判的視点もない。「ウチにもっとよこせ」と言っているだけの話でしかない。
 せめて指定都市市長会の対国要望の方が(本市もその一員であるはずであるが)、僅かにもう少し踏み込んではいる。曰く、「指定都市は、法人需要への対応、都市インフラの整備・維持や都市的課題などへの対応に要する土木費や民生費など大都市特有の財政需要…」、「道府県から指定都市に移譲されている事務・権限…について所要額が税制措置されるよう、道府県から指定都市への税源移譲…」等々と書いて、児童福祉・身体障害者福祉・衛生研究所・定時制高校などの具体例を何点か挙げている。そこで次の課題は、「法人需要」について、「都市インフラ」が誰の為の整備・維持なのか、それらの負担を誰が担うべきなのか、等々の精査分析であるハズであるが、もとより市長会もそこまでは触れていない。
 そこでこの「次の課題」についての議論を深めるために、冒頭で紹介した二つの文献を紹介したい。当時、大阪府や東京都など、地方自治体税財源の在り方についての研究が深められていた。「市税財政問題研究会」の「税源拡充構想」も、そういう流れの一環として位置付けられると思われるから、本来はそういう研究成果やその後の経過なども紹介すべきであるが、力と時間がそこまで及ばないのでご容赦願いたい。 
 この辺りの経過について、「セミナー現代地方財政機廖片α霆駛2006年10/25、1版1刷、宮本憲一・遠藤宏一編著)は次のように書いている。「…急激な地域経済の不均等発展・格差の拡大や都市問題の顕在化…大都市圏自治体の財政危機…。こうした事態を打開しようとしたのが…『革新自治体』である。…東京都の『大都市税源の構想』(1973年)の提唱を契機に、都市自治体を巻き込んで…生活圏・自治権の実現を理念に…。改革案は…大都市財政危機の主要な原因を、行政の提供する都市施設・サービスの便益(外部集積利益)を独占する一方、環境問題等の社会的費用や対策費(集積不利益)を大都市財政の負担に転嫁している大企業が応分の税負担をしていない点に求め…財政需要の真の原因者である大企業に応分の負担を課すというものであった。」
 ゝ都市研究会の「構想」も、まず「大都市財政が…大きな困難に直面している」原因として、A:高度に集積・集中された産業活動、B:市民生活の急速な変化、C:税体系の問題、を挙げている。この三点からして既に、今の「審議会」との違いが実感されるが、同構想は更に、「基本的立場」として、「市民の暮らしを守り高めていく立場から」事業や経費を分析…、と掲げている。その後、本市における財政需要の特徴や財政収入の現状と問題点、税源拡充の提案、等と続くわけであるが、その要諦は、国の税財政制度への批判的言及と課税自主権の活用等への提言とともに、上の原因の分析に要約されている。即ち、産業活動が直接間接に発生させる財政需要が大きいとの分析である。「税源の拡充にあたり、…低所得層ならびに中小零細業者の負担を増大させないよう留意」しながら「「法人企業の税負担率は…低い…、税源拡充の第一の負担先をここに求めるべき…」とした上で、具体的には、法人課税の強化や工場排水税、また当時の状況を反映もして観光駐車場税や市街地駐車場税等、車の増大や土地問題についても言及、これらの分野からの税源について提言されている。またこれらの具体化に当たっての法的諸問題についても分析、同時に「当面の実現は困難であるとしても」としながらも「今日の中央集権的な税財政制度が大都市財政の困難を加速…、当研究会は…改善の要求ならびに提案を行いつつ、当面、自主財源の強化に重点を置く」と、国との関係についても問題点の整理をされておられる。これらへの評価はともかくとしても、今の審議会の委員の先生たちは、どれだけこのような過去の業績に学んでおられるのであろうか。
 △諒幻イ瞭伴の意義は、既に紹介している「集積利益」「集積不利益」について、その具体例を紹介されていることであろう(勿論それだけでなく、他にも紹介したい論点は尽きないが)。交通・通信・事業用地等の社会資本や公共サービスの享受、労働力や巨大市場の確保、情報収集や資金調達、許認可事務、等々。更に今日では国や地方自治体の財政自体をも市場としているとも指摘されている。成る程、これを今日流に言えば「民間にできることは民間に」ということであろうか。即ち「行政民間化」の論点は、財政節約か公的責任発揮か、という点にだけでなく、大企業への仕事の提供、発注機会拡大、利益増大への応援に、政治姿勢だけでなく公務であるハズの自治体の仕事自体が成り下がっている(企業にとって、仕事確保の為に、「そうだ京都、行こう」ということか)、そのことが自治体本来の在り方から言ってどうなのか、ということも問われるべきであろう。「不利益」というのは、「企業にとっての集積利益は住民にとっては不利益」という意味である。資源の浪費、環境破壊、土地・水などの資源価格の上昇、等々が挙げられている。勿論、当時と今日とでは公害や道路交通問題といっても様相が違ってきている面もあろう。しかしその真の原因者が負担を免れているという指摘は今日にもあてはまる真理であり現実である。むしろ問題は、狭義の経済学的概念としての「都市の集積利益・不利益」に留まらず、政治や行政、具体的には自民・公明の政府・自治体が、より積極的にこれらの面を促進していると私井上には思える。一例だけ挙げる。即ち、企業立地促進・誘致による優遇措置、財政援助、そして規制緩和。市自身が利益を促進し、そのあおりで財政危機や住環境悪化等、住民が不利益を被っている。土地問題・都市計画の分野ではまさに宮本教授の指摘が、今日、より典型的に、より増幅されて具体化されていると見るべきではないだろうか。

 だらだと書き遅れているうちに、事態は急展開している。年内12/3の市議会総務消防委員会で、「次回委員会で、構造改革方針を示す」との答弁であったにも拘わらず、その次回である12/21には報告がなく、一方、市長は、議会での報告という形を避け、一方的な記者会見という形で、「『今後の行財政改革の視点及び改革事項』の方向性について」との文書を、何と12/28に開いたのである。/21に報告が無いこと自体、答弁違反であるが、それでも/22以降に会見が開かれるなら、それを受けて緊急の臨時委員会も開けるかどうか、委員長の私としても、その道の可能性も探ってはいたが、まさかその道を妨げる為ではあるまいが、御用納めの会見と相成った次第である。年開けて1/12の委員会には「改革方針を示す」とのことなので、市長記者会見資料も含め、この委員会での議論になることになる。委員長のため、私井上は当委員会での質問ができないので、以下、同僚委員に託したい諸項目について、本日1/3段階では未だ改革方針は出ていないので会見資料についてのみ、思うところを書き綴りたい。
 例によって、最初からの総括的な分析は力及ばないので、まず逐条的にというか、逐文書的に、前から順に、問題だと思うところについて感想を述べたうえで、それらの中から特徴を抜き出し、全体的な評価や批判に代えたい。

2020/12/28市長「『今後の行財政改革の視点及び改革事項』の方向性について」について

P1 ○:「京都の都市特性により…他都市よりもぜい弱な税収構造であったため…今般のコロナの影響もあり…危機的な財政状況…」
 → これだけでは危機の原因が全く不明確。よく市民一人当たり市民税が大阪より少ないとの例が市の他の資料にも出てくるが、この差は法人事業所の差であって、大都市大阪との比較自体にそもそもの無理がある。産業の規模が違う。しかし一方、個人市民税は京都の方が高い。だから「学生が多い」というのは理由にならない。ところが、市ではこの「学生」を「ぜい弱」の一因に挙げたりしているが、全くスジが通っていない。どの市町村にもそれぞれの都市特性があるのは当たり前であって、だからこそ交付税制度があるのであって、もし危機だとしてもそれは「ぜい弱」が理由なのではなくて、交付税制度が機能していないことにその理由があると言うべきなのである。しかも「…構造であったため」と過去形になっているのはますますマカ不思議と言うほかない。克服されているのか?コロナの影響があるというなら、それは何も京都だけに限った話でも何でもない。全国の自治体が団結して国への財政措置を求めるべき課題であることも言うまでもない。
 ○:「暮らしやすいまちとしていくため…」
 → これは全くの自家撞着であり欺瞞である。次頁以降に書かれていることは、文字通り「暮らしにくいまち」になっていく方向であって、まず市民に痛みを伴う方向であるとの認識がないと議論がすれ違うばかりである。そこをご理解願いたいという姿勢があり前提となって初めて、いや理解できない、我慢できない、いやそこを何とか、等々の過程から、また知恵も出てこようというものではないか。
 ○:「市民の皆様と危機感を共有し…」
 → 仮に「財政危機」がその通りだとして、ではその責任は、一体誰にあるのか。唯一、予算編成権を持っているのは市長だけで、議会にすら、その修正や額の変更の権限しかない。これも市長は拒否権を持っているぐらい、市長の予算権限は絶大なのである。危機が事実だとすればその責任は市長に帰せられるべきであって、或いはそれに賛成してきた議会議員もその一部を担わなければならないとしても、市民にはそんな権利もないし、まして責任などあるはずがない。自身の責任を棚上げにして何か客観的な不可抗力の如き問題の立て方をするのはもってのほかである。真の責任の所在を免罪し隠蔽し、ことの本質をそらすものでしかない。市民にとっては有難迷惑というより、なぜ、無い責任の一端を担わされようとするのか、いい加減にしてほしいというのが本当のところではないか。要するに共有というのは、「暮らしにくいまちになっていくが、我慢してほしい(前述の通りこれすら言っていないが)、まして反対の運動などはご遠慮被りたい」ということを言いたいのだろうか。
P2 ○:「国や他都市の水準を上回る施策」や「行財政改革」の成果事例が挙げられているが、
 → 「全国トップレベルの保育環境」は、歴史的に、京都の民間保育関係者のたゆまぬ努力の賜物であって、現市政の成果でも何でもない。むしろその遺産を食い潰してきている渦中にあるのが現在の到達点というか後退点の現状なのである。
 敬老乗車証について、「納税者1人当たり…御負担に相当」との記述は、他で「全ての世代」とか「持続可能」云々を強調しながら、世代間・階層間の分断を図り対立を煽ろうとするもので許すことはできない。そもそも税金とか社会保障とかの在り方とか意義とか、所得再配分機能等に対する無知を曝け出している言い方ではないか。
 雨水整備、浸水対策の推進とあるが、元々雨水や浸水対策は総合的なまちづくりや防災の課題であって、本来、下水の処理やその為の下水道の整備を任務とする下水道事業にその課題を担ってもらうのであれば、その為の経費を使用料以外の一般財源から賄うのは当たり前であって、殊更、いくら負担等々と強調する話でもない。
 「地域企業…条例」が全国初というのは一体どういう意味か。中小企業に限定せず大企業も含む企業を対象に位置付けている、という意味で初めてなのか、それとも振興条例ではなく「持続的発展」なのだ、という点が初めてなのか。後者は言葉のアヤでしかないし、前者なら、そういう位置付けを「成果」と見ること自体に違和感がある。
 「職員数・人件費の削減」も、以前は「財政危機の折、やむなく」との姿勢も感じられていた時期もあったが、今やそのこと自体が積極的目標になっているし、まして成果と言うに至っては、いよいよ本音が露呈したと言うべきである。
P3 ○:「支出が収入を上回る状況が継続」
 → もうこの発想については再三批判してきた。国や自治体の財政は「量入制出」ではなく「量出制入」である。確かに現実にはそうなっていない、ならない、なりにくいという面があることも、私もよく分かるからこそ、国の税財政制度政策への批判的言及も含めてその理由への究明が必要なのである。 
このページで要するに言っていることは、収入不足分を基金取崩で補ってきた、その基金があと6年程で枯渇する(だから大変だ大変だ)ということに尽きる。基金取崩の他に、収入増や支出減へのどういう研究がなされどういう分析がされどういう方策がありどういう努力がされてきたのか、等々については全く書かれていない。一路というか一瀉千里というか、基金の枯渇ばかりが強調されているだけである。これに関連して思い出すべきは、'20年9月の「'19年度(R元年度)決算実績報告書」である。曰く、「仮に…取崩を継続した場合、機械的な試算になるが、十数年後には…枯渇する恐れがある」。つい3ヶ月前は「仮に、機械的な試算、十数年後、恐れ」(P17)と、非常に慎重な言い方であったものが、今や「枯渇」だけが一人歩きしている。確かにコロナの影響による減収の様相が色濃くなってきたという、その後の分析での事情はあろう。しかし9月時点でもコロナの影響はあったことから言えば、ことここへ至ってのドタバタ感は否めない。関連して言えば、同報告書は別のページで(P11)「一般財源収入は、対前年度比…の増(ただし、基金取崩しを除くと…の減」とも書いているが、これも(私が当事者なら)「…の減。但し基金取崩しで辛うじて…の増となった」等と書くべきだろう思うが。要するにこれらの背景には、私がずっと指摘してきている、国との関係も含めたトータルな分析と診断が欠落していることの反映であろう。ドタバタの結果、市民へのしわ寄せという迷路に入り込むしかないのである。
P4 ○「再生団体になった場合」とのことであるが、
 → これは脅しなのか、それとも「ならなかった場合は」値上げはしませんよ」ということなのか、はたまた「上回る施策は一切できなくなり市民生活に大きな影響」と書いているところから、「できなくなれば、大きな影響」との認識の確認なのか。だとすれば「上回る施策」を切り捨てようとしている他の分野や、国保3割・保育料4割各未満の値上げの、市民生活への影響については、一体どういう認識なのか。どの分野でも、「大きな影響」であるならば、「上回る施策も守ります」と言うべきではないのか。場当たり的というかご都合主義の典型なのである。
 そしてまたここでも分断が図られている。国保や保育の分野に、被保険者・保護者以外の市民からの負担が強調されている。こんな初歩的なことを敢えて書くのは、無理解というよりむしろ、分かっているうえで、分断と対立を煽ろうとする意図すら感じられる。
○「取崩しからの脱却には一般財源収入の増加が不可欠。ただし…長い期間を要する。あらゆる施策の…見直しに今すぐ着手…」
 → 一般財源収入の増加とともにムダな支出の見直しも要ると思うが、収入の増加という場合、市長が考えているのは既存の市税をどう増やすか、或いは例のセカンドハウス税等、市としてどうするか程度のことで、僅かに対国のレベルで考えているとしても交付税増額が関の山である。前から指摘している通り、大企業減税の法人市民税減収への影響や市民税フラットへの批判的言及等々自民党政府の税財政制度政策への批判的検討抜きに抜本的改善はあり得ない。ここへ目が行かず「国も大変」などと言っているようでは収入増は覚束ない。国言いなりと市民福祉後退が、私の言う「財政危機ならぬ地方自治の危機」たる所以である。京都とか大都市とかだけのことを言っていないで、中小も含め全国の自治体が団結しうる要求を設定して対国大運動を呼びかけてこそ「京都があってよかった」と言ってもらえるのではないか。ともあれ、そういう議論すらしようとしない。仮に「見直しに今すぐ着手」としても、今後の研究・運動方向を同時並行で検討することを妨げるものではない。トータルな議論が要る。要するにこの部分は、「見直しに今すぐ着手」を宣言するためにとってつけているだけのことである。  
P5 ○「基金が枯渇し、財政再生団体になる…」
 → 「枯渇」に至る前になすべきことはないのか、枯渇すれば即再生団体になるのか、その過程や他にとりうる方策等の検討が明らかにされないまま、市民を脅かしているようなものである。「財政危機」が葵の御紋だとすれば、「再生団体」は錦の御旗なのか。「推進本部を設置」というなら、もし私が審議会委員なら、「答申はこれからなのに市自身が推進本部を設置して先行するのなら私たちの議論は何だったのか。それなら審議会などさっさと解散して市長が勝手にやったらいいだけだ」と思ってしまう。それだけ焦っているということなのかどうか。というより、これまでの議論を参考にしていることはその通りだし、互いに役割分担しながら相乗効果を狙って使い分けているというのが本当のところではあろうが。
 関連して「危機を…改革の契機とし」とある。これも前に書いたことであるが、要するにこれは、危機に乗じてというか危機を奇貨としてリストラしようとの宣言に他ならない。但し、危機を口実として、と言えるかどうか。この点についても前に書いた通り私の右往左往がずっと続いている訳であるが、とりあえずは「危機」を私も否定はしない。しかしではその責任は専ら市長にある。しかも、広義に、今日の自民党政府の中央集権的税財政制度政策の被害者との側面が自治体にあるとした場合、その相手とたたかおうとしないという意味において京都市長は被害者ではなく国と同罪である。そもそも市長が責任をとればいいのであって、市民へのしわ寄せが許されないのは当然であるが、同罪だからこそ余計に許されないのである。
P6 ○「改革項目例」として「産業用地…の創出」「企業誘致」が挙げられているが。
 → 大手の企業の立地志向は自らの努力で土地を探せばいいだけで、一般の住民が京都へ転居希望なら自ら土地・家を探すのと同様である。どんな産業を興してどんな企業を誘致したいのか、の前に京都の産業のあり方や未来像についての議論が要る。立地補助どころかむしろ開発負担金を、業種や態様によっては請求してもいいくらいである。
 ○ 「デジタルの活用」
 → 労働軽減よりも人員削減になるのではないか。特に窓口業務は人員配置が不可欠。機械等ではとって代われない。デジタルの「標準化」は、施策の国基準への統一化に通じるおそれがある。マイナンバーカードの強制、個人情報漏洩等への危険へ通じる危惧も払拭できない。国家による納税や給付等情報の一元的管理を「警察官僚政府といわれるスガ政権が進めていくことへの危険性。こういう動きへの無批判的追随。
P7 ○「国の基準を上回る…施策…は、少子高齢化により将来世代の負担が過大に」等。
 → 例えば保育料の「上回る施策」がなぜ「将来世代の負担が過大に」なるのか。「上回る施策」は世代縦断的に対象としているのではないのか。「上回る、を見直す」との結論が先にありきの為、論理が混乱。高齢者差別と、高齢者にかかる費用を若年層が負担しているとの独断的偏見と分断志向が混在している為、意味不明の文章になっている。
P8 「敬老乗車証」
 → 「応益負担」方針の破綻。しかし懲りない改悪志向。ここでも、本来、総額が伸びているので見直したいという議論のハズなのに、1人あたり公費とか納税者1人あたり云々等、分断がまたもや顔を出すとともに、いかにも特別厚遇しているかのような印象操作を行っている。制度である限り、その公費負担や支援の程度・割合等、いろいろなレベルや段階があるのはむしろ当たり前の話。
P9 ○「予算計上を見送る」とのことであるが
 → 額の多寡や即来年度予算計上となるか否かに拘わらず、北陸新幹線や堀川・油小路地下バイパスも辞めるべきである。十条トンネル出資金113億円放棄も反省が要る。
P10 ○「「市住戸数の最適化」「民間や他機関の施設による代替など…」
 → 最適とは何のことか。従来、総戸数は維持すると言ってきたのに、最近は個別の団地の改築等の毎に戸数減となっている。他で戸数増と言う話も聞かない。何をもって最適と言うのか、その基準は何か。数十倍の倍率で何回応募してもあたらないという市民の願いをどう「最適化」するというのか。「家賃減免見直し」などもってのほかである。既に八条団地では改築にあたり大幅戸数減、敷地一部を長谷工に払い下げマンション用地へ転用と、当方針が具体化されている。「公」の施設の指定管理者から施設自体の民間化へ、保育所の「民営化」から「民間化」へ等の動きがますます加速されていく。「公」は一体どこへ行こうとしているのか、行かそうとしているのか。
○ 「健康増進センターや下水道事業操出金のあり方の見直し」とは一体何のことか。どう見直そうとしているのか、その根拠は何か。背景は何か。集中豪雨等の排水機能は水道局はむしろ局施設の提供によって貢献しているのであって、その仕事は専ら一般会計の財政分担のハズである。雨は空から降ってくるのであって、下水処理を任務とする下水道局の仕事では、本来、ないハズなのである。見直すと言うのなら、雨水は、市長が一から「雨水排水専用管を作って埋めるとでも言うのか。実態に応じた操出は当然である。
P11 ○「委託化・民営化等により、職員数を削減」「短期的な人件費抑制により緊急の事態への対応…」
 → 要するに、財政危機だからやむなく人員削減、ということではなくて、民営化と削減が、方針として先にあって、財政は直接の理由とはなっていないような印象を受ける。人件費抑制とは、人員削減による人件費抑制という意味ではなくて、つまり賃下げということであろう。何回も言うが、「危機」であったとしてもそれは職員の責任ではない。そんなことを言うのなら団交権・スト権を回復すべきだ。「抑制により、緊急の事態への対応、市民の安心…に万全を…」というのも意味不明。「抑制」によって、なぜ、どうして「対応…万全を期す」のか。

 前述の通り、以上をまとめて市長会見資料の全体的な特徴について整理しなければならいのに、その前に、むしろこちらから求めていた議会の「委員会資料」が1/7夕方に届いた。同資料は、基本的には上の市長記者会見資料を加筆したものであるが、こちらもそれも読んだうえで疑問と感想を補強し、その上で両方合わせた全体の特徴について考える。

1/12の市議会総務消防委員会資料への疑問
       2021/1/8

 なおこの資料は、委員会資料であるとともに、前述市長記者会見資料の「…改革の推進体制・進め方」の項で書かれている「1月に『今後の行財政改革の視点及び主な改革事項』としてお示しする」と予告されていた文書のことでもある。加筆部分に限って疑問点を何点か挙げたい。なお、同じく市長記者会見資料「進め方」で「1月中に設置」と書かれている、市長をトップとする「改革推進本部」について、1月8日、来週13日に発足・第1回本部会議開催との連絡があった。どんどん進んでいる。

○ 京都市の一連の文書の特徴であるが、全国トップレベルとか他都市を上回る等々、自意識過剰というか買いかぶりというか、謙虚さに欠ける。これは単に情緒的な問題というに留まらず、全国の自治体に団結を呼びかける場合にマイナス要因となってしまう。もっともそんな呼びかけには全く関心が無いのかも知れないが。
○ 「市債の発行など将来世代への負担の先送り」と再三強調され、これまた世代間の分断を煽っているようにも感じられるが、「市債には、負担を世代間で均衡させるという機能がある」(「議員の為の分かり易い地方債」)ということではないのか。疑問を感じる。しかし「改革視点」ではこういう疑問を置き去りにし、市債個別の分析や他のケースの検討など一切せずにその道しか無いとの想定で、そこで次には「この先送り」が主語になって、「よくないことだ」と断定。このままでは基金が枯渇云々と、他の可能性等を全く排除して、改革だ改革だとの結論に行き着くのである。というよりこの結論ありきなのである。
○ こういう言い方と前後して、収入<支出、穴埋めに基金取崩、基金枯渇、再生団体、これを避けたい、だから改革だ、との文脈が再三出てくる。短絡的思考の典型。審議会でも、要するに支出を減らすために、ここを削れ、ここを見直せ、一辺倒の議論になっていることが、今回の「視点」とセットの「審議会のこれまでの議論」文書でよく分かる。
○ そうなれば再生団体になり市民生活に大きな影響が出てしまう。これを避けなければならない、云々。しかし皮肉にも、これを避けなければならない為の今回の「改革」そのものが、既に「市民生活に大きな影響が出てしまう」計画なのである。影響を避けたいという気持ちがあるのなら、今回の「改革」自体を撤回しなければならない。
○ 財政健全化法への批判的視点が皆無で、これもまた、従来から私が指摘している「国言いなり」項目に付け加えられるべきである。元々、財政の中央集権化・地方財政縮小の動きを促進する為に、いわば、自治体に「言いなり自己点検」を迫る代物に、全く乗っかかってしまっている現状である。
○ 可能なものについては早速来年度予算に反映(P2)、との言い方も市長会見資料より、より一層踏み込んだ表現になっているようにも思える。
○ 国基準を上回る・本市独自の事業(P6)とか、特に「国からの事業実施の要請の度合いが強いもの・低いもの」(P8)との言い方は、結局、国言いなり姿勢の反映であり自己暴露である。こんな考え方を進めていけば、自治体が自治体で無くなる。全国一律、どの自治体でも「度合いが強いもの」ばかりの横並び、それは最早「地方自治」の姿ではない。
○ これも前からの疑問であるが、市債発行が、なぜ一律に「将来世代への負担の先送り」(P8)になるのか。むしろ施策や施設の利用や成果を、今の世代だけでなくおしなべて享受しならして負担する為の意義が、市債にはあるハズである。
○ 「これまでの審議会の議論」でも強調されていることであるが(P2)、「市債残高が高い、減り方が少ない」等が問題視されている。しかし借金というものは、その返済計画とセットで借りるのが当たり前だし、今後、毎年の償還額、または何年後かの一括償還に向けての積立金を、各年度予算化または積み上げて行けばいいだけだから、市債の多寡自体が問題になるわけではないハズではないか。まして「市債残高が減少しづらい要因」と「基金の取崩」とは別の問題ではないか。勿論、毎年の公債費の一定の必要額が高ければそれだけ他の支出項目を圧迫する要因になることは他のどの支出項目でも同じことであるが、これも結局は前述の、借りるときの返済計画とのセットの時点での見通しの問題に帰着する。そこの経過の分析や反省は如何なのか。

※ 以上の「疑問」の追加 2021/1/12

○ 京都市の一連の文書の特徴であるが、全国トップレベルとか他都市を上回る等々、自意識過剰というか買いかぶりというか、謙虚さに欠ける。これは単に情緒的な問題というに留まらず、全国の自治体に団結を呼びかける場合にマイナス要因となってしまう。もっともそんな呼びかけには全く関心が無いのかも知れないが。
○ 「市債の発行など将来世代への負担の先送り」と再三強調され、これまた世代間の分断を煽っているようにも感じられるが、「市債には、負担を世代間で均衡させるという機能がある」(「議員の為の分かり易い地方債」)ということではないのか。疑問を感じる。しかし「改革視点」ではこういう疑問を置き去りにし、市債個別の分析や他のケースの検討など一切せずにその道しか無いとの想定で、そこで次には「この先送り」が主語になって、「よくないことだ」と断定。このままでは基金が枯渇云々と、他の可能性等を全く排除して、改革だ改革だとの結論に行き着く。というよりこの結論ありきなのである。
○ こういう言い方と前後して、収入<支出、穴埋めに基金取崩、基金枯渇、再生団体、これを避けたい、だから改革だ、との文脈が再三出てくる。短絡的思考の典型。審議会でも、要するに支出を減らすために、ここを削れ、ここを見直せ、一辺倒の議論になっていることが、今回の「視点」とセットの「審議会のこれまでの議論」文書でよく分かる。
○ そうなれば再生団体になり市民生活に大きな影響が出てしまう。これを避けなければならない、云々。しかし皮肉にも、これを避けなければならない為の今回の「改革」そのものが、既に「市民生活に大きな影響が出てしまう」計画なのである。影響を避けたいという気持ちがあるのなら、今回の「改革」自体を撤回しなければならない。


 以上、市長記者会見資料と「今後の行財政改革の視点及び主な改革事項」について、夫々感想を羅列。そこで、以下端的にその特徴を要約し、私は委員長なのでできないが、もし質問できたらとの仮定で市と議論したい項目について挙げてみた。予算委員会ではできるので、その予習のつもりで。
               引用凡例(A:「方向性」、B:「視点」、C:「審議会議論」)
1、市の言う「財政危機」に疑問がある。額面通りに受け止め切れない(「危機」は本当か。素直に受け容れられない、等々)。なぜか。その理由を自分なりに考えてみた。そこで、受け容れられない理由について何点か聞きたい。

○市の示す「危機」の資料や説明が、最初に結論ありきでそこへ向かう為のものばかりとの印象。「危機」が本当だとしても、その分析が弱く、従って打開の方向が一路市民リストラへ突っ込んでいる。そこへしか行かない。収入<支出、穴埋めに基金取崩、基金枯渇、再生団体、これを避けたい、だから改革だ、との文脈が再三出てくる。短絡的思考の典型。Cでも、要するに支出を減らすためここを削れ、ここを見直せ、一辺倒の議論になっている。もっと多面的な角度からの議論が必要ではないか。
○「ぜい弱」論(AP1=引用Aの1頁との意味。以下Pは略)は、言い訳か責任回避か。学生が多いから市民税少ないと言いながら実際の個人市民税は大阪より多く学生原因説は当たらない(決算参考データ、C1)。「ぜい弱」論は「危機」の真の原因解明をそらし隠蔽し「改革」へ誘導する為のイチジクの葉,口実ではないか。どの都市でも各特性がある。仮にぜい弱だとしてもその為に交付税制度がある。「危機」の要因は「ぜい弱」ではなく「交付税減額」ではないのか。
○国へのアクションを真剣に考えないから歪んだ分析になってしまう。その国との関係で言えば、国の大企業減税が自治体の法人市民税減収に一因ではないか。減税政策への市の賛否ではなく客観的な結果としてどうか。
○個人市民税所得割を以前のようにせめて3段階にすれば高額所得者からの増収が得られることは先の決算委員会でも明らかになった。なぜその方向を追及しないのか。
○基準財政需要額算定に当たっても、国のやり方は現状を反映していない。現状はどうか。なぜもっと問題にし、声を挙げないのか。
○交付税にしてもトップランナー等への迎合が増額要求に水を差している。キッパリとした批判的立場が必要だと思うがどうか。
○「国への要望は相手がある話」として退けられている。当面の打開策の議論は否定しないがそれと併行して、税財政制度の批判的分析を進めることを妨げるものではない。6年後に基金枯渇などと言っているが、6年あれば改善は可能だ。政権交代すればいい。他の自治体へ呼びかけて団結して声を挙げて行くべき。この間、知事会では国保均等割や日米地位協定、地方創生交付金など発信、成果も得ている。専門の先生による審議会なればこそ、むしろ専門的に国の税財政の分析と研究を諮問すべきではないか。
○「国も大変だ」論の克服がいる。市民生活の方がもっと大変だ。軍事費や政党助成金、官房機密費、リニア等大型事業その他、ムダのオンパレード。過度な大企業富裕層減税辞めれば地方財源捻出は十分可能。なぜ国へのアクションを避けるのか。
○資料も恣意的だ。結論へ持って行く為の資料になっているのでは。前述の国との関係で言えば、例えば福祉祉経費増と言いながら、国負担分もあるし、市負担分でも交付税措置されている部分もある。京都の大企業が国の減税策連動で市民税も減税になっている関係、仮に個人市民税の高額所得者の税率を以前のようにした場合の約90億円とのデータ、額4.1億円と多くはないかも知れないが法人市民税率を制限一杯までにした場合の資料等等は全く出てこないし、委員からの請求もない。予めの市のめざす結論へ向かう為の資料だけが準備されそれ以外は出てこない。分析も議論もしようとしない。情報操作ではないか。
○関連して、「市債の発行など将来世代への負担の先送り」と再三強調されているが−これまた世代間の分断を煽っているようにも感じられるが−「負担を世代間で均衡させるという機能がある」(「議員の為の分かり易い地方債」)のが市債の役割ではないのか。それは市債の種類や目的の違いによるかも知れないとしても、そうであるならなおのこと、市債毎の分析が要ることになる。一律に「先送り」ではない。ここにも結論ありきの意図が感じられる。どうか。
○その市債について、「市債残高が高い、減り方が少ない」等が問題視されている。(C2)しかし借金とはその返済計画とセットで借りるのが当たり前。今後、毎年の償還額、または何年後かの一括償還に向けての積立金を、各年度予算化または積み上げていけばいいだけ。要は計画性の話であって、市債の多寡自体が問題になるわけではないハズ。まして「市債残高が減少しづらい要因」と「基金の取崩」とは別の問題。勿論、毎年の公債費の一定の必要額が高ければそれだけ他の支出項目を圧迫する要因になることは他のどの支出項目でも同じことであるが、これも結局は前述の、借りるときの返済計画とのセットの時点での見通しの問題に帰着する。そこの経過の分析や資料提出は如何なのか。
○A・Bとも結論は「再生団体になれば大変だ」一辺倒だが、これも国言いなりの姿勢の克服が必要だ。元々「財政再建法」から今日の「健全化法」への改正は当時の竹中ビジョンから出てきたもので、まだ「健全段階」なのにその段階から統制を強化しようとするもの、或いは自治体に自主規制を強いるものになっている。今の市の姿が正にそうである。国が地方財政危機の本当の責任者でありながら、自分たちが作った基準で一方的に判断する仕組みとなっている。不名誉の黒字もあれば名誉の赤字も自治体にはありうる。何よりも住民の福祉増進が自治体の役割。数字だけで判断できるものではない。いずれの指標も分母は標準財政規模=交付税を含む数字だから、交付税減らされたら分母が減り判断基準の指標の数字が悪くなる。小西教授は「健全化法のスキームは地方自治の精神に反するので好ましくないという見方もあります。もっとも筆者はそうは考えません」とのことだが、
少なくとも一方的に言いなりになるのは如何なものか。財政再生段階では確かに国の関与が強くなるが、早期健全化段階では国の勧告に従う義務はない。 
○以上の議論を通じても、やっぱり疑問は解消しない。余計に深まるばかりだ。地財危機の根本的要因である国にもモノ言わないし資料も恣意的だし分析も不十分。それは結局市民リストラしかないとの結論先にありきでそこへのみめざそうとするから逆算的にその為の分析しかできないしその為の資料しか出てこないということになる。市民へのしわ寄せの前に考えるべきことやるべきことが山ほどあるのではないか。
○「危機を財政構造改革の契機に」とある(A5)。改革の正体見たり何とやら。市長の言う改革は市民にとっては改悪だ。その改革の契機に危機をという文脈は、改革ありき、改革の為に危機を利用する生かす奇貨とする理由にする口実にするということではないか。危機だからやむなく改革するのではないのか。どちらか。

2、責任の所在を曖昧にはできない

○Aでは「市民の皆様と危機感を共有し」とのことだが、予算編成権限を持っている者は誰か。なぜ持っている者とそうでない者を一緒にするのか。
○これは結局、財政危機の責任の所在を曖昧にし隠蔽し免罪するものではないか。市民に何か責任があるのか。
○責任がないなら何故共有しなければならないのか。これはリストラを受け容れよということなのか。
○昨秋決算議会実績報告書では「市民ぐるみで議論」とのことだが、全然ぐるみでない。傍聴は当たり前であって、市民ぐるみとは全く別。批判的なご意見も含めて声を聞くべき。

3、「改革」に向けての基本的な方向・認識・スタンスといった点についても聞きたい。

○「暮らしやすいまちとしていくため…改革に取り組まなければ…」(A1)とか、「職員が意欲を持って働き続けられる職場づくり…」(B20)等とのことであるが、ABCともその内容は文字通り「暮らしにくいまち、職員が働きにくく」になっていく方向であって、まず市民と職員に痛みを伴う方向であるとの認識がないと議論がすれ違うばかりである。今回の方針で暮らしやすくなるのか、働き続けられるのか。如何。
○そこはまず痛みを伴うがガマン願いたい、ご理解願いたいという姿勢があり前提となって初めて、いや理解できない、我慢できない、いやそこを何とか、等々の過程から、また知恵も出てこようというものではないか。前提の認識はどうか。
○「市民サービスの向上に繋がる改革は…取り組んでまいります」(B3)とあるが、どういう施策が繋がるのか。今回、例として挙げられている各項目は向上なのか後退なのか。
○「補填する手立てがなくなれば再生団体となり…市民生活に大きな影響」(A4)とあるが、それを避ける為のハズの市長の言う改革自体が、既に再生団体になる前から「市民生活に大きな影響」がでるのではないか。国保3割・保育料4割値上げとの大きな影響を避けるために、国保2割・保育料3割の値上げは有り得るのか。その場合は大きな影響とはならないのか。認識はどうか。
○大きな影響を避けたというのなら、敬老乗車証や民間保育園職員給与補助見直し等は大きな影響ではないのか。影響を避けたというなら今回の方針は撤回しかないのではないか。

4、市民を分断するのはやめよ。

○国保や保育料、敬老乗車証など、被保険者や保護者・70歳以上の対象者、以外の市民の負担が云々と、いかにも以外の市民が余計な負担を強いられているような意図的な記述が目立つ。どうか。
○仮に意図的でないとしても、文章の結果は分断していることになる。行政として一番してはいけないことではないか。どうか。
○税金は直接一対一対応しないことにその性格や意義がある。社会保障は所得移転機能と言われる。給付の対象者だけで賄えというなら、動物園の運営費は入場料だけで賄うのか市長の歳費や退職金の財源は市長が個人で賄えというのか、私は軍備反対だから軍事費に相当する税金を返してくれと言えるのか、消費税に反対だから払わないと言えるのか。この部分は削除すべきではないか。

5、各論として議論しなければならない項目も沢山ある。主な課題だけ挙げる。

○国保も、根本は国の負担割合削減
○デジタル化は個人情報漏洩への危惧。「標準化」はそれこそ「国基準」への自治体横並びへの道ではないか。
○「民間活力の最大限の活用」(B14〜)、その他随所に。
○「首都圏等からの企業誘致」
○「自助による取組を基本とする考えを踏まえ…」
○「民間保育園等職員給与…補助…の見直し」(これは1/12委員会の理事者報告で「プー ル制」のこととのこと)。
○敬老乗車証
○「福祉、医療、子育て…受益者負担について不断の検証…」
○市営住宅については、「管理戸数の適正化、公募戸数の最適化」「家賃減免…の見直し」等々、いろいろなことが書かれている。「適正化」とは何か。なぜ「減らす」ともっと素直に書けないのか。「最適化」と言うなら、烏丸・唐橋市住などの数十倍もの倍率を改善するとでも言うのか。「改革」が典型であるが、言葉が言葉の意味通りの意味からズレて或いは歪んで、または逆の意味で使われることが最近多い。官僚言葉というか答弁言葉というか。
○「人件費抑制」、「給与制度の点検、見直し」(B21)


(2021/1/13記)
※ 本日1/13、第6回審議会が開かれた。各論的な感想はいろいろあるが、基本は毎回と同じことである。木を見て森を見ないというか、国との関係や累進的発想抜きにいくら議論しても根本的打開の方向は見えてこない。住民福祉向上との視点の欠落、国言いなりという意味で、まさに財政危機ならぬ地方自治の危機と私が言う所以である。累進性観点抜きの議論は、没階級的というよりも、大企業・富裕層優遇、生計費にまで食い込む庶民負担増という意味で、まことに階級的な立場だと言うべきであろう。
 また第1回推進本部の会議も、本日開かれたハズであるが、これについては、目下、詳細不明。







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