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我有り故に我思う

2017年04月13日(木)

労働組合の活動についての試論

No.215

その一部分、

1、組合員拡大の対象について

(1)職場の中で100%を目指す。本店だけでなく各支店や営業所等の単位  でも空白克服、3人以上、100%へと目指す。公務員の職場等では、労  働者の居る職場はたくさんに分散している。そのそれぞれの職場にて同   様。
(2)産別または関連職場にて同様。そのためにも労働組合は産別・個人加盟  が前提的原則。但し、企業内組合でも、同種の業種の他職場との仕事的・  組合的付き合いはあるはず。またはなくても造っていく必要もある。
(3)職域の他産業職場への働きかけも。職場の周りには、地域的に色々な職  場があるはず。朝ビラ等、日常的な働きかけを。地区労としての取組も。
(4)職場内外での非正規・不安定雇用労働者の組織化抜きに、正規労働者の  労働条件改善はあり得ない、との観点からの取組を進める。

2、組合員拡大の意義と上の対象認識を、幹部だけでなく、組合員全員の認識 になるよう、日常不断の組織内努力を。

3、「数の力」とか「組合員拡大なくして要求実現なし」等々、従来からのス ローガンの再発見・再認識を。日本の労働組合運動の再建、発展の不可欠の 課題であることの再討議を。幹部の皆さんとは、単なる「要求実現のため」 に留まらず、日本社会の民主的改革の為の不可欠の課題だとの角度からの議 論を、もっと深めたい。

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2016年01月12日(火)

野党共闘から団体共闘へ、運動共闘から政治共闘へ

No.206

 昨年から今年にかけての大きな特徴は、言うまでもなく、アベ内閣が、歴代自民党政権の先輩たちをも裏切って、憲法違反の安保関連法案=戦争法を強行採決したこと、一方、これに反対する世論と運動が空前の盛り上がりを見せ、しかも採決後も衰えることなくむしろ一層高揚していること、加えて、戦争反対・憲法守れとの要求から更に進んで、政治を変えよう、政府を変えようとの運動に発展していることだと思います。もっと言えば、その政府を変える為に、「野党は共闘」とのスローガンが掲げられ、この国民的世論にも応え、日本共産党の国民連合政府の提唱もご存じの通り。
 そこで私が更に今日的な特徴と思うのは、周知の通り、その後の「市民連合」の結成や熊本県での参院選統一候補の擁立など、単に野党の共闘を求める、或いはそれを目指す、また要求の為の共闘から「選挙の為の共闘を」というにとどまらず、市民団体自身が、「運動の」共闘組織の一構成団体から、更に「統一候補を擁立する政治的共闘組織の一員に」なりつつある、発展しつつあるという点に求められるということではないか。
 その点で、既存の労組・団体が、その諸活動の原点的出発点である身近で切実な要求実現をめざす活動とともに、その要求の根本的実現をめざす諸課題とを結合させる取り組みが切実に求められているのではないか。古いと言われるかもしれないが、経済闘争と政治闘争の結合である。
 国政選挙であっても、「ウチの委員長(会長)を統一戦線組織の代表として、政治的共闘組織の代表として、統一候補に擁立しよう、共闘組織の仲間の各団体の皆さんにも是非推薦したいので検討されたい…」といったような声や動きが出てきてもいいのではないか。各団体の議論に期待したい。昔、「実践の為の弁証法」という書物の中に「運動の先進性の程度を横軸に、その人数を縦軸にとるとすると、運動は菱形で進む」という意味のことが書かれていたことを覚えています。少数の先進的な人たちと多数の中間的な人たちと、また少数の「後からついてくる人たち(これから中間・先進へと成長発展していく人たち)」を菱形と形容されたもので、私には、この説をどう評価するかの能力はありませんが、一面で、そういうことが言い得るとすれば、上で書いたことについて、特に「先進」の人たちに、「政治闘争」の先頭に立って頑張ってもらいたいと期待したい。もっとも、経済闘争=中間的、政治闘争=先進的ということではなく、目の前の切実な経済闘争における先進性・階級性の度合いや程度の違いがあることもその通りですから、このあたりは自分でももう少し要検討だとの自覚はあります。いずれにせよ各団体労組の、特に役員諸兄姉の皆さんのご奮闘に敬意を表し、且つ大いに期待するところであります。
 「前衛」というのは「おごり」なのでしょうか。団体・労組の一員として活動する場合と、私などのように党そのものとして諸団体の皆さんと接する場合とがあると思いますが、国民や、また特に前者の場合、各団体労組等の構成員の要求実現の為に、目の前の要求実現の為の諸活動とともに、その根本的実現の道はどうあるべきかとの問題提起や提案をしつつ要求実現への道筋の討議を組織する、みんなの要求実現の為に献身的に誠実に努力するというようなことは、決して介入でも「振り回す」ことでもないと思いますが如何でしょうか。後者の場合は、当然、対等平等、内政不干渉、お互いの立場を尊重しつつ、誠実に一致点を探って、その一致点で力を合わせて共通の要求実現をめざすということになるでしょう。
 いずれにせよ、統一候補は、複数の政党のいずれかから出られて他の政党も推す、各団体も推す、というパターンだけでなく、政党からではなく、団体からの推薦・提案、団体人の擁立もありうるということを言いたい為の、以上、コラムでした。、

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2016年01月02日(土)

「科学」としての社会福祉学

No.205

 全くの私見的感想でアカデミックでも何でもありませんが、史的唯物論の発見と適用によって、社会主義は空想から科学になった、社会科学が「科学」である所以は、それが自然科学と同様、社会や歴史にも、人間の主観的な判断を超えた、必然性があるからこそなのであろう。私が大学で社会福祉学科にいた頃は、授業ではほとんどそういう話はなかったが、学生同士の議論では、「社会主義になれば、人間の全面発達が保障される条件が生まれる」とか、本当の社会主義社会になれば、そもそも”福祉”というものそのものがなくなるのかどうか」等々といった議論はしていたように記憶している。よその大学の先生が書かれたものに「福祉の目的は社会の目的と一致する」という箇所があって、それは今も鮮明に印象に残っている。
 然るに、昨今の福祉の本は、悪くすると介護の「技術」論に終始したり、政府の政策の無批判的紹介に終わっていたりでまことにガッカリすることこの上ない。社会保障の為には消費税増税などと「国民に訴える」論者など最悪。
 少なくとも私が、かつて志したはずのものは、勿論学問的にはともかく実践的には今もそのつもりであるが、福祉とは幼少の頃からの思いの通り、貧乏退治であり、貧困対策であり、貧富の格差の縮小であるとの信念である。ならば、福祉学科ではなく経済学に進むべきでったとは、ある先輩の弁であるが、だからこそこの分野は独りよがりの独学と独習と、そして実践に委ねられるしかなかったが、そこで、私は私で、福祉の道から、経済学をも包含して、福祉の道の追求は社会主義に至るという論の展開を、私は希望するだけで、その能力の限界を感じるから、誰かにその役割を担ってほしいというのが、目下の気持ちである。資本主義社会における社会保障の必然性とか位置付け等々についての優れた分析もあり、日々、刺激も受けてはいるが、どうして、もう一歩、福祉の追求と社会発展の方向といったテーマでの文献が出てこないのであろうか。
 さて、もう一方のテーマは、労働者が労働者としてのその要求実現の道の追求は、やはり社会主義を指向しないわけにはいかないということを、これまたもっと明らかにしていく作業が必要であろうということである。学習あるのみ。マルクスだったと思うが「労働者は賃上げではなく、賃金制度の廃止とのスローガンを掲げなければならない」。
 そこで最近感じるのは、己が、今居る立場を超えて物事を考えることができるかどうか。あまた寄せられる私宛てのご相談はどれも本当に切実なテーマばかりであるが、その際、それはその人にとって切実な目の前の要求であるから悪い意味で言うのでは決してないが、その要求のみでとどまる場合と、その根本にはやはり政治がある、市長や政府にその実現を妨げている要因があるとの考えに及ぶ場合、或いは人とがある。敷衍すれば、結局、人間は、「立場が意識を規定する」。自動販売機製造業者は、これがもっと普及すればいいと思うし、ある商売をしている人が、その商品がもっと売れればいいと考えるのは当然のことである。みんな自分の立場からものを考える。当たり前のことである。昔、「自身の要求よりも社会発展の方向を優先してものを考えること」という論の立て方について教えてもらったことがある。共産党とは何ぞやといったテーマの話の時だったと思うが、それはともかく、こういう考え方の発展というか展開というか、そういう方向には三つの条件があるように思う。
 その一つは、「貧すれば鈍す」ではなく、また「窮乏化革命論」でもなく、一定の余裕のある生活の中からこそ、自分の要求や立場を乗り超えられるのではないかということ。賃金アンケートでは、高賃金労働者ほど要求も高いし、また朝飯をしっかり食ったほど、昼飯への要求も正当に強いのである。
 二つ目の条件は、福祉の仕事や労働者というのは、その要求と立場の追求が、まっすぐに社会の発展方向と一致するのではないかという点である。更に言えば、今日の社会では、自営業者や中小企業家等々も含め、一握りの大手に携わっている場合を除いては、どの分野であれ、狭義の労働者に限らずそういう条件が広がっているのではないかという点についてである。
 そして第三に、やはりそうう方向への裏付けは、何といって学習あるのみということではないか。これもやはりマルクスだったと思うが「労働時間短縮は、勿論、労働力再生産の為に必要であるばかりでなく、同時に社会活動や学習時間確保のためにも必要であり必須である」。
 そんなことをツラツラ考えると、特に、福祉の仕事に携わっている人たちと、こういう議論をしてみたいと思います。反論も含めて御意見頂きたい。多いに議論したいものですね。
 そんな訳で、とりあえず私は、昔、断片読みだった資本論(の解説書)の再読挑戦中であります。
 つれづれなるままに、正月、すずりならぬパソコンに向かいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくればあやしうこそものくるほしけれ。

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2013年05月14日(火)

福祉分野で働く皆さんへ

No.204

 仕事の対象者の人たちの福祉と人権を守り拡大させようと、その思いをとことんつきつめていくと、結局、その道は社会主義社会を目指さないわけにはいかない、ということを、いかに説得的に明らかにするか。その課題に挑戦してみたいと思います。とりあえず今回は構想のみ。

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2013年03月28日(木)

冊子「頑張れロードーシャ」骨子案

No.203

 働く労働者の皆さんへ

あなたも労働者 その定義
あなたの賃金・労働時間などは誰が決めている?
働いている人たちこそが世の中を創っている
労働組合はいいぞ
おのれの力を信じるべし
労働組合とは
その役割、目的、性格、種類・形態
活動の方法、あり方 組合員が主人公  職場を基礎に 組織原則
「ストで○万人に影響」?
たたかいと憲法・労働法
労働組合は社会的な力だ


 幹部の皆さんへ

活動の経験と蓄積の中から一般的な法則性を見つける、教訓化する、学ぶ
その法則に則った活動に取り組む 原則
政治闘争への発展、結合
組合員が主人公 職場を基礎に 職場討議 産別を軸に 地域に連帯を
組合員拡大を握ってはなさない
力関係を考える
味方と敵
戦術
支援と連帯、共闘 「身近でない」課題への取り組み
市民運動との連携 階級的自覚 関係者の組織
統一戦線の一翼を担う その発展を目指す 社会を変える 要求実現への根本的方向
 「賃上げ」から「賃金制度の廃止」へ。このスローガンの理解のために、みんなで経済学の学習を
 労働組合自体が、要求実現の究極的追求の極みとして搾取制度の廃止との認識に至る展望
 同時に、団体としての組合がそういう認識に至るのは、労働組合の大衆的性格から言って、あくまでも過渡的・プロセス的、継続的な運動の過程であって、組合員全員がそういう認識に至るには至らないであろう。
 むしろ組合員の中で、そういう認識に達した人が共産党の一員となり、その党員組合員が、その組合の中で、そういう認識を広めるように、勿論労働組合としての性格と規約とを尊重したうえでの活動であることを当然の前提として、独自の努力をすること。

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