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我有り故に我思う

2025年10月29日(水)

南区生活と健康を守る会機関紙のコラム欄用の記事です。

No.239

 時々、記事掲載の機会を頂いています。一回の要請につき4本ほど書いていますが、編集者の方に選んで頂いています。3本不採用分も含めて、この欄にもアップしておきます。最近のものです。

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●昨秋総選挙といい今夏参院選といい、自民政治を終わらせるチャンスだったのに逃した魚は大きい。「野党」への国民の支持は、自民政治への批判の反映のハズ。だったらこれら「野党」は小異を捨て自民下野への大同につくべきであった。とはいえ、「野党」とは思われながら政策的には与党丸出しの{ゆ党」と言うかエセ野党では、所詮、期待すること自体が甘いのか。「幽霊の正体見たり」。エセ野党が自民延命を助けた、というより、ハナから野党でも何でもなかったということが、今回、明らかになったと言うべきだろう。

●トランプと高市といえば正に最悪。復古主義・歴史修正主義とアメリカ言いなり、尻尾を振って、親分子分よろしく一層の軍備大拡大と格差拡大、拝外主義。自己責任と福祉切り捨て、労働基準法改悪。強きを助け弱きをくじく。自らも金権疑惑。イスラエルを応援し日本に軍事基地を押しつけるトランプをノーベル平和賞推薦とは、最早ブラックジョークか。目が点になる、開いた口がふさがらないとはこのことか。いかに卑屈・言いなりであっても、そのこと自体を本人が自覚できない現状は、シェークスピア以上の悲劇と言うべきか。

●薬を飲むために口に含んだその水だけを飲んでしまい肝心の薬は口に残ったまま。我ながら何のことやら。水は薬飲の手段であるはずなのにその手段だけが本来の目的を押しのける。昨今の通信技術の進展や宣伝の氾濫は、あくまでも手段。内容が本来。「ウソも百回言えば…」とは、かのナチスの宣伝。百回言う、ことは手段なのに、じっくりものを考える力を奪われているうちに、ウソが本当に。福祉や消費税減税の時は「お金がない」。一方、湯水の如く軍備拡大や過度な大企業減税は伝えない。内容の吟味と検討、対話と討論、学習が要る。その為の仲間が居る。

●中学校給食がやっと実現と思いきや、塔南高校跡地の公園をつぶして大型給食工場を建てるとの市の方針。公園廃止撤回を求める裁判と、給食は原則自校方式で、との運動が広がっている。‖膩森場か自校か、公設公営か民間大企業への丸投げか、論点は二つあるはずなのに、市はハナから、工場+民間化。「廃止」は公園自体が要らないからではなく、専ら工場用地の為で「始めに工場ありき」。では何の為に工場か。即ち、教育という公務を民間の営利対象に。大企業応援、「民間化ありき」がコトの本質。福祉切り捨て等と共通、一連の市の方針。

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2025年10月25日(土)

幽霊の正体見たり…

No.238

 中学校給食がやっと実現と思いきや、塔南高校跡地の公園をつぶして大型給食工場を建てるとの市の方針。公園廃止撤回を求める裁判と、給食は原則自校方式で、との運動が広がっている。それにしても、長年背を向けてきたのに、'23年1月にやっと実施の方向を打ち出した途端に、「センター化」。市の公園を、塔南高校用地として市から借りてきていた市教委が、その高校移転に伴い、借用を終えて返却したのかしていないままなのか、それも曖昧にしたまま、何と「公園廃止」について説明。市長部局はその説明会に誰も出席せず。市教委「代替公園を確保して廃止」と言いながら(「確保」は建設局の仕事なのに)、その2日後には文化市民局が一方的に「廃止」を決定。翌年1月には都市計画局が「3月の都市計画審議会に廃止議案を提案予定。提案理由は、ヾに廃止しているから、給食センター用地に充てるから。ところがその審議会では、市も委員長も「センターは関係ない」の一点張り。廃止には代替公園が要件なのに、2年経った今も「確保」されないまま。そもそも伏見では整備されたとしても遠すぎて代替にはなり得ない。要件を満たしておらず廃止は違法。とにかく経過は疑問だらけ。
 振り返るに、そもそも市も市教委も「公園自体が不必要」とは一言も言ってはいない。「はじめにセンターありき」が公園廃止の本質。そこでもう一歩、経過を遡ると、既に'21年、市は「塔南高校移転後の跡地について、民間活用も含めて検討」。そこで思うに、給食の提供・調理の方式については、誰が賄うかということも含めて、‖膩慎訖工場か、自校又は親子か、公設公営か民間大企業への委託・丸投げか、との二つの論点があると思えるが、京都市にとっては、,梁膩森場と△量唄峇歸蠅欧箸蓮▲魯覆らセットになっている。「廃止」は公園自体が要らないからではなく、専ら給食工場用地の為、即ち市にとっては民間大企業の営利事業の為に用地を提供、つまり「はじめに工場ありき」に留まらず、では何の為の工場か何の為に工場かと考えた場合、「はじめに民間化ありき」がコトの本質ではないか。給食という教育の一環たる事業をいやしくも民間企業の営利の対象にするということが、自治体の本来のあり方と言えるのか。
 昨今、住民の福祉増進をめざすべき公務が、民間大企業の事業対象に提供されようとする事例が各分野で進められているが、今回のセンター化と公園廃止も、とどのつまりはこういう流れの一環だと考えれば、この間の市の強引な進め方の謎も一連の疑問も、すっかり氷解する。「正体見たり。それは公務の民間化方針から始まり、今も継続されている」。
 公の事業として公が担い、且つ自校又は親子で、併せて公園は公園として存続させ市民の憩いの場としてまた広域避難場所として活かす為にも先ず「廃止」の取消し撤回を。これらの運動は、自己責任押しつけの社会保障改悪後退や国民負担増を押しつける庶民増税等々に対抗する運動、公を取り戻す運動との連帯が可能だし、また広く、今日の新自由主義路線への批判と対抗の諸運動の一翼を担うものである。
 しかし当面は、あれこれのゴタクは省略し、今回の市の公園廃止は、「代替公園設置」との廃止要件を満たしておらず違法である、との一点に絞って、裁判での「廃止取消」判決を目指して力を尽くしたい。

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2025年10月11日(土)

忙中閑あり

No.237

一日だけ遊んできました。京都駅から夜行バスで甲府駅前へ。午後11頃発だったかと思います。朝7時前到着。駅で朝食。あこがれの中央本線で、しかも八ヶ岳などを背景にした雄大な景色で鉄道写真などでも有名な松本方面へ。逆に東京方面行きも勝沼とか大月、上野原等々、ぶどう畑や扇状地その他、車窓豊かな路線ですがそれはまたの機会に。高原列車乗り換えの小淵沢を経由して茅野へ。予約通り駅前のレンタカーで大門街道、白樺湖経由、霧ヶ峰へ。最初は車山ですが、ここは素通りで北西端の八島湿原へ。中仙道和田峠の手前に鷲ヶ峰という小さな山があり、そこへ登ってきました。腰痛治療の一環で歩いた方がいいとの医者からのアドバイスによるものですが、まあ、年に1〜2回の軽登山かハイキングといったところです。それでも途中の峰で、ここが頂上かな、それにしては看板も標識も何もない、仁和寺の法師よろしく戻ろうかなとも思っている折、行き交う人に聞いたらもう少し先だとのことでもう一踏ん張り。やっとたどりついて地元の諏訪からという女性の方に写真を撮って頂きました。妻はといえば、低い山でもムリなので、下の湿原を散策又は読書。昼食後、車山、白樺湖、蓼科経由で下山。レンタカー返却、再び中央本線で茅野から上諏訪下諏訪岡谷経由、塩尻へ。かつて共産党市長がおられたところ。また諏訪・岡谷といえば林百郎さんという国会議員さんもおられたと記憶しています。乗り換えて今度は南下、「木曽路はすべて山の中である」。ここも党員町長さんがおられた木曽福島経由。御岳は、既に真っ暗で姿も見えず。中津川経由、名古屋からは新幹線で自由席ながら妻と離ればなれとはいえ何とか座れてウトウトしているうちに京都着。

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2025年07月10日(木)

新聞への投書がボツになったようです

No.236

 「京都新聞」の投書欄に応募しましたが、どうも、不採用になったようです。きっとたくさんの投書があると思われますから、採用されるには、高い倍率を乗り越えなければならないのでしょう。私も、いろいろ活動上の支出も増え、一方、年金は実質引き下げですから、せめてもの「薄謝」を期待していたんですが。投書原稿自体は新聞社の権利に属するのでしょうが、不採用の場合、私は私なりに、こうして自身のHPに投稿する権利もあると思われます。しかし詳細は不勉強ですから、念の為、少し修正して、「異なる原稿」としております。

 「6月30日付本紙夕刊3面「年金のギモン」欄の記事に疑問を感じた。「基礎年金…を税で賄うには大幅な増税が避けられないのでは…。消費税率の上げ幅を考えてみる」と、折角税方式のメリットを紹介しながら、落ちは消費増税の話になっている。他の選択肢の提示が無い。国の税収は、かつて消費税導入頃の、ざっと消費税5兆円・法人税18兆円・所得税26兆円が、今や23兆円・16兆円・22兆円になっている。精査が必要とはいえ、所得税と法人税の落ち込みは、金融課税等富裕層と租税特別措置等大企業への減税措置が大きい(絶対額での「落ち込み」は少ないように見えるが、これは、実質利益と時々の税率等の精査が要る。何よりも、各法人や個人の所得別の分析が必要)。税金は「高い所得から高い税率で、低い所得から低い税率で」が実質平等と言われ、子どもからでも買い物の度に取立てる消費税は最悪の不公平税制である。社会保障にとも言われながら、導入以来、むしろ社会保障は後退の一途ではないか。目的税ではないから、そもそもお金に色はついていない。従来の政府の責任とはいえ今や最大の税収税目となっているから一挙にとは言えないにしても、その税率やあり方についてはもっと議論が要るのでは。戦争するだけの為の、「防衛費」という偽名の実質「軍事費」も大幅増の傾向等、支出面の検討も要るのでは。

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2025年01月31日(金)

地裁の入り口で足止めのひとこま

No.235

裁判にかかわっておられる高齢者がタクシー代もない、バスにも乗れないというので、同様に、その他の場面でもそういう機会が最近増えているのですが、私がアッシー君役です。地方裁判所の入り口で、止められました。私はマイカーといってもいわばマイ宣伝カーで、スピーカーやマグネット看板を着けています。スピーカーは「隠せ」と言うので、これは隠すまでもなく、着脱式なのでやむなく妥協してはずしました。前回行った時はこれで入れたのですが、今回は、守衛の「アコム」氏からの連絡で随分待たされた上にやってきた総務課という人から「看板もダメ」とのことで、「赤旗をお読み下さい」か「日本共産党」か「個人の尊厳を謳う平和憲法をくらしと外交に生かそう」のどれがいけないのか、「管理規定」とやらを見せてほしい、それもダメ、憲法に賛成とか反対とかでなく看板自体がダメ、賛成反対でなく憲法は現にある、裁判所こそ憲法守ろう、生かそうの砦ではないのか、あなたたちは一体何を拠り所に仕事をしているのか、この車の駐車場利用が、どんな管理上の支障となるのか、結局、判断の基準や権限は何で誰なのか、とまあこんなやりとりも全然、ラチがあきません。約束の時間も過ぎ、中から待ち合わせの弁護士の先生が出てこられ、これ以上、待って頂くのもご迷惑なので、やむなく看板を全部はがして中に入りました。といったような次第でした。
 次は2月4日にも、またアッシー君役なので、どうしようかと、今、思案中です。今度も、入り口で議論している時間はとれません。

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