2026年10月06日(火)
No.251
望月衣塑子著「武器輸出と日本」(角川新書 '16/7/10)を読んでの感想の一端。
一般に過剰生産という場合、その「過剰」は、�々愬穃呂紡个靴董△箸いΠ嫐�と、�∩澗療�な需要に対して、という意味の、二通りの理解があり得ると思う。�,両豺腓蓮⊂暖餽愬穃呂�アップすれば、過剰は解消されるか、若しくは緩和されるし、またそのことによって、庶民の生活水準が豊かになっていくというメリットも得られる。しかし�△両豺腓蓮∋笋覆鵑�は、商品によっては、もう絶対的に、社会的に過剰であって、生産調整するしか、その解決方向はあり得ないような商品も、今の世の中では生まれていると思っている。現代社会において、自家用車なんかはその典型ではなかろうかと思うが如何であろう。だから、膨大なあの手この手の宣伝広告やモデルチェンジ、ローン販売等々の「売るための」戦略が練られる。同時に、政治的には、与党への献金攻勢によって、広い意味で、高速道路網の整備とか鉄道や公共交通の軽視等、車無しでは生活できないように、庶民を追い込んでいく、社会を追い込んでいく、いわば購入が社会的に強制される、といった方向が強められていく。目的意識的に、敢えて需要が創り出される、「需要創出」といった傾向が強められていくのではないか。
こういう問題を考えるにあたっての、参考エピソードを二つ、紹介しておきたい。
○ 資本家は、自分が作った商品を(労働者が多数を占める)消費者に買ってほしいと願いながら、自身が雇っている労働者には、その購買力(賃金)をアップさせようとは、絶対に思わない。
○ 子「寒いね。どうしてストーブを焚かないの?」母「お父さんが失業して石炭が買えないんだよ」子「お父さんはどうして失業したの」母「石炭が取れすぎるからだよ」
さてそこで、元に戻っての「武器輸出」の話しである。既に10年前の著書だから、事態はもっと進んでいるであろう。こういうテーマの新書が、今度、岩波から出たということなので、次には読みたいと思っているし、読めばまた同様の感想も書いてみたいと思うが、とりあえず今回は望月女史の前掲書の感想である。
車に関する私見については、いろいろなご意見もあろう。ふたつ思うのは、� 峪拉枦�な考え方は支配階級の考え方である」ということと(支配階級という言い方は、ここでは、為政者といったような意味でご理解願いたい)、��特に自家用車の製造販売に関わっている立場の人たちからは、当然、反論があって当然だろうということに関する問題。ここで議論したいのは、そういう今の立場からの出発ではなくて、ここは一つ「無我の境地」というか、その皆さんの立場を離れて、仮に過去の職業を離れて例えば年金暮らしと想定するとどうだろうか。「立場が意識を規定する」とすると、その立場を離れて考えてみて頂くとどうだろうか、という話である。しかしこれもまた余談なので、傍系というか背景の話しである。そこで、こういうことも頭の隅に置いて頂きながら本題に戻る。
同書は、政府特に防衛省と「軍需大企業」が一体となって、兵器製造に乗り出している様子が、関係者への取材を元に書かれている。先程、マイカーは最早、過剰生産ではないかと思うが如何だろうかと書いたが、つまり兵器こそは、こういう類の疑問や議論の余地なく、ハナから過剰というか、ムダな生産ではないかとの思いが、一言で言えば同書への感想である。取材拒否などにもメゲず、粘り強く、現場の実態をリアルに明らかにされているという意味で、さすがに記者魂に満ちた一冊であるが、敢えて言えば、上で私の言う「ムダな生産」といったところまでは必ずしも踏み込んでおられないし、またその当時の反映でもあろうか「立ちすくむ企業」との評価辺りにも、私としては歯がゆさが残る面がある。あくまでも取材された関係者の生の話を中心に書かれているからではあろうが。その点では、これも今となってはもう古い(事態はもっと深刻な方向に進んでいるという意味であって、古臭いという意味ではない)が、「しんぶん赤旗経済部」の「軍事依存経済」(新日本出版社 '16/9/15)が、その標題の通り、経済と結びつけて書かれているという意味で、遠慮無く書いているという気がする。勿論これは立場の違いがあるからであって、望月著書の値打ちを減じることにはならない。
しかしこれらのことはともかく、要は、軍需品製造が如何に不必要かということを思ったという感想である。その点で、彼女は、「研究には色は付いていない」という、結果的には推進派だが ”純”研究者の発言なども紹介されておられるし、「抑止」という意味では必要であるとの論者の発言も勿論取り上げられている。そこで感想を固める為の私の次の課題は、意識的な「抑止力論者」からの私への反論についてどう再反論するかということになってくる。古賀誠元自民党幹事長は「どれだけの軍事力を誇ったって抑止力にはならない。軍拡で平和が保てるなんて絶対にない」と抑止力論を批判されておられるが(「週刊現代」'26/8/17号)、さすがと言うべきか。しかし本コラムは、抑止力論批判が主要テーマではなく、それは未だ私も勉強途上で、引き続き課題として深めたいと思っている。ここで言いたいのは、上に書いた「需要創出」という観点からの感想である。つまり、本当の必要性からと言うより、需要が創り出されている、危機が煽られている、自分でマッチを擦りながら火事だ火事だと騒いでいる、ということではないのか、と感じたという次第である。「台湾発言」然り、熊本から九州・南西諸島に至るミサイル基地化然り、安保法制・集団的自衛権等々。もう少し広く言えば、戦前の大陸侵略に何の反省もないどころか、むしろ居直っている態度なども「防衛環境悪化」の、自らが招いている要因のひとつだと思う。トランプと習近平が膝詰めで話し合っているのに、である。少なくとも、今や「専守防衛」をはるかに超えて「敵基地攻撃」などと言っている限り、抑止力論の立場に立ったとしても、「必要以上の」「需要創出」ということは言えると思う。
ちなみに、志位和夫「Q&A戦争と平和(新日本出版社 '26/6/30)も、これらの問題について考える場合、大いに参考になる。
高市軍拡はマッチポンプである、と一言で言えば済むものを、ダラダラと冗長な駄文になってしまった。単なるコラムなのでご容赦願いたい。
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2026年09月17日(木)
No.250
小選挙区制や公選法違反疑惑等々、「正当に選挙され」ているかどうかとの疑問は残るが、それはともかく、国政は国民の信託により「その代表者が行使する」のが根本原則のハズである。ところが、昨今、与党チームとか国民会議とか、いくら与党やそれに近い議員同士とはいえ国民全体を代表する訳ではない集団が、事実上の政策決定の役割を担っているかのような事例が既成事実化されようとしている。勿論、国会議決を経ない、閣議や担当大臣による「行政立法」の存在はその通りだが、それは閣議や大臣が、直接間接に国民・国会の代表だからこその話しである。与党の議論は、その党役員等を通じ、政府で練り上げられればいいことであって、最終的な決定は、やはり国会または国会を経た手続きのハズではないか。学生時代によく使った言葉で言えばマヌーバーというか、ヌエのような存在とも言うべきではないか。そのプロセスの議論が最終決定であるかの如く位置付けられることについては、どうも腑に落ちないと思うのは私だけか。
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2026年09月09日(水)
No.249
井上けんじが提唱する「憲法を地方自治に生かす、京都市政に生かす」とは ー
例えば、憲法では、「地方自治」という項目が、第八章92条から出てきます。しかしここに載っているから、ではなく、その前の9条「戦争放棄」でも11条からの「基本的人権」でも、地方自治は生かされるべきだ、という考え方です。具体例として、例えば25条2項では「国は、社会福祉・社会保障等の増進に努めなければならない」と謳われています。井上説では、この第2項の主語は「国と地方自治体は〜」と読むべきだ、といったようなことを指しています。自治体も9条を守る義務があると解釈すれば、国が戦争準備を進めている場合、それは当然、国に批判の声を挙げ、「憲法を守れ」と言わなければならないことになります。教育への権利然り、生活できる賃金や雇用形態・労働条件で働く権利然り、等々ということになります。実は、これが突飛な考えでないことは、例えば京都市でも「基本的人権の尊重」などといっていることからして自明のこととも言えます(但し、市の言う「人権」は、それを守り拡充すべき国(や井上説では自治体)の義務の指摘ではなく、私人間の問題に矮小化してしまっています)。更に例えれば、公務員は、採用の際、「憲法を守る」と誓約書を書きます。ところが、その職員教育の際には、憲法との言葉はほとんど出てこないのが京都市の現状です。憲法を市政に生かす、京都市も市民の生存権保障の義務がある等と前述しましたが、具体的に憲法尊重擁護義務があるのは、自治体一般ではなく、市長や議員、職員、即ち公務員ということになります。実際問題としては、では市長や各議員・職員に、日常的にその認識があるかということになってくるでしょう。議会へ送って頂いたならば、私の質問に対し、市長は「尊重擁護義務はある」と答弁するでしょう。しかし9条についての前述のように踏み込めば、「それは国の問題、国の専権事項」などと言って、おそらく逃げるでしょう。そこが問題です。自民党や維新の中には、自らの主張と公務員の義務との区別がついていない人も居られるようです。例えば国政の問題ですが、党大会で公務員である自衛官に君が代を歌わせる等というのは、その区別が認識できていない証拠です。憲法批判は自由ですが、自身が公務員であるとの自覚は必要です。市議会でもどこの地方自治体の議会でも、そういう自覚を持った議員でなければならないのは当然です。
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2026年08月31日(月)
No.248
プーチン・ロシア大統領が訪問したというのでニュースになった「北方領土」であるが、そもそもこれはどこの島のことか。この「北方領土」の表現こそ、私に言わせれば、コトの本質を曖昧にするヌエのような言い方であり、この言葉を使っている限り、返還への展望は見えてこない、というのが私の意見である。
政府やマスコミでは、ロシアがどうだ、返還せよ等々と言う時は、決まって「北方領土」との表現が使われる。しかし私に言わせれば、この言い方は極めて曖昧である。イヤそれは歯舞・色丹・国後・択捉の四島のことだとの答えが返ってはくるだろう。だとすれば、それより北の千島列島は返してもらわなくてもいいのか、と更に言いたい。歴史的には前述四島のうち前二島は北海道の一部、後ろ二島は千島列島の一部で、そもそも区別が必要である。またほとんど無視されることが多いが、スターリンの蹂躙が根本問題とはいえ日本政府自身も、戦後の平和条約で「千島放棄」と署名している。「北方〜」が曖昧なのは、実は、私の言う区別や根本問題、条約等の経過を無視ないしは触れたくないことからきている。抗議するだけでは不十分だし、まして名前で呼び合って歓心を買おうとするなど、外交としては論外である。曖昧な表現は、実は、理詰めの外交交渉力の不足の象徴であり反映である、と私は思う。
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2026年08月11日(火)
No.247
何人かのメンバーでローテーションを組んで、同会ニュースのコラム欄の原稿依頼を頂いています。私もその一人ですが、最近号では次のような文章を投稿しました。二つのうち、どちらかを選んで頂いているハズです。版権は生活と健康を守る会にありますので、趣旨は変わりませんが、文章は少し修正しています。
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●あんまり暑いので腹立ち紛れに話題にする。戦闘機が1時間飛ぶと車8年分の燃料消費、軍艦1時間なら21年分と、少し古いが資料あり。車の燃費がよくなっているとのことなので、数字は変わっているとは思うが。兵器の製造や軍事演習、まして実際の戦争ともなれば膨大な二酸化炭素排出、一層の温暖化が加速されるのでは。核兵器開発も又然り。核の使用は原子雲が太陽光を遮り「核の冬」と言われるが、開発は「核の真夏」ではないか。軍縮と核廃絶は、勿論、命と平和の為にこそ不可欠の課題だが、熱中症と酷暑防止の為にも一刻の猶予もない。当面は、自宅の電気代節約の為、スキがあれば冷を求めて大型店でモノを買うふり。平和運動も忘れずに。
●自転車で走りながら、涼を求めて強い風を期待。スピードを上げると向かい風が強くなり、してやったり。しかし、おや? 体が熱くなって却って暑くなるとはこれ如何に。今の世の中、社会の必要量とは無関係に生産一路優先だから過剰生産と浪費は必然。市電や公共バスの縮小が典型だが車の購入が社会的に強制されてきた。膨大な広告宣伝と廃棄物処理の費用とエネルギー。同時に、最大の温暖化加速要因は軍需生産と軍事演習、核開発。実際の戦争ともなればなおさら。「抑止力」は際限のない軍拡競争、一触即発の危機。どこかの国からの攻撃とやらの前に、こちとら熱中症でやられそうだ。
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