トップ

活動日誌

2025年02月03日(月)

「公園廃止」取消し裁判陳述書(案)

No.695

 2月4日に2回目の裁判があります。弁護士の先生から「陳述」するようにご指導があり、私が原稿だけ起案しました。以下に記載します。実際の陳述者は別の方ですので、勿論、その人なりに言いやすいように書き直してもらいます。また時間の関係でもっと短くはなりますが。

2025/2/4裁判での訴え(井上起案)    2025年1月24日
            南区東吉祥院公園廃止と大型給食センターを考える会

1、今回の裁判は、直接的には公園廃止の違法性を問いその取消を求めるものですが、京都市では、その廃止の理由として、公園自体の必要性の判断からというよりも、専ら、中学校給食の大型調理工場の敷地に充てる為であると、説明会や都市計画審議会理由書などで繰り返し強調されてきました。従って、廃止自体の違法性や是非の独自の議論とともに、その議論を深める為にも、その大規模給食工場の建設と運営が、貴重な公園を廃止してまで強行されなければならないものかどうか、この点についての議論・検討も避けるわけにはいきません。とは言っても、私たち原告団は、中学校給食自体に批判的な立場では決してなく、むしろ逆に、長年、中学校給食の早期実現を市に求めてきた市民団体とも連携しています。方法として、小学校のような自校での、または近隣の学校での調理方式を前提としての早期実現への願いだった訳です。一方、京都市は、長年、親が作って当然という愛情弁当論に固執し、全国や京都府内での動きから大幅に遅れ、ようやく2年前にやっと重い腰を挙げました。ところが、私達も喜んだ矢先、何と、市立全63校分2万6千食を一括して調理する大型給食工場方式を掲げ、その為に公園を廃止も発表した、という経過です。工場方式自体の市民的検証も抜きに、工場をあたかも既成事実の如く、当然の前提として、工場方式とほぼ同時期に相前後して、公園廃止も発表しました。一昨年11/22の説明会資料では、「工業地域であり…民間活用を含め有効活用を検討している」と冒頭、掲げながら、続けて、給食センターを建てる、その為に公園を廃止する、といった内容で、検討どころか、結論押しつけにの説明会でした。本来なら、長年、公園を教育委員会に貸していた立場の市長部局から説明すべき廃止との方針が、借りていたハズの教育委員会だけの出席で強行されるという異常な説明会でした。「所管所属と協議のうえで」と答弁書は言っていますが(P19)、より丁寧な説明をと思えば、一緒に出席した方が、より市民的なのは当然です。「敢えて出席の必要はなかった」との言い分でしょうが、逆に「敢えて意識的に欠席する積極的な理由は全くなかった」と言うべきでしょう。これは、今にして思えば、廃止を既成事実とした上での、給食工場ありきの方針押しつけの説明会というのが、市と市教委の本音だったからではないでしょうか。
2、説明会資料や都市計画審議会提案説明書でも、長年の重い腰への総括も反省も抜きに、「中学校給食への対応が必要となり」としか言わないにも拘わらず、逆に、さて必要となったから、だから大型工場だと、センターの根拠については、「持続可能で最適」という理由にならない理由だけで、自校かセンターか、との論点は意図的に避けています。と言うより、センター方式の、食育の観点からの積極的な教育的意義については、語ることができないからでしょう。
3、この間の議会の様子を見ても、「食感はどうか、温かさはどうか、アレルギー対策はどうか、配送時間の遅延はどうか」等々の議員の質問に対し、「それは対策をしているから大丈夫、それは心配ご無用」等々、いわば受け身の答弁、心配打ち消しの答弁であって、市教委から、センター化・工場化の積極的な意義を訴える答弁や見解があまり聞こえてこないような印象です。公園廃止の理由が給食工場建設の為と言うなら、その廃止の根拠付けの為にも、市なりの工場方式の意義がもっと強調されて然るべきですが、少なくとも今回の答弁書の現段階までは、積極的な主張はありません。それとも、自校方式の場合の人件費や各学校での厨房の建設費や運営費等、財政面からの制約が工場方式の理由なのでしょうか。仮にそうだとしてももっと精査が必要だし、そもそも財政と教育的意義についての議論も必要です。
4、その後に一部手直しされつつあるとはいえ、大量の一括調理とその運搬となれば、温かさ、おいしさ、食感等が損なわれないかどうか、配送の手間と時間、食中毒リスクやアレルギーへの個別対策、等々、自校方式に見劣りするのは明らかです。何よりも調理の過程が身近に実感できる、匂ってくる、創ってくれる調理員さんの仕事や顔が見える、時には会話もできる、お礼も感想も言える等々、自校または親子方式等、生徒たちの身近な場所での調理の優位性はあまりにも明白だと思います。自分たちで配膳することの教育的意義も強調されるべきですが、この意義も、どこかから運ばれてくる給食よりも、その調理過程を実感している給食の方がずっと大きいでしょう。自校かセンターか、その方式についての教育的観点からの議論がもっと必要だと思います。
5、では京都市において、教育的観点以外の判断要素とは何でしょうか。前述で、塔南高校跡地の「民間活用」云々との市の説明を紹介しましたが、教育という最も公共性の高い分野において、=それは教育の一環としての給食も全く同様だと思いますが=、でさえも、今日、公務の民間化という動きが顕著であり、市民に奉仕すべき公けの仕事が民間の営利事業の対象に拡げられる事例が増えています。工場のその後の動きについても、果たして、そもそもの計画立案から始まって、設計・建設・運営等々、事業全体が、民間営利企業に委ねられようとしています。そもそもの給食方式自体のあり方も、もとはといえば民間企業の調査研究に委ねたところから出発していました。「センターありき」は実は「最初に民間ありき」だったのかなとも思えます。実際、再三紹介している一昨年秋の公園廃止説明会資料の末尾では、「給食センター…をはじめ産業振興…に資する活用となるよう、引き続き…最大限有効活用できるよう検討…。」と結ばれており、給食センターのみならず、産業振興に民間最大有効活用」へ「貴重な場所」だと強調しています。市にとっては、もとより、給食センターは市立市営でないことは既定の方針だと言うべきでしょう。
6、また一方で、給食のセンター化方式は、実は政府文科省の方針です。各地方自治体教育委員会に押しつけているのか自治体が追随しているのか、どちらにせよ、全国的にもセンター方式、工場方式が広がっている現状があります。制度として国の法令に従うべき面と、地方自治が生かされうる部分とは区別されるべきだと思います。また何かにつけ、教育や福祉の分野では財政云々が強調されますが、一方で国の軍事費等についての話の折には、その規模も桁違いなのに財政の話はそれほどは出てきません。「財政危機」一般と言うより、配分上の軽視と言うべきです。有名な生活保護裁判の朝日訴訟判決では、生活水準の話ですが「国の予算の配分によって左右されるべきではない」と謳われています。
7、災害時の広域避難場所としての機能の剥奪・喪失も大問題です。答弁書では、「廃止したからといって…権利利益に影響が及ばない」(P'7)とか、「廃止後も引き続き避難場所として指定、想定」(P9・15)等々と書かれていますが、大型工場が建設されれば、避難場所としての機能が失われるのは当然です。廃止と指定との時間差のことを言っておられるのか、それとも給食工場自体を避難所にできるとの主張なのか、判然としませんが、前者なら時間の問題ですし、後者なら、では本来の調理機能はどうなるのかという問題にぶつかるります。災害多発の時代、避難場所を減らすなどとはもってのほかです。同時に、自校方式にしておけば、万が一の災害時、各学校での地域毎の食事提供機能の発揮が大きな役割を果たすのではないでしょうか。
8、その他、各学校での厨房建設や、運用後の食材仕入れ等地元での発注や調達等との地域経済への貢献も、自校方式ならではと言えると思います。
9、中学校給食実現への、特に先生たちへの負担増が懸念されますが、これはその背景に、現時点での日常の多忙さがあると私は思います。「不当な支配」をなくし、自主性と学校現場自治を尊重し、何よりも増員と一層の少人数学級が必要です。残業手当の一律増額は長時間労働押しつけで、長時間労働自体を減らすなくす方向が必要だと思います。全体として教育予算の抜本的増額が必要であると、中学校給食実現にあたり、改めて痛感します。
10、工場から運ばれてくる給食が本当に美味しいと思えるかどうか、どういう方式がいいか、生徒たちに自主的自治的に意見を出し合って声を挙げてもらう、生徒会へのそういう呼びかけは、とても教育的だと思います。生徒や親の声ももっと聴くべきです。
11、公園廃止に違法性はない、との市の答弁・主張は、確かに「訴えられた側」での反論ですが、市にとっても、廃止自体の必然性や積極的な理由があるわけではないと思われます。廃止しても問題はないという消極的な立場は、他に廃止の理由があるからこその反論と言うか弁解であって、その理由がなくなれば、市にとっても、敢えて廃止して市民に負担を押しつけなくてもいいはずの話であります。自校または親子方式などにすれば、そもそもの公園廃止の理由がなくなります。前提が崩れます。今からでも遅くはありません。市長の英断を求めるとともに、この裁判でも、給食方式についての積極的な答弁を期待して陳述を終わります。 

y[Wgbv


2025年02月02日(日)

公園廃止の取消を求める裁判への地元調査報告書

No.694

 大型給食工場建設用地に充てる為として、京都市が南区内の東吉祥院公園を「廃止」しましたが、この決定の取消を求める裁判に取り組んでいます。「都市公園法」では、廃止の為には「代替公園が必要」とされており、そこで市では、南区内と伏見区に各2カ所計4カ所の公園を予定中としています。4カ所合計の公園面積は、確かに同じです。しかし、 一昨年11月の「廃止」から既に1年以上経っているのに、1カ所はやっと今年夏予定、以外の3カ所は開設時期も未だに未定です。加えて伏見の2カ所は1時間前後もかかる遠方で、一体誰がそんなに遠くまで散歩や休憩に行くのでしょうか。とても「代替」とは言えません。法律の要件を満たしておらず、廃止は違法ですから取り消されるべきです。
 公園の地元からの調査報告を用意しています。代替とは成り得ないとの論証の為、裁判で生かして行きたいと思っています。

調 査 報 告 書
                   2025年1月9日    原告 井上けんじ

 裁判の争点となっている公園の「代替」としての要件について、主にその距離・移動時間について調べてみました。公園を廃止しようとする場合、法律上の要件が要ります。京都市は、東吉祥院公園の廃止に際し、都市公園法第16条第2号(なお、2023/11/22の説明会資料では「2項」と書かれています)により、「代替公園の設置」をもって、この要件を満たしていると主張しています。しかしそもそも同条の見出しは「都市公園の保存」とあり、本文も「これこれの場合に廃止できる」との文脈ではなく「次に掲げる場合のほか、みだりに…廃止してはならない」との表現になっています。廃止の場合の手続き等について触れていないのは、市の言うように「廃止はどんな方法でも構わない」という趣旨ではなく、逆に、廃止をそもそも想定していないか、またはよほど例外的なことと位置付け、慎重の上に慎重を期すべきものとしているから、と読むべきではないでしょうか。
 そこで、その例外であるところの「代替」たりうる為の条件はどうかを調査しましたので、報告いたします。

1、代替公園の設置時期についての要件を満たしていないこと

  まずその時期について、市は「必ずしも廃止時点での設置・開設でなくても 
 構わない」 と言っています。仮に何歩か譲ってその主張を了解するとして
 も、やはりそこには一定の期限という制約があるはずです。市の説明では、以
 下の通りでした(日本共産党市会議員議団からの、市への聞き取りによる。’
 25/1/8)。
  ● 塔南高校跡地(北側)…教育委員会が公園の設計中であり、2024年度内
   に設計を完成予定。工事については、2025年度内に工事着手予定。公園開
   設時期は未定。
  ● 南岩本公園(南区)…建設局すまいまちづくり課が実施主体となり工事
   は着工している。既存の公園部分は都市計画決定が行われているが、今
   回、代替公園の機能を持たせるために拡幅する部分は都市計画決定を行う
   予定はない。開設は ’25年夏とのこと。
  ● 伏見西部第四地区8号公園・及び、●桃山東第二地区4号公園(伏見区)

   …建設局で設計を終了した。工事の予算が確保できていないため、着工時  
   期は未定。現場は囲いを行い年に数回草刈りなどの維持管理を行ってい
   る。区画整理で公園地を確保し公園整備するもの。都市計画決定の予定は
   ない。いずれも開設時期は未定。

  次項の「距離、移動時間」にしてもそうですが、言うまでもなく「代替」と 
 は、日常、公の施設を利用する市民にとっての公園の機能・役割が代わりにな
 りうるという意味であって、市の公園面積全体が減るとか、変わらないまたは
 増えるから要件を満たしている等との問題ではないはずだと思います。まして
 市民は、日々、年をとっていく訳ですから、その年齢のその瞬間瞬間はかけが
 えのないその時点でのその人の人生であり生きるための環境を享受しうる、成
 長発達への一瞬一瞬であるはずです。これは児童や青年に限りません。’25/1
 月の今日時点で、既に一昨年(2023年)11月の市の「廃止」から1年以
 上経っている有様です。いつ開設されるかも知れない公園が、「代替」になり
 うるはずがありません。

2、都市公園(本件では近隣公園)に「代わるべき都市公園」の要件を満たしてい 
 ないこと
  「近隣公園」は、近隣住民の散策や憩いの場としての公園であり、かつ、地 
 震による大規模火災などの災害時には避難の場となるもので、住居の近所にあ
 ることが必須の条件です。だからこそ「近隣公園」なのです。誰がわざわざ、
 時間とお金をかけて、休憩ならぬ、疲れに行くのですか。また、スポーツ愛好
 者にとっても、仕事や住まいの関係で身近な場所にあることが望ましいことは
 当然であり、そもそも、四等分されたグラウンドの合計面積が変わらないから
 と言って、細分化された公園では野球やサッカー、ラクビーなどができなくな
 ってしまうのも当然です。よって、上記の1、の「廃止から代替公園開設まで
 の空白期間」以上に厳しい「距離制限、公園まで行く時間の制限」が必要で
 す。以下、東吉祥院公園を起点として、各公園への移動の時間と距離を確かめ
 てみました。

東吉祥院公園 → 伏見西部第四地区8号公園
(1)’24/ 7/11に、自動車で、最短且つ合理的と思える経路で行ってみた結
  果、以下の通りでした。距離6km、所用時間、約20分
(2)‘24/12/29に自転車で走ってみましたが、危ないので国道は避けたとはい
  え、ほぼ最短距離で(旧千本通りを横大路まで南下)合理的な経路と言えま
  す。日曜日の午後でしたが、約25分〜26分であった。
(3)次に、京都市の、市バスを主要な交通機関とする運行情報・乗換案内を検
  索してみました。任意の出発地と目的地、及び出発日・時刻を想定して検索
  すれば、到着順・所要時間順・安い順等毎に各4通りの経路を道案内してく
  れます。東吉祥院公園の前の市バス「吉祥院池田町」停留所を起点にしま
  す。一方、伏見西部公園に一番近いバス停は、 嵒榮参B舅」と、◆峅
  大路車庫前」で、ほぼ同じ、各徒歩約4分の距離でした。想定の日について
  は、平日と土曜・日曜との区別ができますが、時間となると、何時何分と、
  60分×十数時間(始発から終発迄)もの選択幅がありうることになります。
  しかも、まず最初に乗る「池田町」発のバスが4路線あるとはいえ、いずれ
  も朝夕の通勤通学時間帯以外は一時間に1本のバスしかない(一日中1本し
  かない路線もあり)ことと、それによる乗換えの組み合わせの多様性が主な
  理由だと思われますが、各選択時間の設定によって到着順や所要時間、運
  賃、移動距離等に相当大きな開きがでます。池田町バス停からは、東西に走
  る久世橋通りの東西どちら行きからでも伏見へ行けますので、早く来た方に
  乗ると、それだけで条件が変わってきます。乗り始めのバスを一つの路線
  (号)にこだわると、一時間に1本ですから、場合によっては、池田町で待
  つだけで59分かかってしまう理屈にもなります。勿論、上の検索において
  は、何分発のバスに乗れるかは想定時間を起点とはするものの、所要時間に
  ついては、出発地の池田町バス停での待ち時間は含めてはおらず、乗れた時
  間から以後は、各乗換え時での待ち時間は加味した上で、計っていることに
  なります(細かくなりますが、一定の時刻を起点とすると待ち時間の長短と
  乗れる時間の前後は目的地への到着時間や所要時間とは連動しない。時刻表
  を知らずにバス停へ行くと設定時間からの到着順になるが、予め検索して所
  要時間最短の時刻表が分かり、それに合わせてバス停へ行くと短時間で行け
  ることにはなる)。
   込み入るので、以下では、平日の朝9時〜夕方4時までの、各00分との想
  定で、それぞれの、乗ってからの所要時間の一番短い経路を紹介するに止め
  ます。市バス「吉祥院池田町」バス停から、,鉢△里修譴召譴砲弔い謄轡
  ュレーションしてみました。所要時間最短の時刻表が分からないままに乗ろ
  うとすると、池田町での待ち時間(路線にもよるが=早く来たバスにのると
  それ以後の乗換え経路が制約されてしまうし、一定の経路想定の場合はその
  バスが来るまで待つことになる=、一時間1本だから最悪59分)と、降車
  後、上述の4分とを加えた時間がかかることになります。予めの検索が可能
  なら、待ち時間最短及び所要時間も最短で行けることになります。
 (3)− 嵒榮参B舅」と、−◆峅B舅車庫前」までの、
  最短所要時間と各時間00分からの最も早い到着時間、及び運賃の比較(この  
  三項目は、それぞれその項目での最小を採ったので、同一の経路ではありま
  せん。バス何号に乗りどこで何々電車に乗り、等々との各経路の詳細は省略
  しました)
(4)ちなみに、これらの想定では紹介されていませんが、地図と路線図だけを
  見て、できる

起点
00分 「府道横大路」へ 「横大路車庫前」へ
最短所要時間 最早到着時刻  最短所要時間 最早到着時刻
9時 41分  10時02分 50分     9時57分
10 53分  11時33分 55分     11時18分  
11 53分     12時33分 63分     12時18分  
12 53分   13時33分 63分  13時18分
13  53分  14時33分 55分  14時18分
14 46分  15時33分 40分     15時18分  
15 53分     16時33分 55分  16時42分  
16 46分   17時33分 63分     17時18分

  だけ単純なコースを考えてみて、例えば池田町から特18号で上ノ町へ、新千 
  本通りから旧千本通りへ3分程歩くが、19号に乗換えて南下、更に国道大手
  筋で南8号に乗り換えて横大路車庫前へといったような経路を目指すとする
  と、三つのバスの乗車時間だけの合計は、時刻表から、3+17+10=30分と
  なります。しかしこの三つの系統は、いずれも一時間にほとんど1本、朝夕
  のみ2本程度で、1時間に一本すらない空白の時間帯もあるような有様で
  す。仮に昼の12時代で確かめてみると、どういう偶然か、乗換え待ち時間
  は、上ノ町・大手筋のいずれもが各33分待ちでした。従って、合計所要時間
  は30+33+33=96分ということになります。ほぼ直線に近い単純な経路であ
  りながら、市交通局の想定では紹介されていない理由の正体みたり、と合点
  がいったようなことでした。時間帯による相違はあるでしょうが、上の表か
  ら、最短で、ほぼ1時間弱と言えるかと思います。
   いずれにせよ、往復2時間もかけて、一体誰が「憩い」に出かけるという
  のか。しかもこの伏見西部公園予定地は、回りは工場や倉庫ばかりで、公園
  自体は今後整備されるであろうとはいえ、周辺環境としては、時間や運賃を
  かけてまで出かけたくなる場所だとは思えない、との印象を受けます。桃山  
  公園も含め、裁判長にも、是非、現地へ行ってみて頂きたいとも思います。
         
東吉祥院公園 → 桃山東第二地区4号公園

(1)’24/ 7 /11に、自動車で、最短且つ合理的と思える経路で行ってみた結  
  果、以下の通りでした。距離11km、時間は約31分
(2)‘24/12/29に自転車で行ったところ、約48分でした。東吉祥院公園から
  伏見西部公園迄は、ほぼ真南の方角であり、また同公園から桃山公園まで
  は、ほぼ真東の方角にあたる。直線で行く道はないので、伏見西部公園に立
  ち寄ったとしても、時間的に、滞在時間を差し引いたのは勿論だが、距離と
  しては不当に遠回りとは言えず、結局、京都の道は北西から南東へ行く場
  合、南へ行くか東へ行くかの組み合わせが最短と言える。要するに西部公園
  を経由して行ってみた、ということです。なお、自動車一方通行の逆走や川
  の堤防等、自転車ならではの経路も、一部、利用し、時間短縮に寄与貢献し
  ました。
(3)やはり一番遠い公園ですから、全く任意に(正月でもあったし、勤労者の
  移動を想定して日曜ダイヤの午後でしたが)、最も早くて距離も短いと思え
  る経路で行ってみました。バスで近鉄上鳥羽口駅前へ、近鉄で丹波橋へ、京
  阪電車に乗り換えて六地蔵駅へ、後は徒歩とのコースでした。東吉祥院公園
  前の市バス「吉祥院池田町」から上鳥羽口駅まで10分、降車後、近鉄電車に
  乗るまで20分待ち、丹波橋まで6分、同駅で京阪への乗換えに11分、中書島ま
  で2分、同駅で宇治行き発まで5分待った後、動いてから六地蔵駅まで6分、下
  車後公園まで徒歩6分、計66分でありました。なお、事前に調べ、合わせて行
  ったので、池田町では最悪最大の “ 59分間 ” の可能性(恐れ)は待たず
  に、待ち時間0分として、所要時間には加えていません。やはり「乗り換え・
  待ち時間」は「偶然性」に左右されます。
(4)次に、前述の、市交通局の運行情報を検索してみました。桃山公園最寄り
  のバス停・駅としては、京阪電車「六地蔵駅」が最も近く、またスピードや
  便数等、バスよりも早いので、専らこの駅に絞って目的地としました。西部
  公園と同様の表を以下に掲げます。
   例によって、始発の池田町バス停での待ち時間は、交通局の案内ではカウ
  ントされておらず、乗った時間から計算されています。なお、六地蔵駅から
  同公園までは、徒歩約5〜6分でした。丹波橋以降は京阪電車がやはり早
  い。そうする為には竹田駅以南は近鉄乗車が必要で、その為には竹田以北か
  ら近鉄かまたは地下鉄で竹田まで行くか、といったような経路が早いこと
  が、下表から読み取れます。伏見西部公園と比べ、距離の割に時間が早いの
  は、やはり鉄道だからでしょう。しかしこの表は最短最早の想定ですから、
  普通一般、そこまで調べたりせず、また最短時間も選ばずに出かければ、待
  ち時間の長短の「偶然性」は避けられません。上の(3)が、やはり下表より少
  し時間を要したのはそういう要素を含んでいるからで、(3)の方がこの表より
  も一般性があると言えると思います。
(5)なお、(3)のバスで京都駅八条口まで行き、JR奈良線での六地蔵駅へのコ
  ースも試してみました。鉄道はさすがに早いとはいえ(京都→六地蔵10〜14
  分)、京都駅での乗り換えと、JR六地蔵駅下車後に徒歩10分余りかかり、
  結局、約一時間弱で、下表の京阪電車経由とほとんど変わらない所要時間で 
  した。  
(6)またスポーツ愛好者にとっては、この桃山は狭すぎて、509屬世ら、野球
  のダイヤモ   

起点
各00分 バス停「吉祥院池田町」 → 京阪電車「六地蔵」駅
最短所要時間 最早到着時刻 バスで出発、経由地等
9時 52分     10時04分 九条大宮→近鉄東寺→丹波橋で京阪
10時 42分   11時29分 地下鉄十条→竹田→近鉄→ 〃
11時 58分   12時39分 近鉄東寺→竹田→バス
12時 58分  13時29分 9時と同じ
13時 58分  14時39分 11時と同じ
14時 42分  15時29分 近鉄上鳥羽口→丹波橋で京阪へ
15時 49分  16時36分      〃
16時 37分  17時24分      〃
 
  ンドにも満たない。せいぜいバドミントンかドッジボールをするぐらいの広
  さしかなく、しかもフェンスの外側二方向は崖で、その下は湿地といったよ  
  うな立地になっています。

東吉祥院公園 → 南岩本公園

(1)’24/ 7 /11に、自動車で、最短且つ合理的と思える経路で行ってみた結
  果、以下の通りでした。距離約4.2km、時間は約20分
(2)自転車でも走ってみましたが( ’ 25/1/1)、約20分であった。
(3)市バス84号にて「九条河原町」または「河原町東寺道」下車、いずれか
  らも、徒歩約5分。九条降車の方が少々歩く距離が長くなりますが、東寺道
  までバスで、あと1分かかるから結局ほぼ変わらない。池田町からは、九条
  迄で18分、東寺道迄で19分の乗車時間。乗ってさえしまえばそんなに時間は
  かかりません。距離的・路線的に、このバス1本のコースが最も近くて早
  く、他の経路検討の余地はありません。但し、この84号は、平日の7時・
  9時・19時代と土曜日の7時・9時代の各2本以外は、始発から最終までず
  っと一時間に1本しか走っていません。上の(2)の自転車もこのバスと全く同
  じコースを走りました。

塔南高校跡地
(1)東吉祥院公園の、道路を挟んだすぐ北側なので、距離や移動時間は問題に
  なりませんが、現時点( ‘ 25/1/1)では校舎等が建っており、外見上は高
  校借用時代と変わりません。他の三公園予定地が曲がりなりにも整備が進め
  られているのに比べ、全く手が着けられていません。
(2)高校の校舎等の敷地面積のうち、2,159岼幣紊箸靴燭里蓮∋佑長腓錣擦禿
  吉祥院公園と同じ面積(またはそれ以上)にしようとしたもので、よく言え
  ば代替として同面積を確保しようとしたものでしょうが、悪く言えば、全く
  とってつけた辻褄合わせでしかありません。全体として高校敷地校舎部分跡
  地の今後の活用計画の全体像は何も発表されておらず、公園廃止の要件を満
  たしていないとの批判をかわすために応急的に、とりあえずの対応とした、
  との印象を免れません。校舎敷地全体のうちの公園予定部分以外の計画が立
  たないうちは、単にアドバルーンを揚げただけと言うべきでしょう。仮に整
  備時期を打ち出したとしても、希望的な目標にすぎず、財政的裏付けをもっ
  た具体的な時期設定としては受け止め難い。2月中旬の発表になりますが、
  どういう予算がつけられるかにもよるでしょう。いずれにせよ、この校舎部
  分も含め、跡地活用については、地元住民のご意見を聞き、できるだけ取り
  入れる為のプロセスが不可欠だと考えます。市の ’ 24/11/22説明会資料で
  は「工業地域」だとか「民間活用」等が強調されていますが、公有地の切り
  売りは、自治体として、百年の計を誤るものです。
(3)ちなみに、同説明会資料は、見出しが「グランドの廃止について」、項目
  1が「跡地の有効活用を検討しているところです」、2が「給食センターを
  塔南高校跡地に整備する計画」、3に「公園廃止」との内容になっており、
  最初に「検討中」と現在進行形で言いながら、同じ文書で結論を押しつける
  内容になっています。「グランド」と「公園」の区別も曖昧で、また給食に
  ついても、自校方式ではなく「センター方式」とする理由について、「持続
  可能で最適」と言うだけで(では自校方式なら持続不可能とでも言うのでし
  ょうか。ちなみに文科省では、学習指導要領で「持続可能」を、環境や平和
  ではなく「我が国の社会を…活力あるものとして持続的に発展させる」=高
  齢化社会でも破綻しないように財政抑制していく=との意味で使ったりもし
  ています。市はそこまでの分析はしていないでしょうが、いずれにせよ何故
  持続可能なのか、何が、如何に、何故、最適なのかとの根拠は示されておら
  ず、議会でも、「(美味しさが)損なわれないようにする、さめないように
  する、アレルギー対策もする」等々、様々な指摘に「それは大丈夫」と受け
  身の答弁に終始しています)、積極的な理由はほとんど示されていないと思
  われます。この時点で、長年借りていた立場の市教委が、市に返還したのか
  どうかも明らかにされず(実は市と市教委自身も曖昧なままだったのかも知
  れません。問い質した結果、返還の時期が明らかにされたのはずっと後にな
  ってからで、しかも後になってから遡及して “ 廃止 ” 日に合わせたかの
  ように「返還日」が明らかになりました。なぜこの「返還」を問題にするか
  と言えば、市の答弁書に「廃止時点において使用許可を受けていた者はいな
  かった」(P7)とか、「大阪地裁判決は…公園の利用状況等を踏まえて…」
  (P13)等々、市民は未だ高校が借り続けていると思っているから使用も利用
  もありえなかった、できなかったという経過と実情を全く踏まえない言い方
  になっているからです。その後は高い使用料で貸し出してはいるようです
  が)、元々、(市教委ではなく)市の所有であった同地の廃止を(市の関係
  者の出席皆無状態で)、借りている(または借りていた)ハズの市教委だけ
  で説明会を開くという異常な開催形式自体に、市と市教委の慌てぶりが伺え
  るような経過だったと思っています。更にちなみに、市の「答弁書」では
  「開建高校は塔南高校とは別に新たに設置された」とありますが(P18)、同
  説明会資料では「塔南高校は…開建高校の地に移転しました」と書かれてい
  ます。「地に移転した」とは意味不明ですが、いずれにせよ「塔南高校が移
  転した」ことには違いがないと思います。
(4)周辺には、図書館や保育園、小学校、市のいきいきセンター等々の公的施
  設が多くあり、従って特に子どもたちの通園通学路にもなっています。校舎
  地跡地の「代替」公園の設計にあたっては、くれぐれも、これらの周辺環境
  との調和を図るべきです。繰り返しますが、「代替」とは、単に「面積」だ
  けをクリアすればいいというものではなく、その開設時期や距離等は勿論、
  市民参加の開設プロセスや周辺への配慮等々も考慮されてこそ代わりになる
  ものかどうかの判断材料とされるべきでしょう。
3.考察
  市の答弁書の「乙第10号証」は、「公園の保存」の必要性を示す為に提出さ
 れている資料ですが、ここにも、「『代わるべき』というのは…効用等におい
 てほぼ対等のもの」と書かれています。ではその「効用」とは、同「第9号証」
 引用資料で言う「散策、休養等の日常的な利用」と読むとすると、今回の市の
 提示公園は、とうていその効用を果たしうるものではなく、従って「代わるべ
 き」公園にはあたらないと思います。これらの書証は「語るに落ちる」ものと
 言うべきです。遠足やピクニックにでも出かけるならまだしも、下駄で散歩、
 ベンチで思索というには、あまりにも遠すぎて代わりにはなりません。ざっ
 と、往復2時間、運賃千円も使って、一体誰が「日常的に、散策」に行くでし
 ょうか。自動車で散策に出かける人などいないし、また現地に駐車場があるわ
 けでもありません。ドライブやサイクリングというなら、それ自体に意味はあ
 るかも知れませんが、自転車は「憩い」ならぬ疲れに行くようなものだし、何
 よりも今回の争点は、あくまでも目的地である公園自体の「効用」であり「そ
 こが代わりになるかどうか」だと思います。
  市答弁書では「計画法が…都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため…都
 市計画制 度を合理的に運用することを尊重」、「『代わるべき』というの
 は…近接する地域のみで …はなく…都市の実情に応じて様々な代替の手法が 
 ある…」等々と書かれていますが(P25)、では今回の廃止と四公園の提示とは
 「都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため」のものなのでしょうか。今の
 京都市に一体どんな「実情」があり今回の四公園提示はその実情にどのように
 応じているというのですか。「いかなる情勢の変化があろうとも…」とのこと
 ですが、一体どんな情勢の変化があるのでしょうか。一般的な制度をどう読み
 取るかというあれこれの解釈論と、身近な公園が奪われ「代わりの」公園に行
 こうと思ったらそれなりの時間もお金もかかるという個別具体的な問題とは全
 く別物です。市民の生活は抽象的なものではありません。疲れを癒し、休憩を
 とり、散策し思索する、具体的な生活そのものです。まして広域避難場所とし
 ての位置付けの場合は、もっと差し迫った切実な問題になります。スポーツ公
 園としてみた場合も、遠く離れ細分化された四つの公園でサッカーや野球など
 ができるわけがないことも言うまでもありません。
  以上、「代替」にはならない、なりえないとの結論をもって報告とさせて頂
 きます。

 写真は、伏見区内の2カ所の公園「予定地」です。横大路と桃山(塀の向こう側は宇治市です)です。

y[Wgbv


2025年02月02日(日)

京都市と市教委に要望書を提出

No.693

 昨年12月17日、京都市と市教委宛てに、市の計画している中学校給食の調理の方法・形式につき、大型給食センター方式ではなく各校での「自校等方式」を求める署名1000余人分とともに、この件につき当面する諸課題についての要望書も併せて提出しました。要望書では、文書での回答とともに、意見交換の機会を設定することも併せて求めました。
 今年、1月末現在、担当窓口の市教委では、まだこの意見交換会の機会と場の設定について、日程等の返事はありません。市民団体の声を、その声に応えるかどうかは別にしても、先ず話を聞くのは当然のことだと思います。引き続き督促したいと考えています。要望書は別添の通りです。


署名提出にあたっての要望・質問書

                    2024 年 12 月 17 日

京都市長   松井 孝治 殿
京都市教育長 稲田 新吾 殿

           南区塔南高校跡地(東吉祥院公園)の今後と
                給食センター問題を考える会
                   共同代表 平信行・長農継子                                               
                      連絡先 新日本婦人の会南支部
(電)672−3248

本日、提出する署名の二項目の要望の実現を望みます。署名を受け取って頂くにあたり、この二項目に関連する、以下の諸項目の要望・質問事項について、後日、文書にて予めご回答頂いたうえで、または直接その場でご回答頂いて、私たちの声を聴いて頂く意見交換の場の設定を求めます。日程調節につき、よろしくお願い申し上げます。

                  記

1、公園廃止について、昨年11月末の文化市民局の決定書では「廃止理由」とし    
 て「代替公園を設置するため」とされていますが、これは廃止の要件であっ  
 て、廃止の直接の理由にはなっていません。一方、今春の市都市計画審議会で  
 も、理由の中には給食センターが挙げられていましたが、「それは別」だと、 
 同審議会の中でも、再三、言われていた通りであります。では廃止の本当の理
 由は何ですか。またそれはいつ、どの場で、どのように決められ、廃止の直接 
 の根拠とされましたか。
2、都市公園法には、廃止の手続きについての条項はないように見受けられます 
 が、要件は上の1、の通りだとしても、手続きについては如何ですか。手続き  
 的に、何のどこを根拠として廃止を決められたのでしょうか。その過程を明ら
 かにして下さい。
3、代替公園として挙げられている公園は伏見区にあり、南区民が、近隣公園と
 して利用できる場所では、とうていありません。代替にはなりえないと思いま 
 すが、如何ですか。
4、地震多発の時代であり、広域避難場所は増やしこそすれ、減らすなどとは、
 時代の流れに、真っ向から逆行しています。この面からも、公園の廃止は撤回
 すべきだと考えますが、如何ですか。
5、球技のできる公園としても貴重な場所であり、この立場からも廃止は撤回す
 べきですが、如何ですか。
6、仮に、中学校現場での物理的な制約から、数校分のサテライト的小型厨房を  
 建てるとした場合でも、わざわざ既存且つ貴重な公園を廃止せずとも、市で
 は、ことあるごとに貴重な市有地を売却し続けておられますから、土地の確保
 はいくらでも可能ではないですか。
7、食材の搬入や調理の過程が見え、匂いも漂ってくるワクワク感の元で、直前
 に味付けされた給食を自分たちで配膳する、そういう給食のあり方の方が、よ
 り、食育基本法や学校給食法の趣旨に適っていると考えます。調理職員に、直
 接「ありがとう」と言えることの教育的意義について、如何お考えですか。
8、単なる食事ではなく、給食が教育の一環であり、また給食室が学校の施設の
 一構成要素ということから言えば、給食室は当然、市立とし、市教委が運営
 し、調理員等の職員も市または市教委の職員であって然るべきだと考えます
 が、如何でしょうか。
9、本年2月29日の「京都新聞」に「(小学校の)調理の職員に声を掛けられて
 元気になった」との記事が書かれています。厨房職員の、このような教育的意
 義について、どのようにお考えでしょうか。
10、「給食室設置可能」中学校の数が発表によって変わっています。条件を厳し
 くされたからだと思われますが、では逆に、例えば既存建物を2階に上げその
 下に新設するとか、周辺土地を探すなど、建設用地確保に向け努力の余地はあ
 るのではないでしょうか。
11、各現場での調理場の建設・活用は、地域の中小建設業者への受注機会の拡
 大、また食材の調達においても、地元農商業等中小業者からの購入拡大等々、
 京都の地域経済の発展にも資すると考えます。こういう意義の、センター方式
 との比較再検討を願います。
12、大型センターの食数について、当初、26,000食と言われておりましたが、そ
 の後、現時点での計画は如何ですか。給食と、食後の食器との、配送・運搬に
 ついて、車両の編成や台数にもよると思いますが、その費用をどのように見積
 もっておられますか。自校や近隣校での調理方式に比べ、時が経つほど運送費
 が累積していくのではないですか。
13、大きな地震等の災害の折、食事の確保や提供ということを考えた場合、一カ
 所での集約場所が被害を受け、機能停止に陥るよりも、できるだけリスク分散
 との考えにより各学校現場での小規模化の方が、被害が少なくて済み、食事の
 提供等に大いに有効だと思いますが、こういう点については如何お考えでしょ
 うか。
14、一カ所での大型工場ということになれば、その規模や周辺環境への影響は如
 何でしょうか。給食や食器の配送車の往来の頻度は如何ですか。近隣住民の住
 環境や、近隣教育・保育等施設への通学通園等の児童の交通安全について、そ
 れぞれ、影響は如何でしょうか。
15、「民間調理場の活用を検討」として、民間に「市場調査」させるとのことで
 すが、民間に調査をお願いすれば、「いかに利潤を増やすか」との観点からの
 調査結果になるのは当たり前の話であって、そうでないなら逆にこれは株主へ
 の背任にもなってしまいます。子どもたちへの教育的意義を第一義に考えるな
 ら、「公務調査」「教育的調査」をすべきです。京都市にそのノウハウや力は
 ないのですか。
16、なお、そのサウンディング調査について、何社から、それぞれ、どんな提案
 や調査結果が寄せられているのでしょうか。実施されたからには、市民的に明
 らかにすべきです。
17、センターのPFI方式については、‥效呂僚衢、センターの建設、センタ
 ーの完成後の所有、その運営、デ杼業務、につき、それぞれ誰が担うのでし
 ょうか。主観的には「子どもたちの為」と思われる、そのお気持ちは貴重とは
 いえ、やはり民間企業なら、利潤追求が避けられません。原則自校方式、且つ
 公務として発注・運営されるべきだと考えます。PFI方式について、その
 「有効性」や採用の根拠についてご説明願います。

                                  以上

y[Wgbv


2024年06月03日(月)

北陸新幹線京都延伸計画に関する請願書を提出

No.692

 北陸新幹線敦賀大阪延伸計画について、国交省や与党が「小浜・京都・京田辺」ルートと言っており、また国の「鉄道建設機構」も、「京都駅は今の京都駅に」と言っています。ならば、南区内通過は必至であり、深さにもよりますが、区民の生活環境への影響も不可避です。浅ければ立ち退きや補償の問題が出てきますし、40m以深の「大深度地下」なら、地上に遠慮なく掘り進めることが可能とされています。勿論、所有権は地下深くにも及びますから、この大深度法自体が憲法違反の代物だと思いますが、いずれにせよ、深いから影響は少ないとは全く言えず、東京の外環状道路工事では、地上の家が傾いたり道が陥没したり、また低濃度酸素のアワが浮き上がってきたり、等々、甚大な影響が、地上の住民生活にも及んでいます。まして、乗客にすれば、何かあった時には、深いほど危険な訳ですから、「大深度なら補償も土地収用も要らない」などとの考えは、とにかく工事したがるゼネコンの理屈に過ぎません。河を見たらダムを造りたい、橋を架けたい、山を見たらトンネルを掘りたい、空き地を見たらビルを建てたい、空を見たら高いビルで空間を占領したい、そして今度は地面を見たら地下深く掘り進めたいと、これはもう一種の病気とも言うべきです。
 それはともかく、それで「機構」が市内のあちらこちらに穴を掘ってボーリング調査をしているのに、その狙いや目的、結果データの使途など全く秘密のままであることや、京都駅の概略設計などに取りかかっているとの意味のことを言ったりしていますので、これらについて、去る5月28日、京都駅のすぐご近所にお住まいの男性が、京都市議会宛てに請願書を出され、実は私も、その応援に、一緒に議会へ行ってきた、というニュースです。結論がすっかり最後になってしまいましたが。
 「機構」が今やっていることや今後の計画など、市民に重大な影響を及ぼすことから、市としても、機構に照会し、市民への影響を避ける立場からもの申すべきだ、少なくとも照会して得た情報を市民に明らかにすべきだ、等との内容です。議会としても、何ら消極的になる要素はないはずの請願ですから、その後の市長の姿勢が弱いままとしても、議会としては、是非、「採択」願いたいと思っています。基本は「情報公開」を求めているだけのものですから。

 以下、請願書の写しです。

<請願の趣旨>

 北陸新幹線京都延伸計画について、国土交通省及び独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(以下「機構」と略)に対し、市長として、^焚爾遼楡全螻胴猝椶砲弔い鴇伐颪掘↓△修侶覯未鮖毀韻望匆陲垢襪海函△魑瓩瓩泙后
1、「機構」の、昨年12月21日付けの「事業推進調査の進捗状況」(以下「進捗状況」)によると、その2「地質関係調査」として「25本のボーリングのうち実施中18本、うち12本完了、調整中7本」等と書かれています。昨夏のボーリング調査開始時点では、「年度内完了予定」(昨7/19付「…調査・探査の実施について」(府建設交通部)とされていましたから、現時点ではもっと進捗しているハズです。特に、府の文書で示された7カ所について、その個所選定の理由、進捗、結果の分析や評価・今後の活用方向、について明らかにして下さい。更に今春、南区の村山公園など11カ所で、また新たにボーリング調査が実施されつつあります。同公園選定の根拠と調査の狙い等について明らかにして下さい。市有地掘削の許可にあたり、市としても、当然質すべき内容のハズです。
2、同じく、「進捗状況」によると、その3「受入地事前協議」として、「発生土…につ いて自治体と事前協議実施中」とのことですが、「土の受入候補地」とはどこのことで、 「土量」とはどれくらいの量のことですか。京都市域からの発生土を「受入候補地の自 治体」へ運搬するルートは如何ですか。それぞれ明らかにして下さい。
3、同「進捗状況」では、4「地下水関係調査」として「京都市内…地下水・河川水17箇所を採取済み、成分分析実施中」とのことですが、これらの採取箇所と各分析結果について、明らかにして下さい。更に、採取箇所選定の根拠はどうか。これらの水を生業の糧とされておられる業種や地域を想定しての選定であったのか、また分析の結果、工事後の、水の流れや量の変化等、その影響の有無や程度について、どのように予測されておられるのか、それぞれ明らかにして下さい。
4.同じく、5「鉄道施設概略設計」として、「京都駅…については、既往の調査結果等を活用し概略設計のための諸条件を整理済、本体構造物及び土留の設計計算実施中、近接構造物への影響解析中、主要構造物の断面図等を作成」等とのことですが、では、京都駅の「概略設計」は、どこででも応用可能な、抽象的な空間または地上若しくは地下での設計なのですか、それとも、具体的な場所を想定したうえでの設計なのですか。前後左右上下の具体的な隣接環境を度外視して駅構造だけを独自に設計しうるとは思えません。まして「近接構造物への影響」というなら、具体的な個所の想定が前提になっていると推測されます。「駅の概略設計」の内容と進捗について明らかにして下さい。
5、同じく6「道路・河川等管理者との事前協議」として「想定する交差物件161件の協議実施中、うち105件で設計条件等確認済」とのことですが、これらのうち、京都市域部は含まれていますか。具体的な各箇所について明らかにして下さい。

<請願の理由>

 以上の請願項目で引用している通り、「機構」の「事業推進調査の進捗状況」によると、北陸新幹線京都延伸計画が、かなり具体的に検討されていると思われます。市民生活への影響は極めて甚大であると想定されるのに、それに見合う情報公開がなく、全くの秘密裡のうちに準備だけが一方的に進められています。地下水への影響や掘削残土の処理、立坑の位置、断層横断の長大トンネルの危険性、財政上の懸念、在来線の存続等々の諸問題山積が指摘されていますが、何一つ明らかにされないまま今日に至っています。幅広い角度からの議論が必要ですし、そのためにはまず情報の公開が必須です。市民生活への影響が大きいと想定される場合、市長としては「聞いていない」で済まされる話ではありません。少なくとも、市長として聞いてはいるが市民に公表できないのか、それとも、そもそも聞いてすらおられないのか、現時点ではどちらですか。まず第一段階として照会をかけて頂くよう求める請願とさせて頂いています。
 その上で、その内容を市民にも明らかにするのは、市長として、市民に対する最低限の責任です。市民の暮らしや営業に重大な影響が及ぶと予測される大きな事業に対し、その影響の軽減、最小化を願うお気持ちは、市長もその通りでしょう。その為にこそ市長の権限と責任と役割を果たして頂きたいと考えます。この間、直接「機構」にお聞きしても「答えられない」との回答が続いています。是非、市長から照会をかけて頂きたいと思います。
 「京都駅は京都駅に」との「機構」の方針は、事実上、路線の南区通過を意味します。区民にとっては、立ち退きを迫られるか、若しくは、「大深度地下法」の適用で、土地収用も用地買収も補償もない代わりに、自宅の地下深く、勝手に穴を掘られ、日夜、新幹線が往来することになるか、どちらかが強いられることになります。京都駅を目の前にして毎日生活している者にとっては、重大な関心を払わないわけにはいきません。東京の外環状線道路工事の現場では、大深度地下工事でも家屋の傾斜や土地の陥没等の事例が発生しており、「深ければ安全」どころか、地震や事故の場合も含め、乗客にとっても市民にとっても、「深いほど危険」と言うべきでしょう。
 公共事業と言うならば、その影響を受けると想定される市民に対し(財政で言えば全市民にあたります)、まず、その計画の内容や準備状況等について、明らかにすべきです。市長も、「環境や財源など…市民に本当に利益になるようなルートを慎重に判断するのが市長の役割と」言われています(昨12/21付「京都新聞」)。議会からも、是非、市長に求めて頂きますよう、請願に及んだ次第です。よろしくお願いします。

y[Wgbv


2024年06月03日(月)

大型給食センターの為の「公園廃止」決定は取消すべき

No.691

 5月28日、公園と給食センターを考える南区の会として、市の「公園廃止」決定の取消しを求める訴訟を提起、地裁に訴えました。
 折角、実現の運びとなった中学校給食について、市は、対象63校2万6千食分を一括して調理、運搬する「センター」方式を打ち出し、その建設用地に充てる為、南区の東吉祥院公園を廃止すると「決定」してしまいました。元々、この公園は、長い間、塔南高校グランドとして「目的外使用」され、今般、高校の移転に伴って、ようやく公園に戻されるハズでした。球技のできる公園として、また災害時の広域避難場所として、そして勿論、憩いの場として、本来の公園の復活が期待される矢先の事でした。しかし公園の廃止には、法上、代替え公園が必要ですが、今回の「廃止」にあたり、市は、その代替えとして伏見区の公園などを指定し、これでは遠方過ぎて代替えにはなり得ません。廃止の要件を欠いているとして、その決定の取り消しを求める裁判提起に至ったものです。公園としての本来の機能の復活は勿論、センター方式撤回も、勿論、視野に入った上での提訴です。
 この日、弁護士の先生たちと、原告31人のうちの代表とが、提訴後、記者会見もしました(写真)。不肖、私もその一員です。もう一枚の写真は、6月2日、「大型センター方式ではなく、生徒たちの身近な場所での調理を」求める市内実行委員会のパレードの様子です。三条大橋西詰めから祇園まで歩き、沿道の皆さんに訴えました。

 以下の文章は、裁判に向けて、南区の「考える会」の仲間の皆さん宛に書いた、とりあえずの、私のメモです。

裁判メモ
                             ’24/5/                       井上けんじ

はじめに

裁判では、専門家である弁護士の先生方のご指導を受けながら進めていくことになります。裁判所や裁判官とのやりとり等もやって頂きます。裁判で一番大切な、「何を訴え、それをどのように証明するか」との弁論の中心になって頂きます。そこで、素人が口を挟むことではないのですが、しかし一方では、裁判をもっと庶民の為に、庶民の身近な感覚で、という方向が求められ、その方向を追求していくことも、あっていいとも思います。勿論、こう言うからといって、弁護士が庶民的でないと言っている訳では決してありません。まして、特に今回、私たちが委任している弁護士の皆さん方は、それこそ最も庶民的な先生たちばかりです。その上で、しかし敢えて、素人の、「裁判では通用しない」ような考えや意見であっても、広く、裁判外の運動と世論の形成・拡大という役割にたとえ僅かでも貢献しうる可能性があれば、少なくとも足を引っ張りさえしなければ、みんなでもっと旺盛に議論し合ったらいいのでは、と思っています。そんなわけで、私もその一翼を担えるかどうか、これまでにも、簡単な文章や意見書なども書いてきましたが、裁判の開始にあたり、一参加者として、今思っていることを書いてみました。

市の、東吉祥院公園「廃止」決定(処分)は違法であり、取り消されるべきである

1、「違法」と「不当」

審査請求や監査請求(何かを行政に求める方法ですが、裁判よりは簡単な手続きで済むやり方のひとつ。「お上」の言いなりでは済ましたくないという住民の権利行使のひとつです)、行政の「不当または違法」な処分(これも行政用語で馴染みにくく、一般の感覚とはちょっと異なる意味合いですが、とりあえず、行政がこうと決めてその結果が住民に及ぶものといった様な意味でいいと思います)が対象ですが、裁判の場合は「違法」な処分に限られます。しかし、前述1で言ったような趣旨で、以下、私の意見には「違法」とは言えないようなことも含まれているかも知れませんが、「不当」とは思っていますので、この点もご寛容ご容赦を願いたいと思います。

2、市の廃止決定は、廃止の要件を欠いている、満たしていない

昨年11/22の市の「廃止説明会」では、都市公園法第16条が紹介され、「これに則っているから、東吉祥院公園の廃止は合法である」とのことでした。配布された資料には、要旨、次のように書かれています。「16条は『代わりの公園が設置される場合』には廃止できると書かれている。今回、4カ所の代替公園の整備を計画するから、これに適合している」。そこで4カ所の他の公園が挙げられているが、しかしここで紹介されている代替公園には、整備予定中であったり整備中であったりで、「設置される場合」には未だ至っていない。市において廃止が決定された同月/24の時点では、まず時間的に、未だこの要件は満たしていないと言うべきである。しかしもっと大きな問題は、そんな時間のことではない。実質的な公園の機能という面からはどうか。これらの代替とされている公園4カ所のうち3カ所は数km離れた遠方にあり、地域住民にとって、「身近な公園」とはとうてい言えない場所にある。2カ所は何と伏見区の公園である。しかも、憩いの場としての公園機能だけでなく、本公園は「収容人員5,000人」とされる広域避難場所として指定されている。これは災害対策基本法に基づく指定であり、今も、市の広域避難場所一覧に掲載されている。災害時、一体誰がわざわざ遠方の公園まで避難に行けるだろうか。広域避難場所としての機能など代替しようがない。「代わるべき公園が設置される場合」に適合しないことは明らかであり、16条の要件を満たしていない。要件を満たさない「廃止」は違法である。

3、都市計画審議会での「廃止」決定はどうか

しかし一方、市の廃止決定だけでなく、その後の都市計画審議会でも廃止が議決されている、との反論があるかも知れない。そこで私からも反論する。同審議会へは、市長から、「すでに廃止されているから」との立場からの提案であり、そのうえでの議決であった。そこで以上で述べてきた通り、「すでに廃止」自体が違法であることから、提案の前提が崩れており、議決の依って立つ基盤が成り立っていない。差し戻されるべきである。都市計画審議会の議決自体は手続きを踏んでいる、と言ってみたところで、前提が不成立ならば、それは成り立たない。この議決をもって、廃止決定は正当であり合法であるとも言えないのである。同審議会での議論は、本訴訟の判決確定後に、改めて議論し直されるべきである。

4、間違った文書は無効である

ちなみに、昨11/22の廃止説明会配布資料では「16条2項に適合」と書かれているが、同条には2項とやらは存在せず、適合のしようがない。そもそも16条にはひとつの項しかなく(この場合、敢えて第1項などとは言わない)、その中に、「廃止できる場合」として、「公益上特別の必要がある場合」や、前述の、今回適用された「代替公園設置」など三つの場合を「各号」として挙げているだけである。配布資料は説明になっておらず無効である。適合している・していない、要件を満たしている・いない、以前の問題であり、間違った文書により説明された説明会は、その説明会自体が無効であると言うべきである。

5、そもそも16条の趣旨は何か

以上、都市公園法16条について必要な限り、紹介してきたが、条文全体の趣旨は、「適合すれば廃止は可能」というよりもむしろ、「こういう場合にしか廃止できない」との意味だと思える。即ち、条文の見出しが「都市公園の保存」であり、条文も「次に掲げる場合のほか、みだりに…廃止してはならない」と書かれているからである。前述の三つの各号は、限定列挙であり、廃止は例外中の例外として位置付けられていると読むべきだと思う。そこが井上の素人のあさましさだ。例外であれ限定であれ、不可ではないという限り、その程度とは無関係に可能なのである、との指摘が聞こえてきそうである。全くその通りだ。だからこそ私も、文理解釈上、厳密であるべきだとの立場から前述4、の間違いを指摘してきた。しかし、その法律や条文の趣旨から言えば、やはり16条は「保存」であって、解釈上、重視され考慮されるべきだと思う。つまり、それだけ厳密性の程度を引き上げて解釈すべきと思う。具体的には、「代わるべき公園の設置」を、より厳しく条件付けなければならないということだと思う。だからこそ、設置の時期や、まして距離・機能などが「代わるべき」資格を持っているかどうか、地域住民の実生活の感覚に依拠しながらの判断が求められると思う。

6、都市公園法には、廃止の手続きに’ついての規定はない

以前から私は、「16条は要件であって、廃止の手続きを書いたものではない」と指摘してきた。同法全体に「廃止の時にはどういう方法でどうする」ということが書かれていないということ自体が、そもそもの廃止ということを想定していない、よほどの例外的なことだと位置付けられている証拠だと思う。これは上の5、の続きである。そこで市の担当者に聞くと、「同法の第2条の2、『公園の設置』の場合の「公告」との方法を準用した」とのことであった。政令では「名称、位置、共用開始期日」を、とされている。しかしこれにも疑問が残る。設置の場合と廃止の場合とでは全然違うからである。議会の関与や、地域住民を主人公としてその意見を尊重する等、まして廃止の場合に、単なる市長の一方的な公告だけで済ませていいものかどうか、上の 5,で述べた趣旨から言えば、もっと厳密な手続きが要るのではないかと思える。

7、 手続き的瑕疵は処分の取消事由になる

違法に収集された証拠は事実認定資料から排除される、つまり証拠にならないという考え
方があります。手続き的に間違いがある場合、その実質も否定されると言えると思います。公園廃止のやり方が間違っていれば、廃止そのものも無効だと言えるのではないか。 
16条の要件を満たしていない、という実質的な違法根拠とともに、廃止に至る手続きにお
いても、その瑕疵がある場合、やはり違法だと言い得ると思います。
同公園は1960年に開設されたが、その直後の ’63年以来、ごく最近まで塔南高校グラ
ンドとして使用されてきた。’77年に教育長から市長宛に占用許可申請書が提出され、市長が、5項目の条件を付して5年間の許可証を発行、その資料は残っているが、その前後の経緯については、資料としては残っていない。その後も、事実上の占用が続いてきた。この「占用許可」について、現在、市は「都市公園法第6条」に準じた占用だったと推測すると言っているが、同法6条の「占用」は「工作物」等を設けての、その工作物の部分での占用の場合としてしか読み取れない。恐らく売店等の設置を想定してのものと思われ、公園全体をそっくり、という今回のような場合は「借用」と言うべきであって、この推測よりはむしろ、地方自治法で言う「公の施設」の「目的外使用許可」の方が解釈としては素直だと私は思う。いずれにせよ百歩譲ってその後の(5年後以降の)手続きは仮に省略してきたものだとしても、5つもの条件を付けた許可証が発行されているくらいだから、最終的にその許可期限の終了時には、当然、何らかの手続きがあって然るべきである。その占有がいつ解除されたのか、私流に言えば市教委がいつ市長に返却したのか、目的外使用許可がいつ取り消されたのか、そのことが曖昧にされたまま、昨秋来「公園廃止」が独り歩きしてきた。南区の「公園と給食センターを考える会」の今年3月8日付の申入書や3月末の都市計画審議会への私の意見書などで、この経過を問い質してきたが、ようやくこの5月になって、議員からの質問に対し、初めて、「昨秋11/30に占用の終了、手続きの文書はない」との回答が得られた。このことを問題にするのは、ここに至るまでの経過があるからである。昨11/13付の「近隣住民への公園廃止説明会」のチラシも、同/22の説明会資料も、ともに教育委員会の発信となっている。「借りていた同委員会が何故廃止できるのか、市に返還し、その返還を受けた市が今後の公園のあり方を説明するのがスジではないか」との疑問が、この説明会でも出されていたのは当然である。実際、この説明会は、何と教育委員会だけの出席で進められたのである。この時は「市長部局とも打合せの上、市全体を代表しての説明である」との市教委の答弁であった。教育というまことに重要な役割を負っているとはいえ、一般行政からは独立している委員会に「市を代表する」などということが有り得るのだろうかとの疑問が残ったまま推移してきたのは当然である。
占用の終了が11/30といえば、これは公園廃止と同日である。しかし文化市民局での廃止決裁が11/24であるから、この時点では未だ市教委の「占用」状態のままであった。即ち、市長からすれば占用許可状態のまま返却もしてもらわずに廃止したことになるし、市教委からすれば占用を許されている状態のまま市長に廃止されてしまったことになるが、前述の通り、その市教委が市民に廃止の説明をしているのである。これは例えば、前者なら、店子が居るのに家を処分してしまったか、後者なら店子が借りている状態のまま処分してしまったというようなことに他ならない。こんな摩訶不思議を取り繕う為に、公園廃止告示の11/30の、その同じ日に占有も終了したと言っているのであろう。公表しなかっただけで実際そうであったのか、それとも議会からの質問に今になって答えているだけなのかの真偽は分からない。前者と解釈したとしても、実際、資料も手続きも何も残されていないし、そもそも作られてもいない。条件付きの「許可」案件でありながら、その取消や解除について何の手続きもないなどということが、「法律に基づく行政」にあって果たして許されるのであろうか。百歩譲って理解しうるとすれば、それは「11/30を期限とする」との許可証の期限が切れた時の自動的失効という場合であろうが、今回、そんな許可証が存在しないことは前述の通りである。占有とか、私の解釈による「借用」「目的外使用」の解除とか許可の取消等との状態の確認や手続きが、全く曖昧なまま推移してきたことが、これらの経過に示されている。公共用財産の管理や運用が、かくも杜撰で恣意的な扱いとなっていることは、公園廃止の手続きが、全く適正を欠いていることを示している。適正手続きの欠落という根拠をもって、今回の公園廃止は違法であると言うべきである。

 

y[Wgbv