2026年08月11日(火)
No.713
既報の公園廃止取消を求める運動との関連で、京都市宛て、二つの文書を申し入れました。いずれも、私も参加する「南区塔南高校跡地(東吉祥院公園)の今後と大型給食センター問題を考える会」の取組みです。写真は、7/23、市教委への申し入れ時、お二人の共同代表です(撮影は井上です)
1、事業主体(大型給食センター建設)の市教委と、一定規模以上の建築物建設の場合に近隣周辺住民への工事説明を義務付ける「市中高層条例」所管の都市計画局宛て、です。
※ ※
京都市学校給食センター整備運営事業建築計画及びその工事について、説明会を開催すべきことを求める申し入れ
2026 年 7 月 23 日
京都市長 松井孝治 殿
京都市教育委員会教育長 稲田 新吾 殿
南区塔南高校跡地(東吉祥院公園)の今後と給食センター問題を考える会
共同代表 平 信行 ・ 長濃 継子
南区西九条南田町60−2−3 新日本婦人の会南支部 内
(電話)075−672−3248
教育の一貫としての学校給食のあり方について、十分に議論が尽くされたとは思えないまま、大型給食センター建設工事が始められようとしています。また、給食のセンター方式の是非とともに、大型工場の建設自体及び完成後の運営とりわけ配送車の往来等に伴う、周辺住環境への影響についても、ほとんど説明がないまま今日に至っています。市の「中高層条例」にもとづく近隣関係住民への説明はすでに済んだものとされていますが、これは全く不十分です。同条例は、第一に、いわば手続き条例であって、建築物そのものの是非については、議論の対象外となっています。第二に、その手続きについても、質問等を提出する対象住民を極めて限定しており、しかも説明会ならぬ説明だけでことをすませようとしている、説明会開催についても努力義務に留まっている等々、様々な問題点を持っています。また今回も、その限られた近隣住民に対してさえ、「ご連絡頂きますよう」とは言いながら資料のポストインだけで留まっています。条例の手続きは、あくまでも最低限の条件であって、これまでの多くの事例から言えば、実際には対象住民の範囲を拡げたり、丁寧な説明会を開いたり、詳細な図面を提供したり、等々の努力が、各事業者において図られてきました。加えて、より一般的に言えば、狭義の「中高層条例」に限定されることなく、広く公共事業が取り組まれるにあたっては、その意義や功罪、周辺環境への影響とその対策等々について、市民全体に対してとまでは言わないにしても、その影響を受ける範囲の住民には、詳しく説明し報告し、出された疑問には誠実に応える、場合によっては計画を変更する修正する等々といった対応が求められると思われます。実際、2023年の11月には、法令・条例上の義務はなくとも、本給食センター建設の為に公園を廃止するとの説明会が開かれました。廃止や代替公園に係る市長部局からの出席が全くなかったことや、公園廃止の要件を満たしていないと思われる点をはじめ、参加者の質問に逐一納得のいく回答があったかどうか等々の問題点については、仮に横に置くとしても、それはそれで説明会自体が開催された経過については、既に教育委員会ご自身がご承知の通りです。これを、その後の経過も含め、今日の段階で開催すべきだというのが、本申し入れの趣旨であります。
工事中の周辺環境への影響も含め、とりわけ今回の給食工場は、一般的な製品の出荷に留まらず、いわば配送自体を業務の中心とする役割を持った施設ですから、特に配送車の往来が周辺環境に与える影響はいかほどになるでしょうか。周辺では、大型トラックが一日800台と言われる物流センターが工事中で、且つ国土交通省による北陸新幹線京都南北案が採用されれば、本給食センター横の久世橋通りを通過することにもなるなど、周辺環境の大きな変化が危惧されるところです。すぐ近くには保育園や小学校、教育文化施設等もあることは、すでにご存じの通りであります。このような角度から考えると、少なくとも、工事車両や配送車の通過に伴う影響を受ける地域については、説明又は説明会開催の対象とすべきは当然でしょう。狭い意味での日照や通風などだけに影響が限定されると考えるのは全く狭い了見だと言わなければなりません。
教育委員会では、個別の説明の方が丁寧だなどとお考えのようですが、これは住民を個別に分断し、地域住民が力を合わせて自分たちの生活環境を守ろう・改善しようという地域の力をスポイルしようとするものであって、むしろ住民同士の集団的な自治力涵養の方向こそが、より社会教育的な対応であると考えます。市や市教委の皆さんたちと一緒に、住民同士が互いの意見を持ち寄り、ともに問題意識を交換する機会をこそ設けるべきです。
また、京都市都市計画局におかれましても、上記条例の趣旨を生かして説明会が開催されますように、教育委員会や事業者のみなさんとも連携を図っていただきますように、併せて申し入れます。
少なくとも、前回2023年11月の説明会と同範囲を最低限の対象とした説明会を、工事着工前に開催すべきことを求め、申し入れるものです。
→ これについては、後日、市教委から電話があり「周辺各戸に個別で説明に回っているから、説明会は開かない」とのことでした。私は「私たちとしては、引き続き、説明会開催を求め続けることには変わりはない」と返事しました。
※ ※
2、7月31日付けで、市が同公園の「広域避難場所」指定を取り消したことに対し、市行財政局防災危機管理室に抗議の申し入れをしました。
※ ※
申 し 入 れ
2026 年 8 月 12 日
京都市長 松井孝治 殿
南区塔南高校跡地(東吉祥院公園)の今後と給食センター問題を考える会
共同代表 平 信行 ・ 長濃 継子
南区西九条南田町60−2−3 新日本婦人の会南支部内
(電話)075−672−3248
南区吉祥院観音堂町の塔南高校跡地の広域避難場所指定が、7月31日付けで取り消されたとのことです。地域住民に何の報告も説明もなく、一方的に取り消されたことに抗議します。
第一に、広域避難場所は「地震に伴う大火災等による二次災害の危険から、生命の安全を確保できる場所をいい、地震に伴う大規模火災時の指定緊急避難場所として、災害対策基本法に基づき指定しています」と説明され(市のホームページ)、また同法では、指定緊急避難場所については「市長村長は…指定を取り消したときは、その旨を…公示しなければならない」とされています。災害多発の時代にあり、また二次災害対策が課題として強調されているとき、地域住民にとっての身近な避難場所の存在は、文字通り命に直結し、むしろその施設設備の充実こそが求められています。そういう意義から言えば、取消しは、よほどの事情と根拠のある場合に限定されるべきであると考えます。
本件広域避難場所にも指定されてきた東吉祥院公園を、市が廃止処分としたことは違法である、として争われている裁判の京都地裁第一審判決でも、その結論には納得できませんし、また直接的には、都市公園法上の公園廃止要件を満たしていないことが最大の争点になっているところから十分に論じられていないとはいえ、周辺住民の原告適格について、次のようにも述べています。即ち、「災害時にこの公園を避難場所として利用する…者は、公園利用により…生命又は身体への被害を免れるという利益を持っている」。生命への被害を免れる利益を持っていると言うのです。その利益が、今回の指定取消しによって、損なわれる、奪われるという事態についての認識は如何でしょうか。
第二に、その点についてこの間の経過を振り返れば、その「よほどの事情と根拠」については如何でしょう。取消しが地域住民に与える影響は生半可なものではありません。その存在の重要性を奪うことになる不利益や、取消を回避する手だてや方法の検討、避けられない場合の代替措置との比較考量等々が、一体どれだけ実施され深められたのか、その経過が全く不明です。少なくとも私たちは、2023年11月、京都市なのか市教育委員会なのか、その主催者が判然としない「説明会」なる場で「公園の廃止と給食センター設置」との話をお聞きして以来、中学校給食については、センター方式ではなく自校方式の方が、より教育的で、また万一災害の場合の食事提供機能を考えた場合にもリスク分散できる、何よりも公園廃止を回避できると提案してきました。そしてこのことは同時に、広域避難場所指定取消しを回避できることでもあることは言うまでもありません。公園が廃止されセンターができれば避難場所指定取消しは必然であり、そのことは分かっていたハズなのに、防災危機管理の立場からは、どのようにお考えだったのでしょうか。少なくとも、検討の経過についてお聞きしたいと思います。
第三に、上述の通り市のホームページでは「広域避難場所は法上の指定緊急避難場所」とされ、その法律では「指定緊急避難場所を取り消したとき」の「公示」について書かれています。しかしこれは、最低限の仕組みであり方法であって、その避難場所の意義や必要性を鑑みれば、単なる公示に留まらず、一定範囲の地域対象住民にも、懇切丁寧に、その経過や代替措置を説明し、ご意見にも応える機会の設定が不可欠であるはずだと考えます。市民の命と安全を考える立場であれば、少なくともそういう方法での、即ち説明会の開催等が必要であると考えます。今般、市「中高層条例」の対象となる大型給食センターが建設されようとするにも拘わらず、市教育委員会は、同条例の趣旨を矮小化し、縮小解釈をして、説明会開催ならぬ、限られた範囲だけの個別各戸説明だけで済まそうとしています。今回の避難場所指定取消しは、地域住民の命に係わることから、少なくとも代替避難場所の提供が必要です。しかも今後の地域環境から言えば、取消しだけに留まらず、大型給食センターが予定されていることによって、今後の給食配送運搬車等の増加も危惧され、防災機能を含む、地域の住環境全体への影響も心配されるところです。私たちは、既に教育委員会宛て、説明会開催を求めていますが、行財政局におかれましても、教育委員会とも連携の上、条例の趣旨に基づく建築物や工事に係る説明とともに、避難場所指定取消しの経過説明も兼ねた説明会を開催されますよう、強く求めるものです。
以上、一方的な避難場所指定取消しにつき抗議するとともに、取消しの取消しを求めます。また、市教委とも連携のうえ、少なくとも地域住民への説明会を開催され、その経過など、ご報告頂きますよう、重ねて申し入れるものです。
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2026年08月11日(火)
No.712
「代替公園設置の場合以外、公園を廃止してはならない」と都市公園法で謳われています。然るに、遠方であったり狭かったりで、到底「代替」にならない公園しか提示できないのに、京都市が東吉祥院公園を廃止強行。これが'23年11月。翌'24年5月、この廃止要件を満たしておらず違法だとして京都地裁に提訴。その一審判決が今年4月23日。地裁は全くの不当判決で大阪高裁へ控訴。その控訴審が7月29日に開かれ、原告から控訴理由などについて陳述。弁護士とともに、原告の澤明美さんが陳述され、井上もこの陳述書作成につき、応援しました。その澤さんの陳述を紹介します。写真は、高裁みんなで高裁へ入る時のものと、裁判後の報告集会の様子ですです。
7/29高裁での意見陳述
1、私は、原告番号4番、澤明美と申します。今回、京都市が廃止と言っている
公園から、南西方向に4〜500メートル程離れた所に住んでいます。長い間、市長が、高校グランドとして教育委員会に貸していた公園が、高校の移転によりやっと戻ってくると思っていた矢先、2年半前の11月ですが、廃止の説明会が開かれ、大変驚きました。
元々、昔の区画整理の折、地域の地主の皆さんが公園の為にと寄付された公
園でした。京都市では市民の長年の要望により中学校給食が実現することになりましたが、その方式は、各学校の厨房での調理ではなく、市内全域対象の超大型給食センターでの一括調理、配送方式ということでした。そのセンターを建てる為に公園を廃止するというのです。センター方式では、品質の劣化、2時間喫食が守られない恐れ、食物アレルギー対応などの問題があります。また市内各地、東西南北、各中学校まで大きなトラックで往復するのです。観光などの交通量も多く渋滞する場所もあります。公園の近くには小学校もあり、通学や住民生活への悪影響や事故への懸念もあります。各学校の厨房で創る給食の方が、安全で、出来たての温かい給食が食べられ、生徒たちにも楽しみな給食時間になるでしょう。そうなればトラックの心配もなくなり、広域避難場所も廃止にならずに済みます。今回の公園廃止は、公園自体の必要性の有無や程度の議論を経た訳でもなく、大型給食センターありきから出発しています。各学校での調理方式なら公園廃止は不要ですし、その方が、より教育的と言えると思います。
2、廃止した公園の代わりに、4カ所の公園を作るとはいっても、それは、たま
たま前から計画していた公園を代替と言っているだけの話しで、それも面積で言えば半分以上は未完成です。しかし完成したとしても、私たちには関係はありません。3カ所は遠すぎて行けないからです。行けない公園では代わりになりません。合計で同じ面積の代替公園を確保したという市の言い分は、ムリに辻褄を合わせようとするだけのこじつけと架空の話しであって、近くに住んでいる私たち住民個人にとっては、実際には代わりにはならないことは明らかです。そこで、廃止される公園の隣に予定されている最後の1カ所ですが、これも狭すぎます。役割を果たしてきた公園1万屬紡个掘¬鵤伽蕋寡喚崢度の公園が計画中だというだけのことです。大幅に狭くなって、同様の効果を維持できるハズがありません。代わりにならないことは明らかです。
3、京都地裁第一審判決では、「市の言う代替公園は、規模や位置関係から…対
等とは言い難い、同様とはいえない」と言いながら、しかしこれまで緑とオープンスペースとしての役割を果たしてこなかったから、狭くても隣にできれば「ほぼ対等なものとして…見合うものとなる」などと言っています。
しかし第一に、十分に役割を果たしてこなかったという面が仮にあるとすれ
ば、それは、判決自身が言うように「長年…高校のグランドとして利用され」てきたからです。その高校の利用がやっと終わり、元々の公園の復活だという話しをしているときに、そういう経過を棚に上げ、無視するというのは如何なものでしょう。
第二に、しかし実際には、高校への貸出し中にも市長は市民への開放を条件
付け、また実際、その高校の生徒以外の市民にも利活用されてきました。これは高校に貸していた時も、高校が移転したあとも使われていました。
また緑とオープンスペースとしての効用は変わりませんし、特に災害時の広
域避難場所としてはずっと一貫しています。避難場所としては、高校として使われてきた頃からずっと指定され続けてきました。もし何か災害が起こればいつでも避難できるという安心感はずっとありました。役割を立派に果たしてきたのです。だから、役割を果たしてこなかったから、それに比べれば狭くても代わりになるというのは、判断の前提が間違っています。
4、ところが、どういう訳か、京都地裁一審判決は、「公園は廃止処分後も広域
避難場所として指定されている」などと言っています。廃止は、大型給食工場を建てる為ですから、工場が建てば避難場所としては使えなくなるのは当たり前です。実際、京都市も、8月1日の給食工場建設工事開始の前に指定をはずすとのことです。工場の工事開始までの束の間のことを言われているのなら気休めにすぎませんし、また廃止は違法ではないと言いたい為にこんなことを言われているのなら、先程紹介した「役割を果たしてこなかった」との認識と、一審判決自体が矛盾しています。
5、最近の災害対策では、二次災害の予防が強調されています。災害自体は自然
現象だとしてもその被害を最小限に食い止めるのは人間社会の課題です。その為に事前の予防対策の充実が求められています。耐震性の強化や乱開発の防止など災害発生時の被害そのものを最小限に食い止めることとともに、その後の避難場所での環境改善の重要性が指摘されています。この場所の広さや環境が、その後の経過を左右すると言われています。避難場所の面積が狭くなれば、避難環境が悪くなるのは当然です。京都市の言う代替公園は、3カ所は遠すぎて論外ですし、隣の1カ所は狭すぎて、災害対策として逆行です。
6、第一審判決では、「災害時にこの公園を避難場所として利用する…者は、公
園利用により…生命又は身体への被害を免れるという利益を」持っていると言っています。その通りです。ところが判決は、その後、その公園が廃止されて無くなる又は狭くなることによってその「被害を免れるという利益」が損なわれることについては何も触れていません。避難場所が狭くなれば、この利益が奪われるのです。私たちは、一体どこへ避難すればいいのでしょうか。
各学校での調理方式にすれば公園は廃止しなくてもいいのです。公園の廃止
も、一審判決も、両方とも取り消されますよう願って、陳述を終わります。
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2026年05月12日(火)
No.711
連休明けの5月9日土曜日、憲法、特に9条守ろうとのパレードが、南区9条通りを練り歩きました。国会周辺や、全国各地で、「憲法守ろう、平和を守ろう、戦争やめよ」の集会やパレードなどアピール行動が広がっています。「防衛環境の悪化」などと、ポンプの用意が要ると言いながら、一方で「敵基地攻撃」、「緊急事態」などと、自分でマッチを擦っているのが高市自民党ではないか。軍拡一路ではなく、膝詰め直談判の平和外交にもっと力を注ぐべき。「抑止力」論は、際限がない軍拡競争で、目標も終わりもない。一触即発のリスクが高まるばかりだ。我が憲法が禁じている「武力による威嚇」そのものではないか。使う可能性があるからこその「抑止」ではないか。行使はない、と言い切るのならそもそも抑止力としての意味はない。論理矛盾と言うべき。既に日本の軍事力は「専守防衛」の域を遙かに超えていることは、そう言っている人たちほど実は十分に知っていることだ。多くのマスコミまでもが未だに「防衛費」などと言っていることは、ことの本質を誤導するもの。外国が攻めてきたらどうする、などと言う人がいるが、日本は既にアメリカに十分すぎるほど攻められている現状ではないか。経済や金融でもそうだし、農業でも然り。文化スポーツの分野でもそうだ。大学等での研究の成果を米軍も狙っている。女性への暴行事件など、これが侵略でなくて何なのか。治外法権然り制空権然り。自民党の卑屈ぶりは本当の右翼ならもっと叱るべきではないか。「押し付け」憲法と言う人もいるが、ではどこをどう押し付けられたのか。「廃止」との選択肢もあったはずなのに第一章が押し付けられたとでも言うのか。むしろ、今、憲法を変えろと、アメリカが押し付けているのが現状ではないか。「自衛隊と書き加えるだけで何も変わらない」という人もいるが、何も変わらないなら今のままでいいではないか。公務員は先ず憲法を守り活かし具体化することに徹するべきだ。基本的人権や民主主義など、平和分野とともに、もっともっと具体化実質化するべきことは山ほどある。
今後の軍拡増税が危惧される。そもそもミサイルの為の税金など払う義務はない。憲法上の納税の義務というのは、戦争には使わない、なぜならそもそも戦争はしないというのが憲法の宣言であり縛りだから。社会保障の話の時には、やれお金がない、やれ財政危機だなどとばかり自民党は言っているが、軍事費の話しの時にはツユほども財政の話は出てこない。湯水の如くとはこのことではないか。
何だかんだと言っても、戦争はゴメンだと言う世論は健全だ。多数を占めている。誰でも戦争はイヤではないか。この声に依拠すれば、必ず戦争は食い止められる。憲法改悪はストップできる。
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2026年04月25日(土)
No.710
4月23日、地裁で ”違法判決 ”。以下は、その感想です。法律には素人の感想ですので、専門的な立場からのご指摘などもあろうかとは思いますが、ご容赦下さい。写真は、判決前の「入廷行動」と、判決後の報告集会の様子です。ご支援の皆さん、雨の中、本当に有り難うございました。弁護士の先生方、本当に有り難うございます。これからもよろしくお願いします。
※ ※
<感想> 2026/4/25 井上けんじ
4月23日、京都地方裁判所は、京都市の「東吉祥院公園廃止」処分について、「適法であ」り「取消請求を棄却する」との判決を下した。被告京都市の言い分をそのままコピーしたとしか思えないほど、市の主張に沿った偏向判決というほかはない。「代替公園設置抜きに公園は廃止できない」との都市公園法16条に照らし、遠方の公園では代替とは言えないことから、本件はこの要件を満足せず、法違反は明白である。私には、不当どころか、法律には素人なので間違った言い方とは思うが、”違法判決 ”という新しい言葉というか概念が浮かんできた程の代物で、到底容認できるものではない。原告の一員として、また原告団や関係者の皆さんたちとも、その意思の確認に努めてきたが、おおむね合意も得られており、直ちに控訴したい。以下、判決要旨しか読めていないが、その範囲で、僭越ながら感想を書く。「 」内は、判決要旨からの引用、またはその趣旨である。
原告適格については、「災害が発生した場合に…被害を受けるおそれがある」者については「有する」としたものの、「近隣公園として利用する近隣住民」は、「不特定多数の者が享受できる一般的公益」にすぎないとして、近くて隣にある、との意義について全く理解しない、現実的日常的な地域住民の生活基盤を無視した暴論を展開した。被告京都市の言い分の焼き直しにすぎない。
手続きについても、「関係法令は…手続きを定めているとは認められない」とのことだが、都市施設である都市公園についての議論だから、「関係法令」には都市計画法も含まれて当然である。ならばその都市計画法には、明確に、その設置や変更・廃止についての手続きが定められている。その一環である都市計画審議会では、廃止提案の理由について、事前文書では「給食センター建設の為」と書きながら、実際の委員会の議論での市の主張は、専ら、「既に廃止されているから」との理由付けに終始した。市との事前打ち合わせは当然だったと思われるが、委員長もまた「後に何ができるかはここでのマターではない、私は知らない。既に廃止されているから合わさなければならない」との趣旨の発言を繰り返された。そしてその「既に廃止」の実態はと言えば、以下のような経過であった。'23/11/22に市教委だけの出席による「説明会」なるものが開かれ、「センター建設、従って公園廃止」とのことであった。後でも触れることになるが、本公園は、長年、市から市教委に貸し出され、高校用地として使われてきた経過がある。この年に高校移転が実現。然るに、ではいつ市教委が市長に返したのか、「廃止」は、その経過の説明がないままでの曖昧で杜撰なままのどさくさ紛れであった。当日、「今後は未定」と言いながら、説明会の紛糾を実感しない文化市民局による廃止の起案は僅かその2日後であった。30日に廃止とされたが、その直後の12月5・6日の市議会委員会では、その文化市民局は、説明会の様子についての質問を受けながら廃止については一言の報告もせず、また代替公園を用意すべき建設局も「教委と文市局とで廃止の方向と聞いている」といったようないい加減な答弁であった。被告京都市の答弁書では、上の一般的な説明会と、翌春都市計画審議会に向けての手続きとを全く混同したごちゃ混ぜの駄文になっているが、判決もまた、このような経過を知りながら、「都市公園法16条には…廃止手続きの順序は謳っていない」などと、最狭義の条文解釈に矮小化した
さて、その16条であるが、判決要旨は「近接代替公園は1/4以下、他(の3カ所)は規模や位置関係」から、「本件公園と同様とはいえない」とまで言いながら、「しかし」として後を続ける。経過と現況を言えば、市は「代替」として4公園を提示。しかしうち3カ所は伏見区内や南区東部でかなり遠方にあり、残り1カ所が、高校の校舎跡地でグランド(本件公園)の隣、上で「近接」と言っている公園予定地である。現在は整備中。「しかし」、「本件公園は…高校…として利用され…公園の効用を果たして」こなかったから「近接した場所に代替公園が整備されるなら…ほぼ対等なものとして相当程度見合う」。また「他の3つ…の整備によって…市全体の整備が…前進…、従って…代わるべき…との要件を満たす」。
目が点になるとはこのことか。「効用を果たしてこなかった」のは、判決自身指摘の通り高校用地として使われていたからであって、ならば高校移転に伴ってその復活を果たせば、1/4とかほぼとか相当程度どころか、完璧に元に戻せるではないか。高校教育の意義から言って、私たちは市教委への貸与自体を否定的に思ってきた訳では決してない。我が子も世話になってきた。結果として、しかし移転するのなら元の公園に戻すのが当たり前ではないか。地元ではそのことが待たれていたのである。「廃止」を所与の前提として、近接に設置するから1/4以下でも見合うなどというのは、為にするというか、結論先にありきのこじつけ、まさに市の立場に立ってしか、ことの経過を考えていない、語るに落ちるとも言うべき代物である。こんなことでは、司法への信頼が、損なわれ失われるばかりである。行政裁判は、お上の言うことがまかり通る、との一般的な批判に拍車がかかるばかりではないか。
しかし一方、高校利用時代からも広域避難場所としては存在し続けているから「効用をはたしてこなかった」訳では決してない。問題は、1/4以下に減って、どうして「対等なものとして見合うのか」という点にある。もっと言えば、そもそも、広域避難場所としての原告適格は認めておきながら、ではその原告や地域住民の安全への権利がどのように奪われるのか、公園が廃止された状態で、命を守る機能が存続できるのかどうか、そのことへの検討が、要旨とはいえこの判決にはない。避難場所が奪われるから廃止を取消すべしとの訴えに対し、何らの判断をも示さないというのは、その一事をもって、”欠陥判決 ”とも言うべきではないか。
「市全体」云々の話しに至っては、開いた口がふさがらないともいうべき暴論である。ある個人の尊厳としての市民は「市全体」という抽象的な場所に暮らしている訳ではなく、特定の住所を有するからこそ住民なのである。6kmも離れた場所へ、どうして散歩や災害避難に行けるのか。「市全体の公園整備状況…前進」とは言いながら、上の近接公園(校舎跡地)以外の3カ所は、元々既存計画の延長線上のものであって、たまたま、整備時期が今日になっていることをもっけの幸いとばかりに、後付で「代替」として位置付けたというだけの話しであって、廃止の「代わり」でも何でもない。「廃止」による近隣住民の権利の剥奪や縮小という影響に心寄せるよりも、「市全体の公園整備…前進」などへの評価とは、まさに本判決が、全く市当局の立場に立っていることの証明であり、上の近接公園の理屈も併せ、これでは、全く被告京都市の答弁書そのままと言うほかはない。
こんな判決を放置し確定させることは、司法の未来にとってもよろしくない。認めることは、自らの権利の放棄に等しい。控訴審でも力を尽くしたい。なお、大型給食センターについて言えば、判決は、何らこれに触れているわけではない。避けた。廃止が取り消されれば公園として復活、センターの設置場所については再検討が迫られるとの局面が、結果としては、開かれる可能性もあったが、その点もまたまことに残念というほかはないが、一方で、判決は何も言っていないから、自校方式を求める活動、教育としての給食のあり方を求める運動は、何らの影響も受けない。引き続き取り組まれるであろう。私もその一翼を担いたい。
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2026年03月20日(金)
No.709
'23年11月、京都市が、大型給食センター建設用地に充てるため、南区の東吉祥院公園を廃止。翌年5月、この廃止の取消を求めて裁判へ。公園自体や災害時の避難場所、スポーツの環境を奪われる、近隣にお住まいの方々や、私のように、当時、孫が中学生だったことから、給食は自校方式でと望む立場からの者たちも含め、原告に名を連ねて訴えました。先日、3月17日は、いよいよ最後の「最終陳述」。弁護士の先生たちから、廃止は廃止要件を満たしておらず違法であり、取り消されるべき、と陳述して頂きました。裁判長から、判決は4月23日(木)午後1時半から、との話があり、この日は終了、その後の報告集会で感想などを出し合いました。
以下、私なりに、この間を振り返った経過を書きましたので、転載します。写真は、当日裁判後の報告集会の様子と、地方裁判所外観です。
※ ※
<経過を振り返って>
最裁判も大詰めを迎えました。最終磐の運動の参考に、これまでの経過を私なりに振り返ってみました。 '26/2/10 井上けんじ
市は「廃止」と言いながら、公園の必要性がなくなったとかその程度が低くなった等とは言わない、言えない(「スポーツ公園充足」論も、いわば弁解の類で、積極的に廃止の根拠となるものではない)。公園自体の必要性の有無や程度は全く議論がなく、都市計画審議会(以下「都計審」)でも「(代替公園も)種別が同じだから」程度の話しだけ。センターと自校・親子方式との、それぞれの特徴や功罪等々の比較検討や、そもそも「廃止」の可否自体についての議論がない。「種別が同じ」「面積確保」等は、本来の廃止理由があった上での条件の話しであり弁解であって、直接の廃止の理由にはならない。'23/11/22の説明会では「未定」と言いながら、その2日後に文市局が廃止の起案、11/30廃止としているが、その時の「廃止の理由」欄の「代替設置の為」も本来の理由にはなりえないことは明らかである。
初めにセンターありき、民間大手の営利事業への委託ありき、が本質だと思う。ところが市は、説明会や都計審理由書では「センター建設の為」と言いながら、実際の都計審の場では「それは文市が廃止した時の経過の説明で、廃止議案とセンターは無関係」の一点張り。市と打合せ済みだと思われるが、委員長も「センターのことは知らない。既に廃止との実態に合わせる。廃止しなければ公園残ってしまう」等々。自校方式にすればセンターは不必要、公園も廃止しなくて済む。調理過程が見えてこそ教育としての給食、との私たちの建設的代案も提起。遠くて行けないことが決定的であり、「代替」としての要件を満たしておらず廃止は違法、取り消されるべき。
都市計画法では「(都市計画は)審議会の議を経て決定、変更」。,箸海蹐市長告示の「廃止」は、その議を経ていない。都市公園法による「廃止」も代替要件を満たさず違法。従ってこの違法な「廃止」を「既に廃止されているから」とする審議会への提案理由も不成立。従って審議会も前提崩壊でその議決も無効。審議会自身も、市民の意見書につき、センター関連意見の排除、恣意的な提出、公聴会未開催の理由を明らかにしない等々の問題あり。
以上、超短縮版の経過と私見ですが、私の経過解釈と意見を裏付ける為にも、以下、もう少し詳しい経過を振り返ります。
2024年5月、京都市による「東吉祥院公園の廃止」処分の取消・撤回を求める訴えを提出。論点は3つ。仝園廃止の場合、都市公園法上「代替公園」確保が要件だが、それを満たしておらず違法、△燭世任気┥ない市のスポーツ公園を減らすことになる、8園廃止の目的は「大型給食工場」建設用地に充てる為、であることから、各自校方式にすれば廃止の根拠がなくなる、との給食提供方式への提案。
時々のスローガンや目標に変遷はあるものの「小学校のような、全員制の中学校給食」の実現を求める市民運動が20〜30年来取り組まれ、遂に市と市教委が、2023年1月、実施を発表。長年、市は(親の)「愛情弁当」論を掲げ、後ろ向き。「給食」とされた後も、実際は業者の弁当で、それも全員ではなく申込者への提供だけ(申込みは20%前後、又はそれ以下)。申し込まない生徒は自宅からの弁当持参やパン等を買っての昼食でした。長年、背を向けていたのに、市と市教委は、1月の実施発表後、その10〜11月頃、突然、高校移転で公園に戻るハズの場所に大型給食センターを建てると言い出しました。「自校方式ではなく大型給食工場による一括調理・配送方式」を決定、その場所として、塔南高校グランド跡地(元々、公園だった土地を市が市教委に高校用地として占用を許可、この頃、高校の移転によりその役割を終えることになった土地、公園)を充てることが決定されたものです。23/11/9の京都新聞でも「消極一転スピード決定、長年消極的だったが、今年、突然表明してから10か月足らずで方式や時期を固めた」との記事。
今回の公園廃止は、センター建設が目的で、これは、市も市教委も、再三言ったり書いたりしている。今頃になって、市と市教委は「子育て支援」とか「持続可能な」などと、とって付けた理由でセンター化をごり押ししようとしています。ではこの10年来、背を向けてきたことをどう総括しているのか、そのことを曖昧にしたまま、今、急に中学校給食の「意義や必要性」の問題と、「その方式」との議論を、意図的に混同させ、意義があり必要だ、だからセンターだと一足飛びに押し付けようとしているのです。これが前段の経過です。
1、23/11/8、議会で、中学校給食について大型給食工場方式で、と市教委が発表。地元としては、同/13付、市教委「公園廃止説明会」とのチラシがいわば発端。「塔南高校が移転、給食工場を計画、そこで、公園の廃止について説明会を開く」。11/22にその説明会。資料曰く「公用・民間含め有効活用を検討しているところです」「センター方式導入、高校グランド跡地に整備の計画」そこで「公園を廃止する」(甲2号証)。 峺‘い靴討い襪箸海蹇廚覆匹判颪ながらその同じ文書に「公園廃止」。⊇仞覆市教委だけの異常。一行政委員会ではないか。市長部局の中の某局ではない。市教委は市から許可をもらって占用、いわば借地人で地主は京都市なのに、なぜその市教委が廃止の説明をするのか?「市長部局とは打ち合わせた上」との言い分は、百歩譲って「今後土地をもらう立場だから」と言ってみたとしても、敢えて市長部局欠席の理由にはならない、出席を妨げる積極的な理由にはならない、出席した方がより丁寧なのは明らか。F辰紡綢惴園の説明は市長部局の責任と権限。実際、代替公園を手配したのは建設局等。「16条2項」との説明は2号の誤りで説明不備。「センターの説明会なのか公園廃止の説明会なのかどちらか」との質問が出たのは当然。市教委の説明では「都市計画法に基づく廃止に向けて手続き を進めていく、代替公園整備の上で廃止…四公園を地域の皆さんの憩いの場となるようにしていきたい、代替公園確保を条件に廃止、手続きのスケジュールは未定」等と言いながら、後述の通り2日後には「廃止」起案。「整備の上」も「確保を条件」も抜きに。時期も不明の先送り。説明会は紛糾のまま終了。
2、市教委が市に返してから廃止したのか、借りている状態のまま(市から言えば貸しているまま)廃止したのか、その後井上から文化市民局に聞いたが曖昧な返事で判然としない。後になって「廃止と同時」と、とってつけたような返事であった。しかし今にして思えば、「12/1に文化市民局から教育委員会に移管」と議会でも答弁、また11/24に廃止の起案をしたのは文化市民局だから、少なくともこの日には既に市に返却されていたハズだと思える。許可申請までして借り、市長も「公園が荒廃しないように」等々との許可条件まで付けて貸し出す等の経過のある占用許可なのに、返却の手続きが全く不明朗。その後、議会答弁や'24/3/8付「南区考える会」の要望への市教委からの回答等でも、市は「廃止後の所管は12/1に教育委員会に移した」とはいうものの、これは勿論市長部局から移したということだから、ではその前の「市教委から市長への返却、占用許可解除」の時期や手続きはどうだったのか、という点は、市も市教委も一貫して曖昧にしたまま。意図的になのか、そんなことはどうでもいいと思っているのか(だとすれば杜撰極まりない)、「市教委へ移した」こととを意図的に混同。
3、その「廃止」だが、11/22説明会では「未定」と言っていたのに、その僅か2日後の/24、その説明会に出席もしておらず従ってそのリアルな様子の体感もない文化市民局が廃止の起案。説明会は全くのアリバイだったのか。その廃止の理由には「代替公園設置」とのことだが、これは要件であって理由とは言えない。これが理由なら市内どこにでも自称代替公園を設けさえすれば、その必要性の有無や程度等無関係にどこでも公園を自在になくすことができてしまう。同/29に市長名で告示、翌/30に廃止とされている。不思議なことに、その直後の12/5、その廃止の経過について議論された市議会委員会では、その文市局が「公園の所管につき12/1に教育委員会に移管した」と言うだけで、質疑としては当然、5日前の「廃止」の報告をすべき流れなのに、告示や廃止のことは全く報告せず。翌/6日の別の委員会でも、今度は建設局だが「教育委員会と文化市民局で廃止の手続きを進めているということをお聞きはしているが…詳細は把握できていなかった…」と、「代替公園」確保の責任部局でありながら驚くべき答弁。
4、市は長年、背を向けてきたのに、やっと‘23年初めに重い腰を上げた。)寨茲覆藥圓鳳いて10年の総括が要る。給食要求は、前提として原則自校方式であった。
/22の説明会でも、その要望も出された。従って、10年の総括は仮に横に置いたとしても、やっと実現との到達の上に、では次の課題として「方式」の検討に移るはずであった。ところが市は、少子化対策に資する為、等と、給食の意義ならぬセンターの「意義と根拠」へ議論を飛躍させる。給食の意義・根拠と、その方式のあり方とは問題が別なのに、意図的に混同させ、給食の意義をセンター方式の根拠にすり替え。これは、10年間背を向けてきたことを曖昧に済ませたいのと、しかしやっと気づいた意義を、今度は自分たちこそ先駆だと言わんばかりに、方式の検討抜きに一足飛びに、無理矢理センターに直結させたいからである。辛うじて、区別して方式独自のことを言うとしても、「持続可能」程度のことしか理由を挙げられない。私は、給食の意義に気が付くのが遅かったと非難しているのではなく、意義の点で一致できた今、その到達の上に、では今度は方式の議論をしましょうと言っているだけである。
5、'23/11月末のどさくさ紛れの「廃止」を私たちが知ったのは、翌'24/1月下旬の
「都市計画審議会への市民意見募集のチラシ」が出回ったことによってであった。市は「HPに掲載」とのことだが、多くの市民が細かい部分まで見ている訳ではない。そのHPを、私は'24/1/29に見たが、それは市教委の'23/11/28付のページで「吉祥院公園の廃止について」とあり、「塔南高校は開建高校として元洛陽高校跡地に移転…跡地活用を進めていく…この活用の一つとして…給食センター建設を計画…そこで廃止することについて…説明会を実施したのでお知らせします」とある。見出しは「廃止」と言いながら本文では「説明会を実施したので、お知らせします」となっている。
6、「廃止」の手続きについて公園法には書かれていないので、電話で市に聞いたところ、「開設の場合の『告示』という方法を準用した」との回答であった。しかしこれは独断的且つ恣意的な解釈であって、そもそも16条は公園の「保存」と謳われ「こういう場合は廃止してよい」ではなく「みだりに廃止してはならない、こういう場合以外ダメ」であり、よほど例外的なこととしている。万一廃止の場合にはよほど慎重な手続きが要るということだと思う。そもそも都市計画上の都市施設である公園を、都市計画の手続きを経ないで、どうして「廃止」できるのか? そしてその都市計画審議会では「既に廃止されているから」が廃止議案の理由とされ前提とされているのである。これは同義反復であり堂々巡りであり自家撞着であって、市長の恣意的な独断で何かを決定しそれを既決とするならば、都市計画審議会は形骸化どころか無くてもいいということにさえなりかねない。’23/11/30の廃止は手続き上の疑義があり、従ってまたその「廃止」を提案理由とする審議会の議決は無効であり差し戻されるべきである、審議会で言われていた「防空緑地」云々や「公園の計画はない」との廃止「理由」は、前者は戦前の防空など今日不要なのは当たり前でとってつけた代物、この際どさくさ紛れの寄せ集めの類で、後者は単に方針を述べているにすぎない。答弁書では11月の一般的な説明会と都市計画法上の手続きとを混同し、両者の区別を知ってか知らずか曖昧にしているようであるが(P23)、説明会開催をもって、公聴会を開いたなどとは到底言えないことは明らかだし、説明会は紛糾のまま終わった。審議会については、市には公聴会開催を必要と認めなかった理由を明らかにする責任がある。
7、2/5の市長選挙で新市長の意向による変更があり得るにも拘わらず、その直前の1月 下旬、「廃止に向けての都市計画審議会への意見募集」のチラシが出回った。当審議会の議題は「公園の廃止」だが、その理由が「既に廃止されているから」「センター建設の為」というものであった。廃止云々の議題は、市長の独断ではなく審議会でこそ、一から議論すべきであり、追認を求めるかのような提案理由は、前提でもないし、また提案理由になっていない。経過から言えば、 23/12/1に市長により「廃止」、その後、⇒癲24/3/28の都市計画審議会でも「廃止」が議決された。しかし,蓮都市計画法上の手続きを経ておらず違法である。被告答弁書でも(P23)上の,鉢△亮蠡海を意図的にかどうか、混同し、ごちゃ混ぜにして、その違いを無視ないしは曖昧にしている。今後、市が「,呂箸發く、△砲弔い討亘‐紊亮蠡海を踏んでいる」と、主張してきたとしても、△悗猟鶲突由であり前提とされているー体が虚構であり法違反であることから無効であり、△悗猟鶲突由としては失格である」と言えると思う。
8、審議会では、センターについては、委員の再三の質問に「議題とは関係ない」の一点張りであったが、廃止が議決されれば、それは即ちセンター容認に連動することは、提案理由の説明から言って明らかである。この点については、井上からも「都市計画審議会での公園とセンターとの関係はどうか」との市民意見を挙げていたが、審議会配布資料には、そこまでのことは書かれていなかった。審議会としてセンター設置に責任が持てるのかどうか、審議会の都市計画上の性格と、センター容認という教育上の課題とが照応せず、別の問題を意図的に混同させる問題を孕んでいたと思われる。「廃止」議決が、=センター建設であることは提案理由からいっても明らかである。広域避難場所という重大な機能が損なわれることも含め、憩いの場・スポーツの場としての公園自体の必要性の有無や程度ということについては、提案理由でも討論でも、主要なテーマにはなっていない。アプリオリというか、初めに「既に廃止されている」ありきの審議会であった。審議会委員長は一貫して「廃止の後の利用は分からない、センターは別問題、関知しない」と、廃止理由をどう読んでいるのか、全く理解に苦しむ発言が続いた。
9、早期実現はみんなの願いである。だから市は大型センター方式だと言うが、根拠はなく精査が要る。むしろ、原則自校方式の小規模分散型の方が、同時併行で早いのではないか。また費用の問題はどうか。「民間のPFIの方が安くつく」との市の言い分だがこれも精査が要る。「安くつく」根拠はどこにあるか。私は「市直営」派であるが、民間への事業費は市からの委託費であり、これは市直営でやっても同じハズだ。では「安くつく+受託会社の利益分」はどこから生み出されるのか。市の委託費から生み出されるしかないとすれば、市の委託費が、直接、会社の利益に直結し、更に安くつく為にはどこかへしわ寄せする以外にない。人件費か、若しくは、どこかの部分の支出削減しかない。そういう運営への疑問がある。更に言えば、完成後の調理や運営等、そもそも教育としての給食事業が営利対象でいいのかどうかとの根本的な問題が横たわっている。市と市教委の、国・文科省言いなり、公務の民間開放路線の検証が必要だと思う。
10、設計もSPCだが、性能発注では、品質確保への危惧はないか。建設資材や運営費用等々、今後の費用負担増加の場合、それは誰が賄うのか、市の追加負担なら「言い値」にならないとの根拠はあるか。常々「公より民間のノウハウ」などと自らの能力を卑下し後退させている京都市に、それらの計算の力や裏付けはあるのか。
11、思うに、11/22の説明文書冒頭にある通り、また/24の決定書でも「移転を機に…跡地活用検討」、更に議会や翌年3/28の都市計画審議会等でも市が言っているが、行財政計画の一環として、既に2021/8月から塔南高校移転後の活用について、特に工業地域であることが強調され、民間活用も含めて検討が続けられてきた。今回、‖膩織札鵐拭爾自校方式かという論点とともに、∋堋庄弔民間かとの論点が設定できるとすれば、市にとってはセンターと民間化は一体で、初めにセンターありき、と言うより、私見では民間大手企業への委託ありき、ではないか。今、京都市では、規制緩和・自由放任に留まらず、立地補助金や減税、誘致企業への優遇、市街化調整区域ですら開発促進、等々、むしろ意図的積極的に大手を応援する政策が進められている。こういう市の一連の産業政策の流れに沿って、民間大手への運営の委託、公務の民間化政策を出発点と考えると、10年も背を向けながら 中学校給食が超特急で動き出したこと、占用許可との経過やその返却の手続きを曖昧にしてきたこと、説明会のいい加減なこと、常識では考えられないような場所を「代替」などと強弁すること、密室で「廃止」を強行した後に都市計画審議会ではそれを金科玉条に「既に廃止されている」の一点張り、廃止理由に挙げながら「センターとは別」への固執、等々、この間の、摩訶不思議な経過の正体が見えてくる。公園廃止はこの拙速な急流の一環であり、いわば市の大手企業優先政策の「いけにえ」の結果ではないか。市にとっては、グランドを含む塔南高校跡地全体を如何に民間活用するか、が本命であって、地域住民にとっての公園や避難場所の意義、スポーツ公園の拡充といったようなことは第一義的なことではなかった。すべて後付けでいい訳をしたりとってつけたような弁解に終始していることの謎が解けた。今回の事例は、公園自体の必要性の有無や程度が、直接の検討対象にされた訳ではない。工場を建てたい、民間大手に運営を任せたい、事業を提供したい、その為に場所が要る、だから廃止だ、と。いわば、市の大手優先の産業政策のあおりを食らったのが、公園であり、避難所を奪われた近隣住民であり、また教育としての給食を奪われた生徒たちだという次第ではないか。公園廃止は、必要ないから、ではない。目的ではなく結果であり、あおりであり、しわ寄せであるというのがコトの真相ではないか、と私は思う。
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