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本会議討論

中央保護所条例の改正および知的障害者授産施設条例の一部改正に対する反対討論

No.18

 日本共産党は、議第70号及び72号について、それぞれ反対の態度を明らかにしていますので、私は党議員団を代表してその理由を述べ討論を行います。
 まず議第70号京都市中央保護所条例の全部改正(案)は、施設の位置付けの明確化や実施する事業、及びそのそれぞれの定員などが謳われています。元々中央保護所は更生施設でありながら、一時宿泊事業として運用されてきた経過がありますから、今回、その本来の性格に戻すことはその通りだろうと思います。一時宿泊事業の縮小についても、代替施設を確保するとの委員会答弁を得ていますから、全体として支援内容の充実は賛成です。しかし今回の条例改正の最大のポイントは、今後の運営を指定管理者に任せようという点にありますから、これはとうてい賛成することはできません。
 その理由は、何よりも本市の公的責任の後退に繋がるからであります。とりわけ生活保護行政は市民の健康で文化的な最低限度の生活を支える、いわば最後の砦でありますから、特段、行政の直接的な公的責任と役割が求められるのではないでしょうか。今、貧困と格差の拡大が大きな社会問題になっており国民生活の下支え、底上げが重要な課題になっています。その時に、単に委託金の支払いによる財政的責任をそれなりに果たすということだけでなく、相談や日常の生活援助、各福祉事務所との連携、そして将来の生活の見通しへの道筋を指し示し希望を提供する、住民の基本的人権を守るという、行政としての直接の処遇が必要ではないでしょうか。今日の社会において必然的に発生する格差の拡大傾向を緩和し少しでも縮める機能を果たさなければならないはずの税制や社会保障が、新自由主義・構造改革・規制緩和などの政策によって、むしろ逆に、格差をますます拡大する方向に働いています。だからこそ格差を縮める仕事が、今日、政府や地方自治体の最大の課題のひとつとなっているのではないでしょうか。全体の奉仕者というのは、単に偏ってはならないというだけでなく、特に国民生活の底上げ、国民の社会権の保障にこそ奉仕しなければならないという意味であると私は考えます。
 しかし私は、指定管理者の団体そのものに対し、あれこれ言っている訳ではありません。むしろ民間の社会福祉法人や関係者の皆さんの常日頃のご尽力に心から敬意を表しており、だからこそ、指定管理者制度自体の問題点を危惧している訳であります。指定管理者への委託になれば公営での運営に比べて予算も減らされ、そのしわ寄せを管理者団体が被ることになりますし、職員の身分保障も心配です。すでに先行する事例では、職員の賃金カットや定期昇給ストップ、人員減、そして指定替えに伴う雇用不安がつきまとうなど様々な問題点が指摘されていることはご承知の通りであります。
 提案の理由として挙げられているいくつかの項目についても検討してみたいと思います。「指定管理者により満足度の高いサービスの提供」と言われていますが、中央保護所は、福祉増進をはかるところですから、別に商売をしている訳ではありません。仮にこういう表現を使うとしても、ではなぜ指定管理者なら満足度が高くて本市の運営では高くないのでしょうか。「効果的効率的な対応」とも言われていますが、これもまたなぜ指定管理者ならそうなのか、根拠がありません。敢えて根拠らしきものを挙げるとすれば、4月の委員会報告文書に書かれている通り、「本市には、自立支援に関する十分なノウハウがない」というのが、その理由だと言うのでしょうか。これこそ為にする口実以外の何ものでもありません。そもそも市民の人権を守る仕事は、単なるノウハウに矮小化される狭義の技術ではなく、もっと全人格的、組織的集団的な仕事であります。本市の自立支援行政・生活保護行政は、長年の先人の職員さんたちの大変なご苦労によって、その豊かな経験が蓄積されて来ています。大学の先生になられた方もおられますし、民間の福祉やその他の分野でリーダーとして活躍中の方もおられます。ノウハウが無いなどというのは、何よりも、このような民生行政の先輩に対する冒涜であり、その豊かな財産から学ぼうとしないだけの話しであります。本当に自信がないというのなら、勉強すればいだけの話しではありませんか。今の保護所では直接処遇職員は非常勤嘱託だが、委託すれば法人の正規職員になる、との理由に至っては何をか言わんやであります。今の、嘱託職員の正規職員化をめざすべきであります。
 結局、本音の理由は財政を削りたいということに尽きるでしょう。勿論最小の経費で最大の効果という原則は言うまでもありません。ではその場合とは何かという問題であります。住民の福祉の増進こそが最大の効果であり、自治体の仕事ではありませんか。まして最後の砦です。ここの仕事にまで経費がかかるというのなら、一体市長は何のために税金を集めているのでしょうか。住民の暮らしを守る、応援する、基本的人権を守り豊かにしていく、その為にこそ税金は使われるべきではないのですか。
 昨今、指定管理者制度をはじめ、PFI、独立行政法人、市場化テスト、等々、自治体の民間化民営化の動きが加速されています。一方で住民の暮らしと権利を守る分野での予算が削られるとともに、本来公的であるべき部門が企業の営利事業の対象にさせられています。自治体の仕事を支える職員さんたちの中に占める非常勤非正規の労働者の割合もどんどん増えています。今こそ、こういう流れを断ち切って、自治体が、憲法と地方自治法の本来の精神に立ち返るべきではないでしょうか。
 
 次に議第72号は、公設民営の障害者施設について、市の施設でありながら、その改築及び完成後の施設管理を民間団体に任せ、市の条例から同施設を廃止しようとするものであります。
 スペースの問題、老朽化、耐震性などが課題になっていたと聞いています。施設利用者や職員・法人・関係者の皆さんたちにとっては長年待ち望まれていたことですから、改築自体はもちろん大賛成であります。一刻も早い新施設の完成を心から期待するものであります。
 問題は第一に改築費用の負担区分と、第二に完成後の施設の維持管理・補修の役割から本市の責任が無くなってしまう、市の公的役割という立場から言えば、文字通り廃止となってしまうという点であります。
 費用については、ざっと、合計3億円の経費のうち、市が2億円、運営されておられる法人が1億円の分担とのことですが、現在は市立の公設施設でありますから、本来通り市の責任で改築すれば、運営法人の負担はありません。
 周知の通り、京都の福祉は障害・児童・老人等の各種別を問わず、いずれも圧倒的に民間が支えてきました。戦前からの由緒ある団体をはじめ、先駆的先覚的な篤志家の皆さんたちの手によって京都の福祉が切り開かれ支えられてきたのであります。法人関係者は勿論、当事者やその親・家族等のご苦労も言葉では尽くせない歴史があったし、また今もあるでしょう。本来、公的な責任と役割を果たすべき京都市は、全体としてこういう歴史や現状から学び、京都の福祉が大きく民間に依拠していることを銘記すべきであります。
 しかし民間の関係者の皆さんはご苦労を苦労とも思わないで、開拓者精神の誇りをもって福祉事業に携わっておられます。議案説明書には「改築について、運営法人から申し出があった」と書かれています。自己負担を承知の上での申し出には、関係者の皆さんの、苦労をいとわない決意と姿勢が読みとれます。しかしなぜ市長は「1億円の負担をかけるのは忍びない」とその時に言われなかったのでしょうか。市長として、法人の熱意に甘えていていいのかというのが私の疑問であり意見であります。委員会では、「他の法人も頑張っておられるから今回も負担をお願いした」との趣旨のご答弁でしたが、今回のケースは、元々民間の福祉法人の建物の改築や建て替えではなく、京都市の公の施設の改築ですから一般化はできないと思います。
 完成後の施設についても、今後、維持補修や、将来の大規模改修等の折り、その負担が引き続き法人に掛かってくるでしょう。周知の通り、社会福祉法人は、基本的に財産が増える構造ではないし、またそのことを目的とする団体でもありません。結局法人と関係者の大変な苦労と汗に依拠するしかないのです。市の立場からいえば文字通り施設を廃止することになりますから、福祉に対する実施責任はいよいよ薄れ、運営に対する法定分の現金給付のみということになってしまいます。和光寮にしても、前述の中央保護所にしてもそうですが、長い目で見た場合、公の施設の運営がどんどん民間に移され、施設建物自身も民間に委ねられ、結局京都市の施設福祉に対する責任はどんどん後退していくばかりになっていくのではないでしょうか。
 民間の自主性を尊重し激励もしながら、障害者の皆さんの基本的人権を守り高める、財政的にしっかり支えるなど、本市として必要な責任と役割を果たすべきことを重ねて求めまして、討論とします。