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我有り故に我思う

「財政危機」ならぬ「地方自治の危機」その2

No.224

 今回は、昨年暮れ、御用納めの日に市長が記者会見をして発表した文書と、1月12日の議会総務消防委員会に示された市の方針、及びこの市の方針に添付されている「審議会のこれまでの議論」と称する文書の、三点について、批判的な感想を書いてみました。

2021春予算議会に向けて、市長記者会見資料A、「今後の行財政改革の視点及び主な改革事項」B、及び審議会「これまでの議論」C等の論点   2021/1/28 井上けんじ

はじめに

 市が予定している今後の流れの確認。上のBP3・4やAP5によると、'21〜'25の「京プラン2025=基本計画」が今回の予算議会に提案予定(1/26同審議会答申)。その具体化として'21年度早期にパブコメを経て「行財政改革計画」を策定。この計画には、「視点」=Bを「磨き上げ」、更に3月予定の「改革審議会」答申を踏まえ反映させる。一方、'21〜'23を「集中改革期間」と位置付け、「大胆な改革を断行」。なお、可能なものについては'21年度予算に反映させる。市長をトップとする「改革推進本部」は既に1/13に発足済み。

1、各論(狭義の総務消防部会)として議論しなければならない項目

A7・B15・A10etc.(数字は頁)「受益と負担のバランス」「受益者負担」。公共サービスは、憲法に根拠を持つ基本的人権を守り実現する施策の一環として国や自治体の義務と責任において提供されるもので、住民は、これらを権利或いは生活必需品として享受している。俗に市場原理で言う「益」を受けている訳ではない。例えば敬老乗車証や保育料は、元気になることによって介護費用節約との益を享受しているのは社会全体だし、保育は企業にとっての労働力確保にも子どもの成長発達による将来社会全体の利益にも繋がる事業の一部である。本質は住民への負担転嫁。目的税との相違や最適バランスの水準等論点は多い。
A10・A11・B14etc.「委託化・民営化等…」「民間活力の最大限の活用」。これは最早財政節約の為と言うより、民間化自体が積極的自己目的化。民間企業に営業の場を提供し市場開放しようというもの。公務を営利の対象に。利益の源泉は労働者へのしわ寄せか市民負担増か。利益が上がらなければ撤退か。
A2・11・B20etc.「職員数を削減」。民間化やデジタル化ともセットで。市民サービス向上より人件費削減ありき。以前は財政危機の為やむなくとの理由付けもされていたが、今や積極的な成果として語られている(1/13推進本部市長訓示「…3,500人削減等…改革を徹底、福祉・教育推進…都市格向上…それらが市民生活の豊かさに繋がる…」)。
A11・B21「短期的な人件費抑制」「給与制度の点検・見直し」。この二つは別のことを言っている。前者は「災害や緊急事態に際し」「機動的に、市民の安心安全」のために、それこそ臨機応変に、市長が緊急と判断しさえすればいつでも抑制しようということ。人員削減による人件費抑制という意味ではない。後者は文字通り制度自体をいじるという宣言。
このBの「視点6」では、「職員が意欲を持って働き続けられる職場づくり」と謳っている。賃下げで意欲が持てるのか。蜷川民主府政時代には府職労が賃下げも含めて議論されたとの歴史もあったが、勿論状況は全然正反対。「危機」であったとしてもそれは職員の責任ではない。市長が打開への正しい方針を打ち出している訳でもない。制度の見直しにまで踏み込むと言うのなら人勧制度に抵触?。それなら団交権・スト権を回復すべき。頑張れ市職労。職場を基礎に、市民とともにたたかおう。
A11・B14「デジタルの活用」。労働軽減よりも人員削減になるのではないか。特に窓口業務は人員配置が不可欠。機械等ではとって代われない。デジタルの「標準化」は、施策の国基準への統一化に通じるおそれがある。マイナンバーカードの強制、個人情報漏洩等への危険へ通じる危惧も払拭できない。国家による納税や給付等情報の一元的管理へ。一部大手IT業界の利益拡大をスガ政権が進めていく?こういう動きへの無批判的追随。
B14「消防音楽隊・カラーガード隊廃止」。削減はこれらに限定されるものではない。職員削減は消防局も例外ではない。
●以上、最初からの総括的な分析は力が及ばないので前から順に市の文書の表現に沿って考察してきたが、それだけで終わっては相手の土俵の上だけで済んでしまうので、これらの文書で直接には触れられていないテーマについても、以下考えてみる。
●上の「民間化」とも関連するが、今回、広く「自治体とは何ぞや」が問われている。狭義の財政論に矮小化することなく、広く、本来の自治体のあり方を対置して対案としていく論戦が求められる。
●目下の緊急且つ切実な課題はコロナ対策であり、市民の命と健康、雇用と営業と暮らしを守る為に全力を尽くさなければならない。
●今回は特別委員会設置であるが、次期京プラン案への批判的考察も必要。抽象的な「きれい事」のような表現の影に「強靱なインフラ整備、土地・空間利用、観光の京都モデル」等々、時代的反省と総括が欠落。経済政策から言っても都市計画から言っても、暮らしと環境より「経済優先」思想にしがみつく。
●「財政危機」への対案について考えるにあたり、今後、議論すべきテーマについても何点か挙げたい。経費節約では、学校統廃合や三施設、芸大は「先送り」か「練り直し」か「精査が必要」か。第一市場では節減の余地はどうか。北陸新幹線は見積もり抜きで無謀な突入。それこそ「将来世代への負担の先送り」。企業立地促進助成金も少なくとも大企業向けには不要。歳入増では、大企業への制限税率一杯までの増税、国との関係はあるが個人市民税高額所得者の税率アップ、固定資産税についても、収益目的の非生存権的所有と生存権的所有との区別(かつて美濃部都政がこれに類する構想を打ち出したことがあるが当時の自治省が強引な横やり)、大企業の償却資産減税の是正、また前述の企業立地との関係ではむしろ開発負担金や大手超過課税の検討もどうか。
●北陸新幹線は、財政問題に留まらず、現京都駅を通ることから、東京外環と同様の深刻な居住権侵害・環境破壊等等の問題が憂慮される。多面的な角度からの論陣を張る必要。

2、市の言う「財政危機」は本当か

A1「京都の都市特性により…他都市よりぜい弱な税収構造であったため…今般のコロナの影響もあり…危機的な財政状況…」。これだけでは危機の原因が不明確。市民一人当たり市税が大阪より少ないとよく出てくるが、商都大阪との比較自体に無理がある。規模が違う。しかし個人市民税は京都の方が高いから「学生や高齢者が多い」、は理由にならない。各市町村にそれぞれ都市特性があるからこその交付税制度。もし危機だとしてもそれは「ぜい弱」ではなく、交付税制度が機能していないことにその理由があると言うべき。「…構造であったため」と過去形になっているのは何故?コロナの影響があるというなら、それは京都だけの話ではない。全国の自治体が団結して国への財政措置を求めるべき課題。
 ちなみに、C1では「一般財源収入は他都市平均より84億円多い」とのデータ。
A3「支出が収入を上回る状況が継続」。国や自治体の財政は「量入制出」ではなく「量出制入」。確かに現実にはそうなっていない面があることも事実。だからこそ国の税財政制度政策への批判的言及も含めてその理由の究明が必要。要するに市の主張は収入不足分を基金取崩で補ってきた、その基金があと6年程で枯渇する(だから大変だ)ということに尽きる。他に、収入増や支出減への、研究や分析、方策、努力、等々については全く触れず。一路、基金の枯渇が強調されているだけ。関連して'20年9月の「'19年度(R元年度)決算実績報告書」で、曰く「仮に…取崩を継続した場合、機械的な試算になるが、十数年後には…枯渇する恐れ」(P17)。つい3ヶ月前は、こういう、慎重な言い方であったのに、今や「枯渇」だけが一人歩き。コロナの影響による減収の様相が色濃くなってきたという、その後の事情はあるが、しかし9月時点でもコロナの影響はあった。ドタバタ感は否めない。関連して、同報告書は別のページで(P11)「一般財源収入は、対前年度比…の増(ただし、基金取崩しを除くと…の減)」と書いているが、これも危機感があるなら「…の減。但し基金取崩しで辛うじて…の増」等と書くハズ。分析全体の信憑性を疑う必要あるかも。
A3「R8に基金枯渇」。急にR8が出てきた。6年あれば改善は可能。政権交代すればいい。
A4「基金が枯渇し、財政再生団体になる…」。「枯渇」に至る前になすべきことはないのか、枯渇すれば即再生団体になるのか、その過程や他にとりうる方策等の検討が明らかにされないまま市民を恫喝。「財政危機」が葵の御紋だとすれば「再生団体」は錦の御旗か。
A4「取崩しからの脱却には一般財源収入の増加が不可欠。ただし…長い期間を要する。あらゆる施策の…見直しに今すぐ着手…」。一般財源収入の増加とともにムダな支出の見直しも必要。収入増という場合、市長の考えは既存の市税をどう増やすか、或いはセカンドハウス税等、市プロパーの話程度のことで、僅かに対国のレベルで考えているとしても交付税増額が関の山(C9)。大企業減税の法人市民税減収への影響や市民税フラットへの批判的言及等々自民党政府の税財政制度政策への批判的検討抜きに抜本的改善はあり得ない。「国も大変」等の認識では収入増は覚束ない。市民生活はもっと大変。中小含め全国の自治体が団結しうる要求の設定と対国運動を呼びかけてこそ「京都があってよかった」。仮に「見直しに今すぐ着手」としても、同時併行での研究・運動方向検討を妨げるものではない。専門の先生による審議会なればこそ、国の税財政の分析と研究を諮問すべき。
A5「推進本部を設置」。審議会に諮問しながら設置とは焦りの現れではないか。或いは、本部と審議会とのデュアルシステム、ハイブリッドで行こうということなのか。
A5「危機を…改革の契機とし…」。改革の正体見たり何とやら。危機に乗じて、危機を奇貨としてリストラを、との宣言。但し、危機を口実として、と言えるかどうか。この点は議論が要る。とりあえずは「危機」を否定しないとして、しかしではその責任は専ら市長にある。しかも、広義に、今日の自民党政府の中央集権的税財政制度政策の被害者との側面が自治体にあるとした場合、その相手とたたかおうとしないという意味において京都市長は被害者ではなく国と同罪。市民へのしわ寄せは、同罪だからこそ余計に許されない。
B2市債個別の分析等についての検討など一切せず、その道だけとの前提で、「将来へ負担先送り」。そこで次に「先送り」が主語になって、「よくないことだ」。このままでは基金が枯渇云々。他の可能性等を排除。改革だとの結論へ。というよりハナから結論ありき。
Bこういう言い方と前後して、収入<支出、穴埋めに基金取崩、基金枯渇、再生団体、これを避けたい、だから改革だ、との文脈が再三出てくる。短絡的思考の典型。
C審議会でも、要するに支出を減らすために、ここを削れここを見直せ一辺倒の議論に。
B2財政健全化法への批判的視点が皆無。これまた「国言いなり」。元々同法は、財政の中央集権化・地方財政縮小の動き促進の為、自治体に「自己点検・自主規制」を迫る代物。元々「財政再建法」から今日の「健全化法」への改正は当時の竹中ビジョンから出てきたもの。まだ「健全段階」なのにその段階から統制を強化しようとするもの。正に今の市の姿。国が地方財政危機の本当の責任者でありながら、自分たちが作った基準で一方的に判断する仕組み。不名誉の黒字も名誉の赤字もありうる。住民の福祉増進が自治体の役割。数字だけで判断できるものではない。各指標は分母=標準財政規模=交付税を含む数字だから、交付税減らされたら分母が減り判断基準の指標の数字が悪くなる。小西教授は「健全化法のスキームは地方自治の精神に反し好ましくないという見方もある。筆者はそうは考えません」(著書)。財政再生段階では確かに国の関与が強くなるが、早期健全化段階では国の勧告に従う義務はない。
B8市債発行が、なぜ一律に「将来世代への負担の先送り」になるのか。むしろ施策や施設の利用や成果を、今の世代だけでなくおしなべて享受し、ならして負担する意義あり。
「負担を世代間で均衡させるという機能がある」(総務省官僚著「議員の為の分かり易い地方債」)。それは市債の種類や目的の違いによるかも知れないとしても、そうであるならなおのこと、市債毎の分析が要ることになる。一律に「先送り」ではない。
C2「市債残高が高い、減り方が少ない」等が問題視されている。しかし借金とは、その返済計画とセットで借りるのが当たり前。今後、毎年の償還額、または何年後かの一括償還に向けての積立金を、各年度予算化または積み上げて行けばいいだけ。今になって慌てるとは計画性の無さを自己暴露。まして「市債残高が減少しづらい要因」と「基金の取崩」とは別の問題。勿論、毎年の公債費の一定の必要額が高ければそれだけ他の支出項目を圧迫する要因になることは他のどの支出項目でも同じことであるが、これも結局は、借りるときの返済計画立案時点での見通しの問題に帰着する。そこの経過の分析や反省は如何。
C資料も恣意的。特定の結論へ持って行く為の資料づくり。ex.福祉祉経費増と言うが国負担分も。市負担分でも交付税措置も。京都の大企業が国の減税策連動で市民税も減税にとの関係、個人市民税の高額所得者の税率を戻せば約90億円増とのデータ、4.1億円と多くはないが法人市民税率制限一杯までとした場合の資料等等は全く出てこない。委員からの請求もない。市のめざす結論へ向かう為の資料だけ。分析も議論も無し。情報操作。
●基準財政需要額算定も現状を反映せず。国批判すべき。
●交付税トップランナー等への迎合は増額要求と矛盾。逆行。批判が必要。
●'19年度決算中「不用額」は28,918,338千円。特に公債費647,474千円の不用額(「実績報告書」)は、急な償還事例に備えて多い目の予算化が要因とのことだが、審議会資料の中では、こういう要素はどう加味されているのか。
●高速道路出資金113億円の債権放棄も「危機」打開への真剣さを疑わしめる事例だった。

3、責任の所在を曖昧にはできない、市民参加

A1・11「市民の皆様と危機感を共有し…」「改革の必要性を共有」。仮に「財政危機」がその通りだとしてもその責任は、唯一、予算編成権を持っている市長に。賛成してきた議員にも。市民には何の責任もない。自身の責任を棚上げして何か客観的な不可抗力の如き問題の立て方をするのはもってのほか。真の責任の所在を免罪し隠蔽し、ことの本質をそらすもの。「ガマンせよ、まして反対の運動などはご遠慮被りたい」ということなのか。
●昨秋決算議会実績報告書では「市民ぐるみで議論」(P17)とのことだが、全然ぐるみでない。傍聴は当たり前で、市民ぐるみとは全く別。批判的なご意見も含めて声を聞くべき。

4、「改革」に向けての基本的な前提、認識、スタンスはどうなのか

A1B1etc.「国や他都市の水準を上回る施策」や「行財政改革」の成果事例、等々。しかし「全国トップレベルの保育環境」は、歴史的に、京都の民間保育関係者の努力の賜物。現市政の成果でも何でもない(cf.12.28市長「S41年度に開始」)。むしろその遺産を食い潰してきている過程にあるのが現在の到達点というか後退点の現状。市の一連の文書の特徴であるが、全国トップレベル、他都市を上回る等々謙虚さに欠ける。これは情緒の問題というに留まらず、全国の自治体に団結を呼びかける場合のマイナス要因に。
A7「国の基準を上回る…施策…は、少子高齢化により将来世代の負担が過大に」。例えば保育料の「上回る施策」がなぜ「将来世代の負担が過大に」なるのか。「上回る施策」を続ければ将来世代も負担が軽減される。トータルな収支改善への検討抜きに「上回る施策見直し」の結論が先にありきの為、論理が短絡・混乱。他にも、高齢者差別と高齢者にかかる費用を若年層が負担との独断的偏見と分断志向が混在、意味不明の文章に。
B6国基準を上回る・本市独自の事業、B8C1「国からの事業実施の要請の度合いが強いもの・低いもの」等との表現は国言いなり姿勢の反映。この考え方を進めれば自治体が自治体で無くなる。全国どの自治体でも「度合いが強いもの」ばかりの横並びの”自治体”に。
A4「再生団体」になれば「上回る施策は一切できなくなり市民生活に大きな影響」。しかし皮肉にも「…団体になる」前に、今回、「上回る施策」を切り捨てようとしていること自体が既に「大きな影響」。国保料2.9割・保育料3.9割値上げ、他の分野での切捨は「小さな影響」の範囲なのか。敬老乗車証や民間保育園職員給与見直し等は大きな影響ではないのか。「上回る施策ができなくなり…大きな影響」を本当に避けたいと思うのなら、今回の方針は撤回しかない。自家撞着、形容矛盾。場当たり的。都合主義。要するに脅迫か。
A8「自助による取組を基本とする考えを踏まえ」。スガ言いなりの悪のりというか、市長自身の考え。被災者支援に留まらない。政治や行政の役割放棄。何の為に税金を払っているのか。「自助共助互助公助」との設定自体が間違い。
A1「暮らしやすいまちとしていくため…改革に取り組まなければ…」、
B20「職員が意欲を持って働き続けられる職場づくり…」等。ABCともその内容は文字通り「暮らしにくいまち、職員が働きにくく」になっていく方向そのもの。
B3「市民サービスの向上に繋がる改革は…取り組んでまいります」。どういう施策が繋がるのか。今回、例として挙げられている各項目は向上なのか後退なのか。
1/13推進本部市長訓示「今も厳しい状況におられる市民の方々の生活も守らねばなりません…市民の皆様に寄り添って進めてまいりたい」?

5、市民を分断するのはやめよ

A4国保や保育の分野に、被保険者・保護者以外の市民からの負担を強調。
A8敬老乗車証について、「納税者1人当たり…負担に相当」。こんな初歩的なことを敢えて書くのは、無理解というよりむしろ、分断と対立を煽ろうとする意図。そもそも社会保障の在り方や税金の意義、強制性無償性、所得再配分機能、公共サービス資金調達機能等に対する無知を曝け出しているだけ。税金は直接一対一対応しないことにその性格や意義がある。総計予算主義の大原則。
B2・8etc.「市債の発行など将来世代への負担の先送り」。世代間・階層間の分断。「市債には、負担を世代間で均衡させるという機能がある」(「議員の為の分かり易い地方債」)。

6、市の発表する資料への疑問

●昨年11月とそれ以前の資料とで、審議会提出資料等、来年度予算推計において、同じ項目の数字が相当額、変わっている。コロナの影響を加味して再計算したものと思われるが、扶助費や国保操出金等が増加。しかし公債費は、10/8の井上要求資料では来年度860億なのに11月の審議会資料では900億になっている。今年度新規で予定外の市債発行があったとしても、早速来年度に40億も返済額が増えるのであろうか。返済額または将来の返還への積立額としても多過ぎるように思うし、またそもそも借金時点での予めの年次返済計画があるハズなのではないのか。
●特に20/10/1付副市長通知による500億円不足との来年度推計は収支各項目の数字の根拠が不明確。今年度予算と来年度推計を比較すると(単位:億円)、コロナを見越して市税収入が△188は理解できるとしても、ではなぜ交付税・臨財債が93しか増えないのか(併せて△95)。もっと不可解なのは歳出見込み。扶助費76は分かるとしても、投資的経費46、他会計操出44、その他44と軒並み増加。公債費56増も、前述の通りその根拠がよく分からない。「現時点における大まかな見通しを50億円単位で整理したもの」とは恐れ入谷の鬼子母神。全体がラフ過ぎる。にも拘わらず500億だけが一人歩きして市民への脅迫材料になっている(市民新聞2/1号「今後、毎年度500億円もの財源不足が見込まれています」)。
●この間、何点か資料請求しているが(高額所得者、高速道路等)、事務方での膨大な作業を要するとか、そもそもソフトが井上請求の仕様になっていない等の返事。以前請求した入札記録でも同様のことがあったが、市の仕事のやり方についてもどうなのか。

※ 木を見て森を見ないというか、国との関係や累進的発想抜きにいくら議論しても根本的打開の方向は見えてこない。住民福祉向上との視点の欠落、国言いなりという意味で、財政危機ならぬ地方自治の危機。累進性観点抜きの議論は、没階級的というよりも、大企業・富裕層優遇、生計費にまで食い込む庶民負担増押し付けという意味で、資本の利益優先の、まことに階級的な立場と言うべきか。そういえば、実際は改悪なのに「改革」と呼ぶのは、言葉のごまかし・間違いというより、資本の利益代弁擁護の市長とすれば、文字通り「改革」で、彼らにとっては正しい使い方なのかも知れない

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