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我有り故に我思う

南区生活と健康を守る会機関紙のコラム欄用の記事です。

No.239

 時々、記事掲載の機会を頂いています。一回の要請につき4本ほど書いていますが、編集者の方に選んで頂いています。3本不採用分も含めて、この欄にもアップしておきます。最近のものです。

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●昨秋総選挙といい今夏参院選といい、自民政治を終わらせるチャンスだったのに逃した魚は大きい。「野党」への国民の支持は、自民政治への批判の反映のハズ。だったらこれら「野党」は小異を捨て自民下野への大同につくべきであった。とはいえ、「野党」とは思われながら政策的には与党丸出しの{ゆ党」と言うかエセ野党では、所詮、期待すること自体が甘いのか。「幽霊の正体見たり」。エセ野党が自民延命を助けた、というより、ハナから野党でも何でもなかったということが、今回、明らかになったと言うべきだろう。

●トランプと高市といえば正に最悪。復古主義・歴史修正主義とアメリカ言いなり、尻尾を振って、親分子分よろしく一層の軍備大拡大と格差拡大、拝外主義。自己責任と福祉切り捨て、労働基準法改悪。強きを助け弱きをくじく。自らも金権疑惑。イスラエルを応援し日本に軍事基地を押しつけるトランプをノーベル平和賞推薦とは、最早ブラックジョークか。目が点になる、開いた口がふさがらないとはこのことか。いかに卑屈・言いなりであっても、そのこと自体を本人が自覚できない現状は、シェークスピア以上の悲劇と言うべきか。

●薬を飲むために口に含んだその水だけを飲んでしまい肝心の薬は口に残ったまま。我ながら何のことやら。水は薬飲の手段であるはずなのにその手段だけが本来の目的を押しのける。昨今の通信技術の進展や宣伝の氾濫は、あくまでも手段。内容が本来。「ウソも百回言えば…」とは、かのナチスの宣伝。百回言う、ことは手段なのに、じっくりものを考える力を奪われているうちに、ウソが本当に。福祉や消費税減税の時は「お金がない」。一方、湯水の如く軍備拡大や過度な大企業減税は伝えない。内容の吟味と検討、対話と討論、学習が要る。その為の仲間が居る。

●中学校給食がやっと実現と思いきや、塔南高校跡地の公園をつぶして大型給食工場を建てるとの市の方針。公園廃止撤回を求める裁判と、給食は原則自校方式で、との運動が広がっている。‖膩森場か自校か、公設公営か民間大企業への丸投げか、論点は二つあるはずなのに、市はハナから、工場+民間化。「廃止」は公園自体が要らないからではなく、専ら工場用地の為で「始めに工場ありき」。では何の為に工場か。即ち、教育という公務を民間の営利対象に。大企業応援、「民間化ありき」がコトの本質。福祉切り捨て等と共通、一連の市の方針。

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