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我有り故に我思う

憲法を地方自治に生かす

No.249

 井上けんじが提唱する「憲法を地方自治に生かす、京都市政に生かす」とは ー
 例えば、憲法では、「地方自治」という項目が、第八章92条から出てきます。しかしここに載っているから、ではなく、その前の9条「戦争放棄」でも11条からの「基本的人権」でも、地方自治は生かされるべきだ、という考え方です。具体例として、例えば25条2項では「国は、社会福祉・社会保障等の増進に努めなければならない」と謳われています。井上説では、この第2項の主語は「国と地方自治体は〜」と読むべきだ、といったようなことを指しています。自治体も9条を守る義務があると解釈すれば、国が戦争準備を進めている場合、それは当然、国に批判の声を挙げ、「憲法を守れ」と言わなければならないことになります。教育への権利然り、生活できる賃金や雇用形態・労働条件で働く権利然り、等々ということになります。実は、これが突飛な考えでないことは、例えば京都市でも「基本的人権の尊重」などといっていることからして自明のこととも言えます(但し、市の言う「人権」は、それを守り拡充すべき国(や井上説では自治体)の義務の指摘ではなく、私人間の問題に矮小化してしまっています)。更に例えれば、公務員は、採用の際、「憲法を守る」と誓約書を書きます。ところが、その職員教育の際には、憲法との言葉はほとんど出てこないのが京都市の現状です。憲法を市政に生かす、京都市も市民の生存権保障の義務がある等と前述しましたが、具体的に憲法尊重擁護義務があるのは、自治体一般ではなく、市長や議員、職員、即ち公務員ということになります。実際問題としては、では市長や各議員・職員に、日常的にその認識があるかということになってくるでしょう。議会へ送って頂いたならば、私の質問に対し、市長は「尊重擁護義務はある」と答弁するでしょう。しかし9条についての前述のように踏み込めば、「それは国の問題、国の専権事項」などと言って、おそらく逃げるでしょう。そこが問題です。自民党や維新の中には、自らの主張と公務員の義務との区別がついていない人も居られるようです。例えば国政の問題ですが、党大会で公務員である自衛官に君が代を歌わせる等というのは、その区別が認識できていない証拠です。憲法批判は自由ですが、自身が公務員であるとの自覚は必要です。市議会でもどこの地方自治体の議会でも、そういう自覚を持った議員でなければならないのは当然です。

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