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活動日誌

公園廃止の取消を求める裁判の経過

No.700

 2024年5月から、京都市による「東吉祥院公園の廃止」処分の取消・撤回を求める裁判に取り組んでいます。争点というか柱は3つです。仝園廃止の場合、都市公園法上「代替公園」確保が要件だが、それを満たしておらず従って違法、△燭世任気┥ない市のスポーツ公園を減らすことになる、8園廃止の目的は「大型給食工場」建設用地に充てる為、であることから、各自校方式にすれば廃止の根拠がなくなる、との休給食提供方式への提案。そこで突然ですが、不破哲三さんはマルクスについて「振り返りながら自分を発展させる」、「書きながら考える」等と評しておられます。例え僅かでも発展にあやかる為、私も私なりに経過を振り返ってみます。 

 時々のスローガンや目標に変遷はあるものの「小学校のような、全員制の中学校給食」の実現を求める市民運動が取り組まれ、遂に市と市教委が、2023年始め、実施に踏み切る。それまでの給食は、実際は弁当で、それも全員ではなく申込みに応じてとの方式でした(申込みは20%前後、又はそれ以下)。申し込まない生徒は自宅からの弁当持参(”愛情弁当”)やパン等を買っての昼食でした。弁当の評判はいまいちだそうです。10年来、背を向けていたのに、市と市教委は、その僅か半年余り後、突然、高校移転で公園に戻るハズの場所に大型給食センターを建てると言い出しました。「自校方式ではなく大型給食工場による一括調理・配送方式」を決定、その場所として、塔南高校グランド跡地(元々、公園だった土地を市が市教委に高校用地として貸しており、この頃、高校の移転によりその役割を終えることになった土地、公園)を充てることが決定されたものです。' 23/11/9の京都新聞でも「消極一転スピード決定、長年消極的だったが、今年、突然表明してから10か月足らずで方式や時期を固めた」と書かれています。
 今回の公園廃止は、ズバリ、センター建設が目的で、これは、市も市教委も、再三
言ったり書いたりしていることです。今頃になって、市と市教委は「子育て支援」とか
「持続可能な」などと、とって付けた理由でセンター化をごり押ししようとしていま
す。ではこの10年来、背を向けてきたことをどう総括しているのか、そのことを曖昧
にしたまま、今、急に中学校給食の「意義や必要性」の問題と、「その方式」との議
論を、意図的に混同させて、意義があり必要だ、だからセンターだと一足飛びに押し
付けようとしているのです。
 これが前段の経過です。


1、23/11/8に、議会で、中学校給食について大型給食工場方式で、と市教委が発表。 
 地元としては、同/13付、市教委「公園廃止説明会」とのチラシがいわば発端。「塔
 南高校が移転、給食工場を計画、そこで、公園の廃止について説明会を開
 く」。11/22にその説明会。資料曰く「公用・民間含め有効活用を検討しているとこ
 ろです」「センター方式導入、高校グランド跡地に整備の計画」そこで「公園を廃止
 する」(甲2号証)。問題は、 峺‘い靴討い襪箸海蹇廚覆匹判颪ながらその同じ
 文書に「公園廃止」と。⊇仞覆市教委だけの異常。一行政委員会ではないか。市長
 部局の中の某局ではない。市教委は市から公園を借りてきていた、いわば借地人で地
 主は京都市なのに、なぜその市教委が廃止の説明をするのか?「市長部局とは打ち合
 わせた上」との言い分は、百歩譲って「今後土地をもらう立場だから」と言ってみた
 としても、敢えて市長部局欠席の理由にはならない、出席を妨げる積極的な理由には
 ならない、出席した方がより丁寧なのは明らか。F辰紡綢惴園の説明は市長部局の
 責任と権限。実際、代替公園を手配したのは建設局。「16条2項」との説明は2号の
 誤りで説明不備。「センターの説明会なのか公園廃止の説明会なのかどちらか」との
 質問が出たのは当然。学校跡地活用担当課長の説明では「都市計画法に基づく廃止に
 向けて手続きを進めていく、代替公園整備の上で廃止…四公園を地域の皆さんの憩い
 の場となるようにしていきたい、代替公園確保を条件に廃止、手続きのスケジュール
 は未定」等と言いながら、後述の通り2日後には「廃止」。「整備の上」も「確保を
 条件」も抜きに。時期も不明の先送り。説明会は紛糾のまま終了。

2、市教委が市に返してから廃止したのか、借りている状態のまま(市から言えば貸し ているまま)廃止したのか、その後井上から文化市民局に聞いたが曖昧な返事で判然 としない。後になって「廃止と同時」と、とってつけたような返事であった。しかし 今にして思えば、「12/1に文化市民局から教育委員会に移管」と議会でも答弁し、また11/24に廃止の起案をしたのは文化市民局だから、少なくともこの日には既に市に返却されていたハズだと思える。許可申請までして借り、市長も「公園が荒廃しないように」等々との許可条件まで付けて貸し出す等の経過のある貸借なのに(甲6号証)、返却の手続きが全く不明朗。その後、議会答弁や'24/3/8付「南区考える会」の要望1への市教委からの回答等でも、市は「廃止後の所管は12/1に教育委員会に移した」とはいうものの、これは勿論市長部局から移したということだから、ではその前の「市教委から市長への返却」の時期や手続きはどうだったのか、という点は、市も市教委も一貫して曖昧にしたままである。意図的になのか、そんなことはどうでもいいことだと思っているのか、「市教委へ移した」こととを意図的に混同している。

3、その「廃止」だが、説明会の僅か2日後の11/24、その説明会に出席もしておらず 従ってそのリアルな様子の体感もない文化市民局が廃止の起案。説明会は全くのアリ バイだったのか。その廃止の理由には「代替公園設置」とのことだが、これは要件で あって理由ではないと素人目には思える。これが理由なら伏見どころか北山の奥にで も自称代替公園を設ければ、その必要性の有無や程度等無関係にどこでも市内の公園を自在になくすことができてしまう。同/29に市長名で告示、翌/30に廃止とされている。不思議なことに、その直後の12/5、その廃止の経過について議論された市議会委員会では、その文化市民局が「公園の所管につき12/1に教育委員会に移管した」と言うだけで、告示や廃止のことは全く報告していない。翌/6日の別の委員会でも、今度は建設局だが「教育委員会と文化市民局で廃止の手続きを進めているということをお聞きはしているが…詳細は把握できていなかった…」と、「代替公園」確保の責任部局でありながら驚くべき答弁。

4、市は10年来、市民から寄せられた中学校給食実現要求に背を向け続け、やっと‘23年初めに重い腰を上げた、という経過がある。)寨茲覆藥圓鳳いて10年の総括が要る。⊆存粛弋瓩蓮∩按鵑箸靴童饗Ъ校方式であった。/22の説明会でも、その要望も出された。従って、10年の総括は仮に横に置いたとしても、やっと実現との到達の上に、では次の課題として「方式」の検討に移るはずであった。ところが市は、少子化対策に資する為、等と、給食の意義ならぬセンターの「意義と根拠」へ議論を飛躍させる。給食の意義・根拠と、その方式のあり方とは問題が別なのに、意図的に混同させ、給食の意義をセンター方式の根拠にすり替えているのである。これは、10年間背を向けてきたことを曖昧に済ませたいのと、しかしやっと気づいた意義を、今度は自分たちこそ先駆だと言わんばかりに、方式の検討抜きに一足飛びに、無理矢理センターに直結させたいからである。辛うじて、区別して方式独自のことを言うとしても、「持続可能」程度のことしか理由を挙げられない。私は、給食の意義に気が付くのが遅かったと非難しているのではなく、意義の点で一致できた今、その到達の上に、では今度は方式の議論をしましょうと言っているだけである。

5、'23/11月末のどさくさ紛れの「廃止」を私たちが知ったのは、翌'24/1月中〜下旬 の「都市計画審議会への市民意見募集のチラシ」が出回ったことによってであった。市は「HPに掲載」とのことだが、多くの市民が細かい部分まで見ている訳ではない。そのHPを、私は'24/1/29に見たが、それは市教委の'23/11/28付のページで「吉祥院公園の廃止について」とあり、「塔南高校は開建高校として元洛陽高校跡地に移転しており…跡地活用を進めていく…この活用の一つとして…給食センター建設を計画…そこで廃止することについて…説明会を実施したのでお知らせします」とのことであった。見出しは「廃止」と言いながら本文では「説明会を実施したので、お知らせします」となっており、見出しと本文が噛み合っていない。

6、「廃止」の手続きについて公園法には書かれていないので、電話で市に聞いたとこ ろ、「開設の場合の『告示』という方法を準用した」との回答であった。しかしこれ は独断的且つ恣意的な解釈であって、そもそも16条は公園の「保存」と謳われ「こういう場合は廃止してよい」ではなく「みだりに廃止してはならない、こういう場合以外ダメ」であり、よほど例外的なこととしている。万一廃止の場合にはよほど慎重な手続きが要るということだと思う。そもそも都市計画上の都市施設である公園を、都市計画の手続きを経ないで、どうして「廃止」できるのか? そしてその都市計画審議会では「既に廃止されているから」が廃止議案の理由とされ前提とされているのである。これでは同義反復であり堂々巡りであって、市長の恣意的な独断で何かを決定しそれを既決とするならば、都市計画審議会は形骸化どころか無くてもいいということにさえなりかねない。’23/11/30の廃止は手続き上の疑義があり、従ってまたその「廃止」を提案理由とする審議会の議決は無効であり差し戻されるべきである、審議会で言われていた「防空緑地」云々や「公園の計画はない」との廃止「理由」は、前者は戦前の防空など今日不要なのは当たり前でとってつけた代物、この際どさくさ紛れの寄せ集めの類で、後者は単に方針を述べているにすぎない。答弁書では11月の一般的な説明会と都市計画法上の手続きとを混同し、両者の区別を知ってか知らずか曖昧にしているようであるが(P23)、説明会開催をもって、公聴会を開いたなどとは到底言えないことは明らかだし、説明会は紛糾のまま終わった。審議会については、市には公聴会開催を必要と認めなかった理由を明らかにする責任がある。

7、2/5の市長選挙で新市長の意向による変更があり得るにも拘わらず、その直前の1月
 中旬、「廃止に向けての都市計画審議会への意見募集」のチラシが出回った。当審議
 会の議題は「公園の廃止」だが、その理由が「既に廃止されているから」「センター
 建設の為」というものであった。廃止云々の議題は、市長の独断ではなく審議会でこ
 そ、一から議論すべきであり、追認を求めるかのような提案理由は、前提でもない
 し、また提案理由になっていない。経過から言えば、 23/12/1に市長により「廃
 止」、その後、⇒癲24/3/28の都市計画審議会でも「廃止」が議決された。しかし
 ,蓮都市計画法上の手続きを経ておらず違法である。被告答弁書でも(P23)上の
 ,鉢△亮蠡海を意図的にかどうか、混同し、ごちゃ混ぜにして、その違いを無視な
 いしは曖昧にしている。今後、市が「,呂箸發く、△砲弔い討亘‐紊亮蠡海を踏
 んでいる」と、主張してきたとしても、△悗猟鶲突由であり前提とされているー
 体が虚構であり法違反であることから無効であり、△悗猟鶲突由としては失格であ
 る」と言えると思う。

8、審議会では、センターについては、委員の再三の質問に「議題とは関係ない」の一点張りであったが、廃止が議決されれば、それは即ちセンター容認に連動することは、提案理由の説明から言って明らかである。この点については、井上からも「都市計画審議会での公園とセンターとの関係はどうか」との市民意見を挙げていたが、審議会配布資料には、そこまでのことは書かれていなかった。審議会としてセンター設置に責任が持てるのかどうか、審議会の都市計画上の性格と、センター容認という教育上の課題とが照応せず、別の問題を意図的に混同させる問題を孕んでいたと思われる。「廃止」議決が、=センター建設であることは提案理由からいってあまりにも明らかである。広域避難場所という重大な機能が損なわれることも含め、憩いの場・スポーツの場としての公園自体の必要性の有無や程度ということについては、提案理由でも討論でも、主要なテーマにはなっていない。アプリオリというか、初めに「既に廃止されている」ありきの審議会であった。なお、審議会委員長は一貫して「廃止の後の利用は分からない、センターは別問題、関知しない」と、廃止理由をどう読んでいるのか、全く理解に苦しむ発言が続いた。

9、早期実現はみんなの願いである。だから市は大型センター方式だと言うが、根拠はなく精査が要る。むしろ、原則自校方式の小規模分散型の方が、同時併行で早いのではないか。また費用の問題はどうか。「民間のPFIの方が安くつく」との市の言い分だがこれも精査が要る。給食代無償化が期待されるが、徴収している今でも事業費に比して収入は皆無に等しい。では「安くつく」根拠はどこにあるか。私は「市直営」派であるが、事業費は市からの委託費であり、これは市直営でやっても同じことだとの意見は私も理解できる。しかしむしろ逆に、では「安くつく+受託会社の利益分」はどこから生み出されるのか。市の委託費から生み出されるしかないとすれば、市の委託費が、直接、会社の利益に直結し、更に安くつく為にはどこかへしわ寄せする以外にない。人件費か、若しくは、どこかの部分の支出削減しかない。そういう運営への疑問がある。更に言えば、設計や、完成後の調理や運営等、そもそも教育としての給食事業が営利対象でいいのかどうかとの根本的な問題が横たわっている。

10、設計もSPCだが、性能発注では、品質確保への危惧はないか。建設資材や運営費 
 用等々、今後の費用負担増加の場合、それは誰が賄うのか、市の追加負担なら「言い
 値」にならないとの根拠はあるか、常々「公より民間のノウハウ」などと自らの能力
 を卑下し後退させている京都市に、それらの計算の力や裏付けはあるのか。

11、思うに、11/22の説明文書冒頭にある通り、また/24の決定書でも「移転を機に…跡 地活用検討」、更に議会や翌年3/28の都市計画審議会等でも市が言っているが、行財政計画の一環として、既に2021/8月から塔南高校移転後の活用について、特に工業地域であることが強調され、民間活用も含めて検討が続けられてきた。今回、‖膩織札鵐拭爾自校方式かという論点とともに、∋堋庄弔民間かとの論点が設定できるとすれば、市にとってはセンターと民間化は一体で、初めにセンターありき、と言うより、私見では民間大手企業への委託ありきではないか、と考えるのは穿ちすぎか。今、京都市では、規制緩和・自由放任に留まらず、立地補助金や減税、誘致企業への優遇、市街化調整区域ですら開発促進、等々、むしろ意図的積極的に大手を応援するとの政策が進められている。こういう市の一連の産業政策の流れに沿って、民間大手への運営の委託、公務の民間化政策を出発点と考えると、10年も背を向けながら 中学校給食が超特急で動き出したこと、借用との経過やその返却の手続きを曖昧にしてきたこと、説明会のいい加減なこと、常識では考えられないような場所を「代替」などと強弁すること、密室で「廃止」を強行した後に都市計画審議会ではそれを金科玉条に「既に廃止されているから」の一点張り、廃止理由に挙げながら「センターとは別」への固執、等々、この間の、ある意味で摩訶不思議な経過が、霧が晴れるよう にハッキリと見えてくる。公園廃止はこの拙速な急流の一環であり、いわば市の大手企業優先政策の「いけにえ」にされた結果ではないか。市にとっては、グランドを含む塔南高校跡地全体を如何に民間活用するか、が本命であって、地域住民にとっての公園や避難場所の意義や有用性といったようなことは第一義的なことではなかった。すべて後付でいい訳をしたりとってつけたような弁解に終始していることの謎が解けた。今回の事例は、公園自体の必要性の有無や程度が、直接の検討対象にされたわけでは決してない。工場を建てたい、民間大手に運営を任せたい、仕事を提供したい、その為に場所が要る、だから廃止だ、と。いわば、市の産業政策のあおりを食らったのが、一つには公園であり、また教育の一環としての給食を通じて、二つ目には生徒たちだという次第ではないか。公園廃止は、必要ないから、ではない。目的ではなく結果でありあおりでありしわ寄せであり犠牲であり邪魔者とされた、というのが真相ではないか。公園や避難所を奪われた近隣住民こそが、犠牲者と言うべきである。




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