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活動日誌

公園裁判不当判決

No.710

 4月23日、地裁で ”違法判決 ”。以下は、その感想です。法律には素人の感想ですので、専門的な立場からのご指摘などもあろうかとは思いますが、ご容赦下さい。写真は、判決前の「入廷行動」と、判決後の報告集会の様子です。ご支援の皆さん、雨の中、本当に有り難うございました。弁護士の先生方、本当に有り難うございます。これからもよろしくお願いします。
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<感想>                 2026/4/25 井上けんじ

 4月23日、京都地方裁判所は、京都市の「東吉祥院公園廃止」処分について、「適法であ」り「取消請求を棄却する」との判決を下した。被告京都市の言い分をそのままコピーしたとしか思えないほど、市の主張に沿った偏向判決というほかはない。「代替公園設置抜きに公園は廃止できない」との都市公園法16条に照らし、遠方の公園では代替とは言えないことから、本件はこの要件を満足せず、法違反は明白である。私には、不当どころか、法律には素人なので間違った言い方とは思うが、”違法判決 ”という新しい言葉というか概念が浮かんできた程の代物で、到底容認できるものではない。原告の一員として、また原告団や関係者の皆さんたちとも、その意思の確認に努めてきたが、おおむね合意も得られており、直ちに控訴したい。以下、判決要旨しか読めていないが、その範囲で、僭越ながら感想を書く。「 」内は、判決要旨からの引用、またはその趣旨である。

原告適格については、「災害が発生した場合に…被害を受けるおそれがある」者については「有する」としたものの、「近隣公園として利用する近隣住民」は、「不特定多数の者が享受できる一般的公益」にすぎないとして、近くて隣にある、との意義について全く理解しない、現実的日常的な地域住民の生活基盤を無視した暴論を展開した。被告京都市の言い分の焼き直しにすぎない。

手続きについても、「関係法令は…手続きを定めているとは認められない」とのことだが、都市施設である都市公園についての議論だから、「関係法令」には都市計画法も含まれて当然である。ならばその都市計画法には、明確に、その設置や変更・廃止についての手続きが定められている。その一環である都市計画審議会では、廃止提案の理由について、事前文書では「給食センター建設の為」と書きながら、実際の委員会の議論での市の主張は、専ら、「既に廃止されているから」との理由付けに終始した。市との事前打ち合わせは当然だったと思われるが、委員長もまた「後に何ができるかはここでのマターではない、私は知らない。既に廃止されているから合わさなければならない」との趣旨の発言を繰り返された。そしてその「既に廃止」の実態はと言えば、以下のような経過であった。'23/11/22に市教委だけの出席による「説明会」なるものが開かれ、「センター建設、従って公園廃止」とのことであった。後でも触れることになるが、本公園は、長年、市から市教委に貸し出され、高校用地として使われてきた経過がある。この年に高校移転が実現。然るに、ではいつ市教委が市長に返したのか、「廃止」は、その経過の説明がないままでの曖昧で杜撰なままのどさくさ紛れであった。当日、「今後は未定」と言いながら、説明会の紛糾を実感しない文化市民局による廃止の起案は僅かその2日後であった。30日に廃止とされたが、その直後の12月5・6日の市議会委員会では、その文化市民局は、説明会の様子についての質問を受けながら廃止については一言の報告もせず、また代替公園を用意すべき建設局も「教委と文市局とで廃止の方向と聞いている」といったようないい加減な答弁であった。被告京都市の答弁書では、上の一般的な説明会と、翌春都市計画審議会に向けての手続きとを全く混同したごちゃ混ぜの駄文になっているが、判決もまた、このような経過を知りながら、「都市公園法16条には…廃止手続きの順序は謳っていない」などと、最狭義の条文解釈に矮小化した

 さて、その16条であるが、判決要旨は「近接代替公園は1/4以下、他(の3カ所)は規模や位置関係」から、「本件公園と同様とはいえない」とまで言いながら、「しかし」として後を続ける。経過と現況を言えば、市は「代替」として4公園を提示。しかしうち3カ所は伏見区内や南区東部でかなり遠方にあり、残り1カ所が、高校の校舎跡地でグランド(本件公園)の隣、上で「近接」と言っている公園予定地である。現在は整備中。「しかし」、「本件公園は…高校…として利用され…公園の効用を果たして」こなかったから「近接した場所に代替公園が整備されるなら…ほぼ対等なものとして相当程度見合う」。また「他の3つ…の整備によって…市全体の整備が…前進…、従って…代わるべき…との要件を満たす」。
 目が点になるとはこのことか。「効用を果たしてこなかった」のは、判決自身指摘の通り高校用地として使われていたからであって、ならば高校移転に伴ってその復活を果たせば、1/4とかほぼとか相当程度どころか、完璧に元に戻せるではないか。高校教育の意義から言って、私たちは市教委への貸与自体を否定的に思ってきた訳では決してない。我が子も世話になってきた。結果として、しかし移転するのなら元の公園に戻すのが当たり前ではないか。地元ではそのことが待たれていたのである。「廃止」を所与の前提として、近接に設置するから1/4以下でも見合うなどというのは、為にするというか、結論先にありきのこじつけ、まさに市の立場に立ってしか、ことの経過を考えていない、語るに落ちるとも言うべき代物である。こんなことでは、司法への信頼が、損なわれ失われるばかりである。行政裁判は、お上の言うことがまかり通る、との一般的な批判に拍車がかかるばかりではないか。
しかし一方、高校利用時代からも広域避難場所としては存在し続けているから「効用をはたしてこなかった」訳では決してない。問題は、1/4以下に減って、どうして「対等なものとして見合うのか」という点にある。もっと言えば、そもそも、広域避難場所としての原告適格は認めておきながら、ではその原告や地域住民の安全への権利がどのように奪われるのか、公園が廃止された状態で、命を守る機能が存続できるのかどうか、そのことへの検討が、要旨とはいえこの判決にはない。避難場所が奪われるから廃止を取消すべしとの訴えに対し、何らの判断をも示さないというのは、その一事をもって、”欠陥判決 ”とも言うべきではないか。
 「市全体」云々の話しに至っては、開いた口がふさがらないともいうべき暴論である。ある個人の尊厳としての市民は「市全体」という抽象的な場所に暮らしている訳ではなく、特定の住所を有するからこそ住民なのである。6kmも離れた場所へ、どうして散歩や災害避難に行けるのか。「市全体の公園整備状況…前進」とは言いながら、上の近接公園(校舎跡地)以外の3カ所は、元々既存計画の延長線上のものであって、たまたま、整備時期が今日になっていることをもっけの幸いとばかりに、後付で「代替」として位置付けたというだけの話しであって、廃止の「代わり」でも何でもない。「廃止」による近隣住民の権利の剥奪や縮小という影響に心寄せるよりも、「市全体の公園整備…前進」などへの評価とは、まさに本判決が、全く市当局の立場に立っていることの証明であり、上の近接公園の理屈も併せ、これでは、全く被告京都市の答弁書そのままと言うほかはない。
こんな判決を放置し確定させることは、司法の未来にとってもよろしくない。認めることは、自らの権利の放棄に等しい。控訴審でも力を尽くしたい。なお、大型給食センターについて言えば、判決は、何らこれに触れているわけではない。避けた。廃止が取り消されれば公園として復活、センターの設置場所については再検討が迫られるとの局面が、結果としては、開かれる可能性もあったが、その点もまたまことに残念というほかはないが、一方で、判決は何も言っていないから、自校方式を求める活動、教育としての給食のあり方を求める運動は、何らの影響も受けない。引き続き取り組まれるであろう。私もその一翼を担いたい。


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