プロフィールのつづき
もしよければ、より詳しく知っていただくために、参考として「プロフィール詳細版」を掲載します。ただしこれは、このページのために書いたものではなく、1990年に初めて立候補した時に(この時は府会議員南区補欠選挙で、残念ながら次点でしたが)、大学の恩師に推薦文を依頼するにあたり、参考にしていただくため、その先生宛に書いたものです。今から思えば訂正したい箇所もないわけではありませんが、その当時に考えていたことや、その当時以前の生い立ち等について振り返ってみたことについて、最小限の字句の訂正以外、そのまま掲載することにしました。具合のよくない部分については、その当時の若気の至りとご容赦下さいますよう、よろしくお願いいたします。
ちなみに、推薦文を依頼した恩師とは、知る人ぞ知る今はなき寿岳章子先生で、学科が違っていたので受講の経験はないとはいえ(先生は文学科で私は社会福祉学科でした)、小さい学校でもあり、また、ともに大学の設置者である蜷川知事の「与党」の間柄でしたので、親しくさせていただいておりました。当時の暴力学生との煩わしさから逃れるために先生の部屋に隠れたり、また今だから言いますが、たまには当座の生活費を寸借するなど大変お世話になっておりました。もちろん、これは、また別の人から借りて、先生にはきちんと返済しておりますので、念のため申し添えます。もちろん「別の人」も含めて現在では心配はすっかりご無用です。
また、もう一つの文章は、労働組合の役員時代に、組合員テキスト用に書いたものを、これも当時のまま転載しました。テキストの内のひとつの章を分担したものです。1988年頃だったと思います。書籍になって細々ながら今も古い組合員さんの間で出回っており、しかも発行は労働組合ですので、手は加えておりません。私の当時の水準のものとして(今もあまり進歩していませんが)、至らぬ点はご容赦ください。
労働組合の組合員の皆さん用に書いたものですから、もちろん要求実現をめざす運動の範囲までの文章ですが、今なら、その延長線上に、社会主義日本になればもっと素晴らしいですよ、といった意味の文章も付け加えたいところです。他日を期したいと思います。